西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ズワイ蟹漁の解禁

2005-11-06 | 時論、雑感
11月6日「ズワイ蟹漁」が解禁された。雌は(より保護が必要なので)来年1月10日まで、雄は来年3月20日まで、である。私は日本海に面する金沢の出身なので蟹は子どもの頃、ふんだんに食べていた。特に雌蟹を良く「おやつ」に食べていた。雌の蟹は小ぶりで「香箱(こうばこ)蟹」と言われていた。ズワイ蟹(雄)は、福井県辺りでは越前蟹、山陰では松葉蟹と呼ばれている。
蟹は乱獲されて、絶滅の危機に陥ったので禁漁期間が決められたのだ。海産物は、農産物のように土地も要らず効率的食べ物である。しかし、乱獲で絶滅すれば、元も子もない。今後は、今の禁漁期間も含め資源の計画的管理が必要だろう。

故錦涛中国主席が北朝鮮訪問

2005-11-06 | 時論、雑感
故錦涛中国主席が北朝鮮を訪問した。六カ国協議にも関係し、極めて重要な歴史的訪問だ。北朝鮮(金正日総書記)は、朝鮮戦争(1950年~1953年)以来の「血の同盟」を強調したが、故錦涛中国主席は、それには触れず自らの改革開放(市場経済の導入)の成果を紹介しながら北朝鮮の(市場経済を通じての)経済発展を促す発言をしたようだ。故錦涛さんは、未だ若いのに、朝鮮関係は勿論、日本との関係も自民党や日本政府との関係は当然として日本共産党との関係までも含め深く考えているのでは、と私は思う。(一寸、買いかぶりかな?)
中国の市場経済を通じて社会主義をめざす、というのは、世界に前例のない意欲的な取り組みだ。
日本にとっては、ECではないが東アジア経済圏を、どう有効に構築するか、それは森嶋通夫さんも提案していたことでもあるが、将来、大変重要な戦略的課題と思う。

『藤森流 自然素材の使い方』の書評を読む

2005-11-06 | 時論、雑感
『朝日』読書欄で陣内秀信さんが藤森照信さんの『藤森流 自然素材の使い方』の書評をしている。まあ、藤森さん位になると、何をしても話題になるのかな。有名度で、ある「閾値」を越えると、放っておいても「右肩上がり」となる例だ。「マタイ効果」(「マタイ伝」にある「富める者は益々富み、貧しき者は益々貧しくなる・・」による言い方)とも言えるだろう。読んでも良いが、陣内さんの解説で大体の内容は分かる。藤森デザインには二つの特徴があり、自然素材を使うと言っても、第一に、構造にではなく仕上げに使うということだ。本当なら構造にも木を使って欲しい。第二に、デザインは木造と言うと数奇屋を思い浮かべるが、ずっと飛んで荒々しい「縄文」に帰るということらしい。まあ建築史家らしいと思う。
私も前から「環境とのつながり」「歴史とのつながり」も言っているので、まあ藤森さんのやっていることは、私の射程内のことかな、と思っている。

上野の西洋美術館のデザイン

2005-11-06 | 住まい・建築と庭
上野の西洋美術館は、ル・コルビュジェの設計である。四角く、ピロティもあり、いかにもコルビュジェの設計だな、と思うが、壁面仕上げにおいて、高知の桂浜で集められた石を貼り付けてあることは、注目に値する。ル・コルビュジェの日本における設計活動、思考過程の具体は知らないが、私の想像では、日本に来て日本の圧倒的な「自然」にふれて、全く人工的なコンクリートむき出しは拙いと考えたのではないか。そこで、元々「貝」なども好きなコルビュジェのこと、海岸に打ち上げられた自然石を壁に貼り付けようとしたのではないか。何だか、最近の自然石ブームと一脈を通じる話かもしれない。

国連ビル誕生秘話を見る

2005-11-06 | 住まい・建築と庭
ニューヨークに造られた国連本部ビル(事務局棟が39階)の設計は、戦後11人の建築家の協同作業の末、つくられた。NHK衛星TVでそのプロセスのあらましを見た。設計主任は、ウォーレス・K・ハリソン、その下に11人の建築家が集まった。イギリスのロバートソン、フランスのコルビュジェ、ソ連のバソフ、中国のリャン、スウェーデンのマルケリウス、ブラジルのニーマイヤー等だ。最初から、ル・コルビュジェが「リード」したが、設計主任のハリソンは40数回の会議の過程で若いオスカー・ニーマイヤーの案を中心に妥協点にもっていく。ただニーマイヤーは、コルビュジェの弟子であり、コルビュジェが自分の案をニーマイヤーの案に「圧力」をかけて忍び込ませたようだ。この番組で「へ~」と思ったのは、中国のリャンが唯一ビルの広い面を南面させた案を出したこと(私にとっても普通の考え・・)、しかし他の西欧建築家は、事務局、総会場、理事会等の会議場を南北に並べている(建物の広い面は東西に向いている)ことだ。現存のオスカー・ニーマイヤーは、原案の建物と建物の間にあった広いオープンスペースがル・コルビュジェの「圧力」でなくなったのは、「間違いだった、今ならそういうことはしない」と述懐しているのも興味深いものだった。

旧型ダブル・デッカー引退

2005-11-06 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
ロンドンの旧型二階建てバス(Double Decker)が来月から姿を消すようだ。車掌が乗った後ろから乗り降りする奴だ。時に転落事故を起こしたり、高齢者や身障者に乗りにくい等で低床の新型ワンマンバスに置き換わるようだ。淋しい気がする。古い車両がなくなる時は何時もそうだろう。京都の市電が廃止になる時は、最後の夜に「北大路車庫」付近に見に行ったことを思い出した。
旧型バスはコベント・ガーデンの交通博物館に置かれるのかな。(来年、行ったら見に行こう)買い取る人もいるらしい。そう言えば、建築家の清家 清さんが庭にJRの古い車両を置いて「書斎」にしていたことを思い出した。

森-里-海連環学

2005-11-06 | 色々な仮説や疑問
NHKラジオ深夜便「心の時代」で宮城県で牡蠣養殖をしている畑山重盛(?)さんが「森は海の恋人」という話をしていた。私もこれに関連した話をブログで書いている。(例えば10月2日)その畑山さんの話の中で、京大が最近「森-里-海連環学」を始めた、と言っていた。京大には京都・由良川上流の芦生(あしゅう)に演習林があるし(これは原生林である)、由良川を通じて海に至ると舞鶴に水産学科がある。過去に「連環」して研究していてもおかしくなかったのに、ようやく「連環」させて研究が始まったようだ。「連環」と書くのも良い。「環(わ)」と「境(さかい)」で構成される環境という考え方に連なるからだ。私も今年の5月頃(このブログスタート以前)に森の芦生に行ったし、「連環軸」の由良川は昔に一部歩いた。海側の舞鶴や宮津や天の橋立も知っている。ふとパトリック・ゲデスがスコットランドのクライド峡谷200マイルをお父さんと少年時代に歩いたことが、後に地域計画において「流域計画」という発想を生んだことを思い出した。「連環学」の先達である。由良川は150km、もう一度しっかり歩いてみたい。

ブナの木や 由良をつなぎて 若狭鯖   市路(2005年5月15日 芦生にて)
芦生ブナ 由良をつなぎて 若狭鯖   (推敲 2005年11月8日)