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石井伸之の国立市議会議員日記 自由民主党会派所属

東京都国立市の若手?市議会議員(6期目)による日記です。国立市議会議員として国立市政の最新情報を伝えて行きます。

11月6日 本日は国立第三中学校40周年記念式典に出席しました

2015年11月05日 | Weblog
 こんにちは、昭和63年国立第三中学校卒業の石井伸之です

 本日は午前7時より矢川駅で議員有志により、本日夜に行われる議会報告会の宣伝を行いました。

 一昨日に谷保駅で行った時と同様に、チラシとポケットティッシュを一緒に配布すると、多くの方が手に取ってくれます

 最初の30分で、40個ほどティッシュが入っていた紙袋が空になるスピードです。

 午前8時までの一時間で宣伝は終了し、後は本日と翌日の議会報告会に多くの方が来ていただけることを祈るのみです。

 午後からは、母校である第三中学校40周年式典が行われることから、そちらへ向かいました

 つい先日、夜間照明の初点灯に訪問していますので、久しぶりという感じはありませんが、母校に来るというのは良いものです。

 待機場所となっている教室から校庭を眺めると、当時の景色とは大きく変わっています。

 卒業してから28年という時の流れを感じざるを得ません

 式典は吹奏楽部の演奏から、開式の言葉、国歌斉唱、学校長式辞、来賓祝辞、来賓紹介、記念品紹介、生徒お祝いの言葉を続きます。

 記念講演としては、アテネオリンピック柔道女子金メダリスト塚田真希氏による「夢を持ち努力することの素晴らしさ」です。

 現在塚田真希氏は東京女子体育大学で柔道部監督を務められ、リオデジャネイロオリンピックでも日本女子柔道のコーチを務められます

 さて、どういった話だったかというと、塚田氏は茨城県下妻中学校に入学し、美術部に入りアーティストになりたいという夢を持っていたそうです。

 しかし、同級生より様々な部活動を見る中で、柔道部の先輩に声を掛けられて入部します。

 中学では県大会出場という成績から、土浦日大高校に入学。インターハイに優勝するだけあって厳しい部活動に耐え切れず挫折したとのこと。

 挫折の理由としては、先輩から「弱いから来なくて良い」という言葉に心が折れる音を聞いたそうです。

 そこで、先輩から「塚田は柔道楽しいか?」と聞かれ、その時は自分が弱いので楽しくないと答えます。

 次に続く先輩からの金言が塚田氏を後の金メダリストへ育てます

 「まずは自分自身に勝ちなよ」

 それでもその時の塚田氏は、何故自分と戦わなければならないのか分かりません。

 それは、ランニングしていても「疲れた」「歩きたい」「走るのを止める」→「自分に負ける」

 自分の折れそうになる心を鍛えて、負けないようにすることが大切と言われたそうです

 ここから塚田氏の快進撃が始まります。

 高校三年生で全国大会優勝、東海大学入学後はフランスジュニア国際大会に2連覇、全日本ジュニアでも2連覇、世界ジュニアでも優勝を遂げてからは、世界を意識し始めたそうです。

 アテネオリンピック代表に選ばれてからは、月に2回一週間の非常に厳しい合宿に耐えます

 そして、いよいよオリンピック本番では、無我夢中で戦い表彰台の一番高い場所に辿り着きます。

 その達成感は計り知れないそうです。

 金メダルを取って良かったことは「嵐に会えたこと」「歌を作っていただけたこと」「定食屋に入ると海老フライが一本おまけにつくこと」などと言われていました。

 北京オリンピックでは、アテネよりも充実していました

 決勝でもポイントを取り、優位に試合を進めていましたが、残り8秒で悲劇が襲います。

 塚田選手が一本で勝ちたいと思い、前に出たところを、一本背負いで投げられ銀メダルに終わりました。

 あと8秒前に出ず耐えていれば金メダルは確実でしたが、一本で勝ちたいという誘惑に分けてしまったそうです

 練習している時は、先が見えず、手ごたえも無く、自問自答に陥るかもしれないが、自分を信じて積み重ねること「自分に負けないこと」が大切と言われました。

 最後に中学での武道必修化について話されていました。

 武道は、相手を直接攻撃できるスポーツです。

 投げられることの痛みを知ることで、相手を投げる時には少しでも痛みが無いように腕を引くなどの工夫をするようになります

 相手に極力痛みを与えない様にする、心を養うことが、武道必修化の目的と言われていました。

 短い講演でしたが、人として大切な部分が凝縮されていたように感じます。

 何かを成し遂げた方々の話は、自分としても生きる指針になります

 今後ともこういった式典には、極力出席したいと感じる素晴らしい式典でした。

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11月5日 本日は国立市都市計画審議会に出席しました

2015年11月05日 | Weblog
 こんにちは、改選前に引き続いて都市計画審議会に所属している石井伸之です

 本日は午前10時より国立市都市計画審議会が、国立市役所二階委員会室で行われました。

 議案は二つで、生産緑地の指定と解除、地区計画の指定についてです

 生産緑地の指定と解除については、毎年の事ですが年々国立市内の生産緑地は減少しています。

 この一年間も7000㎡余りの生産緑地が解除され、逆に生産緑地へ指定された農地は110㎡のみです

 現在の国立市における生産緑地は46.6ヘクタールほどとなっています。

 ちなみに1000㎡は0.1ヘクタールです

 遠藤議員も発言されていたように、その大部分は南部地域に集中しております。

 農業委員会としての立場もあり、意見取り扱いでは、いの一番に挙手し、幼い頃から慣れ親しんできた南部地域の農地が残るよう様々な手段を用いて残して欲しいことを伝えました

 残す手法を検討する中で、佐藤市長が現在農業後継者の方々と毎月意見交換を行い、次の世代へ農地を残す為に若手農業者の声に耳を傾けていることは素晴らしいことです。

 具体的な方法として、農業委員会で世田谷市が相続によって買い取り申し出された農地を、農地公園という形で活用しています

 それ以外にも市民農園で活用されているように、少しでも農地を残す為に努力されています。

 とにかく、様々な形で谷保の原風景を残すために、農地が維持存続されるよう強く訴えました

 続いて、農業委員会会長(農業委員会会長も都市計画審議会委員の学識経験者として出席されています)より、農業委員会より佐藤市長へ提出した建議についての話がありました。

 どういった内容の建議かというと、一度農地から宅地や駐車場へと転用された土地は再び農地へ戻ることが出来ないということに起因します

 貸家が古くなり一度更地にして再び農地として活用したとしても、その土地を再び生産緑地としての扱いが出来ないという点に大きな問題があります。

 この部分を何とか改善して、一般的に言われている「Uターン農地」を増やすために、一度転用された土地が農地へと認められるよう、再び佐藤市長に対して建議したい旨の発言をされました

 佐藤市長からも、以前建議を受けた時よりも時期が変わったことから前向きに検討する旨の発言がありました。

 今年の春に都市農業振興基本法が成立したことも追い風になっているかと思います

 都市部における農地は、空間を保全し、豊かな環境を守り、防災にも強い街を作る為にも必要であるとの認識が広まっています。

 この流れを確かなものとする為には、相続税の問題などが複雑に絡み合い、検討すべき点は多々ありますが、何とかしたいところです

 抜本的な対策が見えてこないところに、もどかしさを感じます。

 さて、次の議案は郵政研修所の東側地域に高さ制限を掛ける為の地区計画を定めるというものです
 
 今回の地区計画は住民からの提案制度による初めての提案となっています。
 
 ただ、住民の意見を市が聞いたところ、住民人口では20%~30%ほどの反対、面積割では45%ほどの反対があるとのことです

 担当課長へ「他の地域ではどの程度の反対があっても地区計画を変更したのか」と聞いたところ「一つの地域を除いては、反対する方がなくなるまで調整する」との答弁がありました。

 地区計画を定めるという事は、地権者の財産にも関わることですから、反対する方に対しては丁寧な対応が必要です

 国立市としての判断としては、現在の状況では「この地域の地区計画を変更しない」という判断に至りました。

 高さ制限をして、住環境を守りたいという住民意見は理解できるところですが、慎重に対応すべきと思います。

 話は変わりますが、市報11月5日号に青柳ことぶき会の方々が市長表敬訪問をした旨の記事が掲載されていました

 これは、いざ災害時に地域公共施設を災害時一時避難所にする為の運営マニュアルを、青柳地域の老人会である「青柳ことぶき会」が定めたものです。

 地域によって「出来る」「出来ない」はあるかと思いますが、いざ災害時に備えた活動が少しでも広がればと思います

 微力ではありますが、私もこのマニュアル作成に関われたことは嬉しいところです。

 
 

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