西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

生きる作法、死ぬ作法(山折哲雄講演より)

2007-01-08 | 生活描写と読書・観劇等の文化
夕べ、ラジオ「講演会」で宗教学者の山折哲雄さん(東北大出身、国際日本文化研究センター長歴任、75歳)の「生きる作法、死ぬ作法」を聞いた。まあ宗教学者らしいテーマだ。色々と含蓄のある話だった。
・山折さんは、60歳代までは同級会に行かなかったが70歳代になって行くようになった。皆の話を聞いていると、「老・病・死」に関する話で盛り上がり、「生前葬」の趣である、と言う。
・信長の時代からごく最近まで「人生50年」だったのが、ここ数十年で、寿命が20~30年延びた。老・病・死がゆっくりやってくるが、その時期における「生きる作法、死ぬ作法」のモデルがない。だから全体的に「ウツ状態」になっているのでは・・、と言う。(思い当たるところがある)
・「抗ウツ」の「生きる作法、死ぬ作法」の(山折さんの)仮説を三点述べられ、説明された。(1)歩くこと。山折さんは最近は京都の下京区に住み、朝は作務衣を着て下駄で散歩する。そこで、道元禅師御入滅碑と親鸞上人御入滅碑を発見、散歩の喜びである。(私は「人も歩けば情報に当たる」と言っている。)で、御釈迦さんはどれ位歩いたのだろうと山折さんは考えた。片道500kmを2往復していて2000kmとなる。イエス・キリストは、ナザレからガラリア湖、ヨルダン川沿いに南下、エルサレムまで150kmは歩いた。道元や親鸞は1500kmという。(そういえば、古人で長距離歩いた人が頭に浮かぶ。西行や芭蕉などである。最近では司馬遼太郎か。『街道を行く』)
話の途中で、富士山の素晴らしさや北斎・広重の「逆遠近法」、山岳信仰の話が入る。道元や親鸞の書き物には、しかし、道中に富士山を眺めたであろうに何も書かれていない。これは、何故であろうか、と問われつつ「答え」がなかった。(2)座ること(座禅)。永平寺での修行。ピンと背中が伸びた座り方、精神の明浄性の確保。サンフランシスコの禅センターでもパリに10ヶ所もある禅道場でも日本式でやっていたらしい。最近、家庭でちゃんと座る作法(座禅に限らず)が教えられているのだろうか、と問われる。(立ち居振る舞い(礼法)は確立していない、と言えるだろう)余談で、うるさい学生達を静かにさせるのに、背中を伸ばしてきちんとすわらせ、瞑想させる、と言う方法を試したことがあり、上手くいったと言う。座禅した後で飲む茶は誠に美味しいとのことだ。やってみようかな。(3)断食。宗教家の往生には断食はつきもののようだ。(死ぬ1週間位まえから「予測」して断食に入るのであろうか・・) 山折さんの「最後」の理想は、西行の「願わくは花の下にて春死なんその如月のもちづきの頃」であるという。

歩くことは、まちづくりからも前から私も推奨している。まち自体が「歩いて回れる町」であることと、町の研究でもゲデスやマンフォードのように歩いて現地主義で研究すること、である。釈迦なども単に歩いたのではなく、途中で説教し、瞑想したに違いない。歩く途中の人々とのつながり、環境とつながり(富士山に心を洗われる・・)も大切だろう。

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2 コメント

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人に優しい街づくり (ゆうぜん)
2007-01-10 01:10:14
車社会になって、便利さばかり追求されていますが、
歩いて暮らせる空間を大事にするべきですね。

顔見知りになれば自然と挨拶も出るものです。

車中心に街づくりを進めると
人と人とのつながりが薄くなるような気がします。
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そうですね (ichiro)
2007-01-10 06:45:47
車の中だけ仲良くなるのです。
歩くのは、我々が「猿」から人間になった時、最初にやったことだし、人間行動の原点ですね。
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