震災から4週間経った土曜の午後。
本当はボランティアに行った翌日、木曜に書きたかったのです。
しかし溜まった仕事に追われているうちにもう夜。
9時半ごろ娘と一緒に就寝。
「お父さん、起きて!!」
というカミさんの声で目を覚ましたら、家がグラグラと揺れていました。
と思う間に、電気が消えて真っ暗に。
2分以上は揺れていたでしょうか。
玄関と車から懐中電灯を持ってきて、家の中を点検。
壁紙に皺がよったり、切れたりしたところが複数。
オーブントースター落下。
リビングの網戸の外れ。
コンクリートの土台に一箇所小さな亀裂発見。
真っ暗な街の中を、お袋のいる実家へ。
お袋は無事でしたが、実家は前回より被害大。
台所の戸棚が倒れて、扉が一箇所使用不能に。
茶室の茶器も大量に落下。
それでも周辺よりはマシだった模様。
近隣の商店街は壁が落ち、サッシの窓ガラスが割れ、シャッターが破損。
川原が落ちたところも多かったようです。
道路も段差や亀裂が前回よりかなり激しくなりました。
カミさんはカミさんで深夜職場に向かいました。
やはり前回より被害が大きかったとのこと。
水道は止らなかったので、
ガスコンロでインスタントラーメンをこしらえ、
実家に娘を預けて夫婦それぞれに出勤。
ウチの職場は停電&断水状態で仕事になりませんでした。
自分の机と校内の片付け、駐車場の亀裂補修の手伝い、などなどで午前中一杯。
クラブには5人ほど出席してくれましたが、すぐに帰しました。
幸い部員は皆無事なようで、部室や楽器にも被害なし。
学校は週末閉鎖となり、部活も禁止。
入学式前に練習できないのは、かなり厳しい(涙)。
夜は暗い中懐中電灯を頼りにおにぎりを食べて寝床に。
22時頃電気が復旧(^^)!
ここ一ヶ月で電気のありがたさを本当に痛感するようになりました。
今日は昼前に病院に行き、
先月末から止まらなかった咳と、最近気になっていた血圧の相談。
齢48、初の血圧降下剤受領(涙)。
果たしてどうなることやら。
それにしてもわが地元。
今回の地震の方が被害はかなり甚大です。
余震、というよりは今回も「**地震」という名称が付けられてもいいぐらい。
もしかして今後もこれ以上の余震がある可能性があるとか。
まじめに、避難グッズや地震対応グッズの準備をしておかないと。
さて6日(水)。
大船渡の楽器屋の友人のところへ行ってきました。
大船渡は、街の入り口辺りは日常の風景で、
分かってはいたものの、やはり拍子抜け。
しかし国道45号線を進んでいくと、徐々に瓦礫の山が見え隠れするようになり、
初めて目にする津波がもたらした爪あとに唖然とするばかりでした。
避難所で友人と再会。
顔を見て、本当に安心しました。
ワセオケの皆さんから送っていただいた支援物資を運び込んで仕分けし、
後はコーヒーを呑みながらゆっくりと談笑。
何気なく、そして明るく話す友人の顔を見ているうちに、
自然と涙がこぼれました。
俺だったら、これほどの被害を受けたあとに、
こんなに前向きに過ごせるだろうか。
すでに店舗兼住宅の古い貸家を見つけたそうです。
ただ手入れにはかなり時間がかかるとか。
卸問屋さんからは支援の声がかなり届いていて、
「ここ2~3ヶ月のうちに店を再開したい」
と言っていました。
逞しい。
昼食後、楽器店跡地に案内してもらいました。
学生時代以来何十回も通った街は跡形もなし。
瓦礫が重なる風景を見て、哀しいとか何とか言うのではなく、
ただ涙がこぼれて仕方なかった。
ああ、もう書ききれない。
まずは今回ご支援いただいた皆さんに感謝です。
現地で必要な物資は日々刻々変化しており、なかなか難しい面もありますが、
現地から生の情報を伝え、出来る限りの事を続けていきたいと
思います。
今回私はカミさんに調達してもらった文房具類と、
クラブで使わないコルネットを持っていきました。
友人がラッパ(本当はモネット!)を吹ける日が一日も早く来ますように。
書ききれなかったことはまた後日に。
本当はボランティアに行った翌日、木曜に書きたかったのです。
しかし溜まった仕事に追われているうちにもう夜。
9時半ごろ娘と一緒に就寝。
「お父さん、起きて!!」
というカミさんの声で目を覚ましたら、家がグラグラと揺れていました。
と思う間に、電気が消えて真っ暗に。
2分以上は揺れていたでしょうか。
玄関と車から懐中電灯を持ってきて、家の中を点検。
壁紙に皺がよったり、切れたりしたところが複数。
オーブントースター落下。
リビングの網戸の外れ。
コンクリートの土台に一箇所小さな亀裂発見。
真っ暗な街の中を、お袋のいる実家へ。
お袋は無事でしたが、実家は前回より被害大。
台所の戸棚が倒れて、扉が一箇所使用不能に。
茶室の茶器も大量に落下。
それでも周辺よりはマシだった模様。
近隣の商店街は壁が落ち、サッシの窓ガラスが割れ、シャッターが破損。
川原が落ちたところも多かったようです。
道路も段差や亀裂が前回よりかなり激しくなりました。
カミさんはカミさんで深夜職場に向かいました。
やはり前回より被害が大きかったとのこと。
水道は止らなかったので、
ガスコンロでインスタントラーメンをこしらえ、
実家に娘を預けて夫婦それぞれに出勤。
ウチの職場は停電&断水状態で仕事になりませんでした。
自分の机と校内の片付け、駐車場の亀裂補修の手伝い、などなどで午前中一杯。
クラブには5人ほど出席してくれましたが、すぐに帰しました。
幸い部員は皆無事なようで、部室や楽器にも被害なし。
学校は週末閉鎖となり、部活も禁止。
入学式前に練習できないのは、かなり厳しい(涙)。
夜は暗い中懐中電灯を頼りにおにぎりを食べて寝床に。
22時頃電気が復旧(^^)!
ここ一ヶ月で電気のありがたさを本当に痛感するようになりました。
今日は昼前に病院に行き、
先月末から止まらなかった咳と、最近気になっていた血圧の相談。
齢48、初の血圧降下剤受領(涙)。
果たしてどうなることやら。
それにしてもわが地元。
今回の地震の方が被害はかなり甚大です。
余震、というよりは今回も「**地震」という名称が付けられてもいいぐらい。
もしかして今後もこれ以上の余震がある可能性があるとか。
まじめに、避難グッズや地震対応グッズの準備をしておかないと。
さて6日(水)。
大船渡の楽器屋の友人のところへ行ってきました。
大船渡は、街の入り口辺りは日常の風景で、
分かってはいたものの、やはり拍子抜け。
しかし国道45号線を進んでいくと、徐々に瓦礫の山が見え隠れするようになり、
初めて目にする津波がもたらした爪あとに唖然とするばかりでした。
避難所で友人と再会。
顔を見て、本当に安心しました。
ワセオケの皆さんから送っていただいた支援物資を運び込んで仕分けし、
後はコーヒーを呑みながらゆっくりと談笑。
何気なく、そして明るく話す友人の顔を見ているうちに、
自然と涙がこぼれました。
俺だったら、これほどの被害を受けたあとに、
こんなに前向きに過ごせるだろうか。
すでに店舗兼住宅の古い貸家を見つけたそうです。
ただ手入れにはかなり時間がかかるとか。
卸問屋さんからは支援の声がかなり届いていて、
「ここ2~3ヶ月のうちに店を再開したい」
と言っていました。
逞しい。
昼食後、楽器店跡地に案内してもらいました。
学生時代以来何十回も通った街は跡形もなし。
瓦礫が重なる風景を見て、哀しいとか何とか言うのではなく、
ただ涙がこぼれて仕方なかった。
ああ、もう書ききれない。
まずは今回ご支援いただいた皆さんに感謝です。
現地で必要な物資は日々刻々変化しており、なかなか難しい面もありますが、
現地から生の情報を伝え、出来る限りの事を続けていきたいと
思います。
今回私はカミさんに調達してもらった文房具類と、
クラブで使わないコルネットを持っていきました。
友人がラッパ(本当はモネット!)を吹ける日が一日も早く来ますように。
書ききれなかったことはまた後日に。
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