世に高天原(たかまがはら)というのはあるが、高の原とは何だろうと当初思っていた。とにかく高台の原っぱだからそうなのか、等と思っていた。ところが、ある時、近鉄・高の原駅から出てきて左手の足元に「碑」があって、そこに万葉集からの歌が刻んであるのに気付いた。それを読むと「秋さらば今も見るごと妻ごひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上 万葉集巻一 長皇子」とある。万葉集 巻一の最後の歌のようだ。
長 皇子(ながのみこ)は天武天皇の皇子、その昔、この辺りは野鹿が出没、互いを求めて鳴いていたのだ。そして平城京から「遊び」に来ていた 長 皇子もその声を聞いていたのだ。由緒ある地なのだな、と思う。
そう言えば、平城相楽ニュータウンの奈良側の町名に、朱雀とか左京、右京という奈良が昔、都だったことに因む名もあるが、それは厳密にはここではないのだからおかしいのではないか、という議論もあった。「つなね」コーポラティブ住宅は、朱雀二丁目である。私の「第一住宅」のある精華町側の町名は、桜が丘である。木津町側の町名は兜台、相楽(さがなか)台である。(写真は、万葉集歌碑)
長 皇子(ながのみこ)は天武天皇の皇子、その昔、この辺りは野鹿が出没、互いを求めて鳴いていたのだ。そして平城京から「遊び」に来ていた 長 皇子もその声を聞いていたのだ。由緒ある地なのだな、と思う。
そう言えば、平城相楽ニュータウンの奈良側の町名に、朱雀とか左京、右京という奈良が昔、都だったことに因む名もあるが、それは厳密にはここではないのだからおかしいのではないか、という議論もあった。「つなね」コーポラティブ住宅は、朱雀二丁目である。私の「第一住宅」のある精華町側の町名は、桜が丘である。木津町側の町名は兜台、相楽(さがなか)台である。(写真は、万葉集歌碑)