■2021.10.05 この時期「栗」を食べないと秋は始まらない。
そこで栗きんとん発祥の地として、また栗処として知られる岐阜県の中津川へロングドライブ。
まずはサムライロード(中山道)馬籠宿の外れにある「栗のこわめし」で知る人ぞ知る「樹梨」を目指す。
ほぼ毎年この時期に訪れているが不定期で休みの場合がある。特に今は確認が必要で途中でTELを入れ営業していることを確認。(今年の春に木曽路を歩いた時はやっていなかった。)
11:30頃 とうちゃこ。
新そばもたべたいので「栗のこわめし」と「ざる」のセットを注文。
栗の自然な甘みでおこわが美味しい。また蕎麦も良い感じのゆで具合で歯ごたえのバランスが良く鼻に抜ける蕎麦の香りが絶妙。
近くに十返舎一九の狂歌碑がある。
「渋皮の剥(む)けし女は見えねども栗のこはめしここの名物」
すぐ近くの中山道馬籠峠、一石栃立場茶屋へ。
一石栃白木改番所跡
檜、サワラなどの木曽五木をはじめとする、伐採禁止木の出荷を監視していた番所の跡地。当時は無断で木曽の木を持ち出すと「木一本首一つ」といわれるほど罰則が厳しかった。もとは妻籠の下り谷にあったが、寛延2年(1749)の山崩れにより一石栃に移され、以後統制は明治2年(1869)の藩籍奉還まで続いた。現在は木の柵が復元されている。
そしてお目当ての一石栃立場茶屋。
一石栃の白木番所の南側にある。一石栃は馬籠宿と妻籠宿の間にあり立場茶屋が設けられていた。往時には7軒ほどの家があり栄えていたが今ではここにある牧野家1軒だけが残されている。牧野家住宅は江戸時代後期の建物。
茶屋の前などに八重の枝垂れ桜がありこの地方で一番最後に咲く。
今年の春は調度見頃だった。↓
そして立場茶屋の中へ、古くから旅人が疲れをいやす休憩地として栄えたところ。現存する建物で無料休憩所として旅する人を温かく迎えてくれる。
管理の方にお茶と漬物を接待いただき、楽しい会話が始まる。
この建物は江戸時代中期の建物で間口はもっと広かったらしい。この時期賑わいは少なくなったそうだ。
格子窓から指す光が囲炉裏の煙と相まって幻想的な趣を演出。
結局30分程長話をしていた。その間誰も来なかった。
そして馬籠宿へ向かい散策。静かで落ち着きます。
平日なので営業しているお店は半分程度。
それでも栗きんとんの「川上屋」は⭕。
早速、お茶と栗きんとんを注文。軒先の縁台でいただく。
常滑焼の朱泥の湯呑にHARIOの急須で我家の茶器と同じなのでゆっくりいただけた。
馬籠宿を後にして落合宿との間にある、新茶屋と言う場所へ。
落合の石畳(左上と右下)
昔のままの石畳を撮影した
新茶屋の芭蕉句碑(右上)
中山道沿いの民宿新茶屋前に建てられている句碑で
自然石の表面に
「送られつ送りつ果は木曽の龝(あき)」
と刻まれている、天保13年(1842)建立。
是より北木曽路碑(左下)
新茶屋の休憩施設がある中山道東側に建つ。表面には「是より北木曽路 藤村老人」と刻まれている。昭和15年7月、当時68歳だった藤村が地元の要請によって揮毫した。この碑は藤村記念堂落成10周年を記念して、昭和32年にふるさと友の会によって建立された。
この石碑は私と同級生ですね。だから木曽路を歩きたくなったのかもしれない。
昨日は家で「モンブラン」を食べ。
今日は「栗のこわめし」と「栗きんとん」
帰宅したら妻の友人から「栗」が届けられていた。
あれまあ栗・栗・栗・栗ですね。
そこで栗を題材にした俳句を探し気に入った句を一つ。
栗のいが鼠の穴をふさぎけり:正岡子規
正岡子規はテニスに関する俳句もあったな?
蒲公英(たんぽぽや)やローンテニスの線の外
山の句は・・・あるかな?
山の温泉(ゆや)や裸の上の天の河
正岡子規恐るべし。
今日は絶好のドライブ日和でした。