こんにちは、昭和63年国立第三中学校卒業の石井伸之です。

本日は午前7時より矢川駅で議員有志により、本日夜に行われる議会報告会の宣伝を行いました。

一昨日に谷保駅で行った時と同様に、チラシとポケットティッシュを一緒に配布すると、多くの方が手に取ってくれます。
最初の30分で、40個ほどティッシュが入っていた紙袋が空になるスピードです。
午前8時までの一時間で宣伝は終了し、後は本日と翌日の議会報告会に多くの方が来ていただけることを祈るのみです。
午後からは、母校である第三中学校40周年式典が行われることから、そちらへ向かいました。

つい先日、夜間照明の初点灯に訪問していますので、久しぶりという感じはありませんが、母校に来るというのは良いものです。

待機場所となっている教室から校庭を眺めると、当時の景色とは大きく変わっています。
卒業してから28年という時の流れを感じざるを得ません。
式典は吹奏楽部の演奏から、開式の言葉、国歌斉唱、学校長式辞、来賓祝辞、来賓紹介、記念品紹介、生徒お祝いの言葉を続きます。
記念講演としては、アテネオリンピック柔道女子金メダリスト塚田真希氏による「夢を持ち努力することの素晴らしさ」です。
現在塚田真希氏は東京女子体育大学で柔道部監督を務められ、リオデジャネイロオリンピックでも日本女子柔道のコーチを務められます。
さて、どういった話だったかというと、塚田氏は茨城県下妻中学校に入学し、美術部に入りアーティストになりたいという夢を持っていたそうです。
しかし、同級生より様々な部活動を見る中で、柔道部の先輩に声を掛けられて入部します。
中学では県大会出場という成績から、土浦日大高校に入学。インターハイに優勝するだけあって厳しい部活動に耐え切れず挫折したとのこと。
挫折の理由としては、先輩から「弱いから来なくて良い」という言葉に心が折れる音を聞いたそうです。
そこで、先輩から「塚田は柔道楽しいか?」と聞かれ、その時は自分が弱いので楽しくないと答えます。
次に続く先輩からの金言が塚田氏を後の金メダリストへ育てます。
「まずは自分自身に勝ちなよ」
それでもその時の塚田氏は、何故自分と戦わなければならないのか分かりません。
それは、ランニングしていても「疲れた」「歩きたい」「走るのを止める」→「自分に負ける」
自分の折れそうになる心を鍛えて、負けないようにすることが大切と言われたそうです。
ここから塚田氏の快進撃が始まります。
高校三年生で全国大会優勝、東海大学入学後はフランスジュニア国際大会に2連覇、全日本ジュニアでも2連覇、世界ジュニアでも優勝を遂げてからは、世界を意識し始めたそうです。
アテネオリンピック代表に選ばれてからは、月に2回一週間の非常に厳しい合宿に耐えます。
そして、いよいよオリンピック本番では、無我夢中で戦い表彰台の一番高い場所に辿り着きます。
その達成感は計り知れないそうです。
金メダルを取って良かったことは「嵐に会えたこと」「歌を作っていただけたこと」「定食屋に入ると海老フライが一本おまけにつくこと」などと言われていました。
北京オリンピックでは、アテネよりも充実していました。
決勝でもポイントを取り、優位に試合を進めていましたが、残り8秒で悲劇が襲います。
塚田選手が一本で勝ちたいと思い、前に出たところを、一本背負いで投げられ銀メダルに終わりました。
あと8秒前に出ず耐えていれば金メダルは確実でしたが、一本で勝ちたいという誘惑に分けてしまったそうです。
練習している時は、先が見えず、手ごたえも無く、自問自答に陥るかもしれないが、自分を信じて積み重ねること「自分に負けないこと」が大切と言われました。
最後に中学での武道必修化について話されていました。
武道は、相手を直接攻撃できるスポーツです。
投げられることの痛みを知ることで、相手を投げる時には少しでも痛みが無いように腕を引くなどの工夫をするようになります。
相手に極力痛みを与えない様にする、心を養うことが、武道必修化の目的と言われていました。
短い講演でしたが、人として大切な部分が凝縮されていたように感じます。
何かを成し遂げた方々の話は、自分としても生きる指針になります。
今後ともこういった式典には、極力出席したいと感じる素晴らしい式典でした。

本日は午前7時より矢川駅で議員有志により、本日夜に行われる議会報告会の宣伝を行いました。

一昨日に谷保駅で行った時と同様に、チラシとポケットティッシュを一緒に配布すると、多くの方が手に取ってくれます。
最初の30分で、40個ほどティッシュが入っていた紙袋が空になるスピードです。
午前8時までの一時間で宣伝は終了し、後は本日と翌日の議会報告会に多くの方が来ていただけることを祈るのみです。
午後からは、母校である第三中学校40周年式典が行われることから、そちらへ向かいました。

つい先日、夜間照明の初点灯に訪問していますので、久しぶりという感じはありませんが、母校に来るというのは良いものです。

待機場所となっている教室から校庭を眺めると、当時の景色とは大きく変わっています。
卒業してから28年という時の流れを感じざるを得ません。
式典は吹奏楽部の演奏から、開式の言葉、国歌斉唱、学校長式辞、来賓祝辞、来賓紹介、記念品紹介、生徒お祝いの言葉を続きます。
記念講演としては、アテネオリンピック柔道女子金メダリスト塚田真希氏による「夢を持ち努力することの素晴らしさ」です。
現在塚田真希氏は東京女子体育大学で柔道部監督を務められ、リオデジャネイロオリンピックでも日本女子柔道のコーチを務められます。
さて、どういった話だったかというと、塚田氏は茨城県下妻中学校に入学し、美術部に入りアーティストになりたいという夢を持っていたそうです。
しかし、同級生より様々な部活動を見る中で、柔道部の先輩に声を掛けられて入部します。
中学では県大会出場という成績から、土浦日大高校に入学。インターハイに優勝するだけあって厳しい部活動に耐え切れず挫折したとのこと。
挫折の理由としては、先輩から「弱いから来なくて良い」という言葉に心が折れる音を聞いたそうです。
そこで、先輩から「塚田は柔道楽しいか?」と聞かれ、その時は自分が弱いので楽しくないと答えます。
次に続く先輩からの金言が塚田氏を後の金メダリストへ育てます。
「まずは自分自身に勝ちなよ」
それでもその時の塚田氏は、何故自分と戦わなければならないのか分かりません。
それは、ランニングしていても「疲れた」「歩きたい」「走るのを止める」→「自分に負ける」
自分の折れそうになる心を鍛えて、負けないようにすることが大切と言われたそうです。
ここから塚田氏の快進撃が始まります。
高校三年生で全国大会優勝、東海大学入学後はフランスジュニア国際大会に2連覇、全日本ジュニアでも2連覇、世界ジュニアでも優勝を遂げてからは、世界を意識し始めたそうです。
アテネオリンピック代表に選ばれてからは、月に2回一週間の非常に厳しい合宿に耐えます。
そして、いよいよオリンピック本番では、無我夢中で戦い表彰台の一番高い場所に辿り着きます。
その達成感は計り知れないそうです。
金メダルを取って良かったことは「嵐に会えたこと」「歌を作っていただけたこと」「定食屋に入ると海老フライが一本おまけにつくこと」などと言われていました。
北京オリンピックでは、アテネよりも充実していました。
決勝でもポイントを取り、優位に試合を進めていましたが、残り8秒で悲劇が襲います。
塚田選手が一本で勝ちたいと思い、前に出たところを、一本背負いで投げられ銀メダルに終わりました。
あと8秒前に出ず耐えていれば金メダルは確実でしたが、一本で勝ちたいという誘惑に分けてしまったそうです。
練習している時は、先が見えず、手ごたえも無く、自問自答に陥るかもしれないが、自分を信じて積み重ねること「自分に負けないこと」が大切と言われました。
最後に中学での武道必修化について話されていました。
武道は、相手を直接攻撃できるスポーツです。
投げられることの痛みを知ることで、相手を投げる時には少しでも痛みが無いように腕を引くなどの工夫をするようになります。
相手に極力痛みを与えない様にする、心を養うことが、武道必修化の目的と言われていました。
短い講演でしたが、人として大切な部分が凝縮されていたように感じます。
何かを成し遂げた方々の話は、自分としても生きる指針になります。
今後ともこういった式典には、極力出席したいと感じる素晴らしい式典でした。