西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

変人パフォーマー小泉純一郎さんに会う

2005-11-15 | 時論、雑感
今夕18時35分頃に京都駅八条口で新幹線から下り立った変人パフォーマー小泉純一郎さんに会った。「会った」と言ってもチラッと見ただけである。皆に手を振る姿と白髪のライオン頭が見えたのである。ブッシュ米大統領と京都迎賓館で会談のため新幹線で入洛したのだ。ブッシュは恐らくヘリコプターで伊丹から直接に迎賓館に行くに違いない。私は別に小泉さんを見たくて見たのではなく、たまたま京都駅を歩いていたら人垣に遮られて仕方なく見たのである。小泉さんは1942年1月8日生まれで私と学年は同じだ。戦後同じような義務教育を受け、大学は慶応の「おぼっちゃん」だが、恐らく1960年入学で安保闘争も目の前で見たに違いない。ブッシュさんとの関係も良好と言うが、アメリカのBSEで問題となった牛の輸入再開を「土産」に会うのであろう。長い目で人間が牛肉を食べまくると、森を草地に変えねばならず、地球環境破壊に連なっていく。今後、彼の戦略や実際の軌跡はどうなるか、興味深く見守りたい。(写真は小泉純一郎さん)

「くるこばの会」-6余禄-5「国土破壊工学」とアイヌの知恵

2005-11-15 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
「くるこばの会」は色々の人がいて面白いのだが、「農民」の方と「京大名誉教授」の人が割りと多く発言していた。京大名誉教授の先生は「自分は、むしろ「不名誉教授」だが・・」と言われつつ「今までの土木工学は、いわば国土破壊工学ではなかったか、むしろ昔から日本列島に住むアイヌの知恵に学ぶべきだ」とも言われた。恐らく上流の森をしっかりまもりダムなどやたら造らないことが海・下流から鮭が豊富にさかのぼるということ等のアイヌの知恵のことであろう。(写真は、アイヌ人)

「くるこばの会」-5余禄-4「けやき」の話

2005-11-15 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
折田弁護士が所属の事務所は「けやき法律事務所」と言う。そこの会議室で「くるこばの会」はあった。私は、話の切り出しとして、挨拶もかねて「けやき」の話をした。6月30日ブログ(「つなねの庭」)にも「けやき」が「つなね」庭の共木(きょうぼく)のトップに選ばれたことを書いている。その概略も話した。思い出して、うろ覚えだが芭蕉の「秋風やけやきの蔭に人五人」という句と、私がもじった「春風やけやきの蔭から顔五十  市路」(注:顔五十とは「つなね」23軒の住人のこと、2000年3月27日の春にオープンした)句も紹介。けやきは、秋の紅葉も春の新緑も良く、天に向かって「末広がり」なのも良い、と言っておいた。後で、折田弁護士は、もともと事務所発祥の地は御池通りであるが、地下鉄「東西線」建設のため御池通り並木の「けやき」が軒並み移された後、事務所が烏丸通りに引っ越したので、立派な「けやき」並木が移されたことが残念で、事務所の名前に残した、とのことだった。人や物への命名にも「思い出し・思い入れ」がありますね、と私は言った。(「けやき」はどちらかというと関東の木、写真は高島平のけやき並木)

「くるこばの会」-4余禄-3高木由臣さんとの会話

2005-11-15 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
高木さんとは、メールで「くるこばの会」のことで一二度連絡したが、5月の私の「退職記念会」以来会っていない。帰り道に一寸近況のことなどを話した。高木さんは、毎日、勉強や楽しみごとで忙しい、大学からの「口」がないわけでもないが今のところ、時間が惜しい、と言われた。恩師の西山夘三先生も京大退官の後、幾つも話があったのに何処にも行かれなかった理由として「仕事を進めたり、まとめたりする時間が勿体ない」ということを言われていた。そう言われると、自分は何をしてるんだ、となってくる。・・・他に、高木さんは故郷が徳島なので定年後は「四国八十八箇所には歩いて行く積り」と言っておられたので聞くと、既に何箇所か行かれたようだ。いずれ「くるこばの会」で写真を交えて話されると言う。楽しみである。(写真は「お遍路さん」、高木さんの格好や如何に)

「くるこばの会」-3余禄-2郵政民営化に向けての実像

2005-11-15 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
郵政民営化に向けての実態の紹介もあった。極端な「合理化」のためのアウトソーシング(外注、下請化)が進んでいるため、昔だったら郵便の住所があやふやで分らない所でも最後まで探し当てて配達していたのに、最近は、すぐ「住所不明郵便」で送り返されるか、その辺に転がっている、と言う。「実績主義」で何軒、何通配ったかということを強く求めると、昨年もあった年賀状廃棄事件も起こる、とのことだ。別のメンバーの「もう年賀状(虚礼)はやめようよ」との発言も実感がこもっていて心に残った。昔の国鉄、郵便局の「世界一」の正確さは、がたがたになりつつあるのでは、との溜息が漏れていた。(写真は郵政公社外務職員)

「くるこばの会」-2余禄-1折田弁護士の質問と答え

2005-11-15 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
私の『思い出し・思い入れ住居論』に対して幾つか質問があったが、折田泰宏弁護士は「「思い入れ」の真ん中を「思い出し」が支えている場合は良いとして、建売住宅にあるスペイン風とか何とかも結構売れているようだが、ああいうのはどう思うか」と聞かれた。私は、長い目で見れば淘汰されるのでは、との趣旨を言った。現在、それらを選んでいる人は、何らかの「思い入れ」で選んでいるので、とやかくいう筋合いではないだろう。Oさんが「どうせ日本では、住宅は30年未満の「寿命」だから、次に拙いとなれば変わるよ」みたいなことを言われた。確かに日本住宅のストックとフローから言えば平均してそうなるのである。私は「やはり、「思い入れ」の真ん中を「思い出し」が支えないと「思い入れ」はづっこける」と思った。(写真は洋風建売住宅例)