西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

世界遺産ーイエメンのシバーム

2005-11-24 | 地域居住学
私としては遅れているかもしれないが初めて聞いた都市の名だ。世界遺産、イエメンのシバームだ、乳香の里である。シルクロードと同じように「乳香の道」がローマに通じていたようだ。今夕NHKTVでやっていた。出来れば何時か行ってみたいな、と思った。16世紀頃に出来た7、8階建てまでの泥(日干し煉瓦)の高層住宅がユニークだ。玄関で履物を脱ぎ上足が裸足で日本と同じなのも興味深い。2階に家畜を飼っており、イスラム社会なので3階が男性空間、4階が女性空間と別れている。外敵から自らをまもるために身を寄せ合って高層で集積し、もし攻め込まれても高層部において互いに通じている通路が空中廊として完備していて素早く逃げることも出来るようだ。窓からは「内部」では、パリのアパルトマンと同じく向かいの泥の住棟しか見えないが、一寸外に出れば回りは大自然である。念のため。(写真はShibamの泥の高層住棟)
注・・・乳香:「カンラン科の常緑高木。また、その樹脂。葉は羽状複葉。白色または淡紅色の小花を円錐状につける。北アフリカの原産。樹脂は芳香があり、古代エジプト時代からの薫香料。」


虐(いじ)めより励(はげ)ましを

2005-11-24 | 時論、雑感
広島で又小1の女児が下校時に殺害された。去年は奈良で同じく1年生の女児が殺害されている。これで直接対応的には登下校時の「保護」が強まり、昔あった道草は益々出来なくなるだろう。昔、縦横に道草していた世代としては一寸残念である。それはともかく、この現象を考えると、弱い子どもに対して「強い」「変な」大人が「虐め」に入っているということだ。これは、冷静にみると、その大人は、更に「上」の強い力によって圧迫されているのではないか、ということである。つまり、より大きな虐めがあるのではないか。それが連鎖的に「下」に向かっているのではないか。だとすると、問題を「下」を虐めることで、「解決」するのではなく、むしろ「下」を励ますことによって人々の「つながり」、連帯を発展させることによって解決することが大切になる。特に一番「上」が考えるべきだ。単純なことだが「虐めより励ましを!」と強く言いたい。

精華町の都市計画審議会に出る

2005-11-24 | 地域居住学
今日、京都府精華町の都市計画審議会に出た。副会長をしている。会長は吉川和広先生(京大名誉教授、土木学、75歳)だ。精華町は、関西学研都市の中心自治体である。国立国会図書館関西館、厚労省関係の「仕事館」はじめ民間の研究所も多く、中心に「けいはんなプラザ」がある。今日は、地区計画を改訂して、今までは敷地ロットがha単位だったが、ベンチャー企業にも来てもらうために基本的に300㎡からOKの部分を設定するが、それで良いかという審議だった。勿論OKとなった。
ところで精華町庁舎は、写真のようだが、これを造るにあたり町民の意見が集められた。私も住民の一人として意見を言った。なるべく高層ではなく中層にしてワンフロアに多くの関連部局を集め住民が行きやすいように、NPOや住民団体も利用出来るように等を提案した。コンペで設計が行われ、審査委員長は池田有隣先生(京大建築先輩、京都工芸繊維大学名誉教授)だった。私だけの意見が作用したわけではないが、中層で図書館や交流スペースも併設していて、まあ合格点の庁舎と思っている。

伊根町の地域環境管理計画と明日香の棚田保全

2005-11-24 | 地域居住学
今日の「地域居住学Ⅱ」の講義では、西山先生の京大退官時の記念論文集に書いた論文(1974年頃『農山漁村における地域環境管理計画ー京都府伊根町を事例としてー』)に基づいて伊根町の地域環境管理計画を説明した。もう30年も前の論文だが根幹は今も大事と思って話した。話しながら「30年後の訪問」が必要だな、と思った。伊根町における「環境管理慣行」の掘り起こし、放っておくと荒廃する地域環境の「地獄絵」の予測、5W1Hを押さえた計画立案等について話したが、その「効果の点検」と共に現時点での改訂版が必要だろう。
次に、前田真子さんと共に取り組んだ10年ほど前からの明日香村・稲淵の「棚田オーナー制度」について説明した。これは来週も「続き」を話す予定。ここにも「10年後の訪問」が必要だろう。
(写真は、伊根町の舟屋)

向島ニュータウン(12)-センター商店街盛衰

2005-11-24 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウン6街区の足元に「センター商店街」があり、近商が中心になっている。別に食料品「市場」もあるが、どうにか営業していた。他に日用品の専門店が並んでいるが、殆ど前の通り営業している。余りはやっている感じがしないが・・。ただ6街区住棟1階に入っていた「大阪ガス」の営業所が閉鎖されていた。又、懐かしのレストラン「コート・ドール」(黄金海岸)は、つい最近閉鎖されたようだった。ここには、娘の誕生日だとか、外からお客が来た時など、一寸出かけても「お洒落」な感じのフランス料理店だった。前に、平城相楽ニュータウンのフランス料理店「セル・ドール」(黄金の塩)に行った記事を書いた時に言及した店が「コート・ドール」だった。(写真は、閉鎖されたばかりのフレンチ・レストラン「コート・ドール」)

向島ニュータウン(11)-「公団」6街区の問題

2005-11-24 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウン「公団」6街区は、商店街のある「センター地区」にある。高層の賃貸住宅である。見上げて「おやっ」と思った。バルコニーの鉄板が多く錆びているのだ。建てられてから30年近く経っているのだから一度も補修しないとなると錆が出て当然かな、とも思う。これは後で見た京都市営住宅の1街区でも見られた。早急に補修しなければなるまい。(写真は、向島ニュータウン6街区、バルコニー鉄板があちこち錆びている)

向島ニュータウン(10)-京都市営住宅5街区

2005-11-24 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウン1~6街区では、1と5が京都市営住宅である。今回5街区横を通ったが、外壁が他の街区のものより綺麗になっていた。恐らく最近、外壁補修がなされたのであろう。昔、この街区で、公営住宅なので入居条件として収入制限があるのだが、かなり高給の人が入っていて問題になったことがある。一定までは割り増し家賃で対応出来るが、それ以上になると退去しなければなるまい。何故こういうことが起こるかと言うと、収入が低い段階で入居するが、その後に高給になる場合、住み慣れた所から出にくい、それに家賃が安いので住みやすいということだ。日本では一般に公営住宅は、抽選で「がらがらポン」で決まっている場合が多い。イギリスでは、住宅難を客観的に調べて、困難な順に入居させていた。昔、京大建築先輩の牛見 章さんが埼玉県の部長だった時に、埼玉県営住宅で少し取り組まれていたが、あれは今どうなっているだろうか。(写真は向島ニュータウン5街区住棟)