西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「くるこばの会」-1に初参加、話をする

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日、夕方19時から京都で「くるこばの会」があり、初参加、話をした。京都の地下鉄・烏丸御池で下りて地上に上がってくると、烏丸通りには警官が多数出て規制していた。そうだ、ブッシュ米大統領が京都の迎賓館に来るので、その事前検問だな、と思った。
ところで「くるこばの会」とは、「来る者は拒まず」ということで誰でも参加できる「異業種交流の会」で20年ほど前から続いているようだ。奈良女子大學で同僚だった高木由臣さん(名誉教授、前・理学部長、生物学、ゾウリムシの研究)の紹介である。私は「来る者は拒まず」と言えば「去るものは追わず」と続くので「くるこば さるおわの会」としたどうか、と言ってみたこともある。誰かが話題提供のサロンである。今日は新人の私である。
世話役が折田泰宏弁護士である。今日は15人ほどの参加、京大名誉教授(町内会長)、現役の京大助教授、アーティスト二人、弁護士二人、農業、歯科医、建築士二人、都市計画コンサルタント、生命保険会社勤務、専業主婦等多彩だ。私は「思い出し・思い入れ住居論」を話した。皆ビールを口にしながらの正にサロン的雰囲気で、話の途中でも質問が入ったりする。いわば私の話は「肴」で、色々「異業種、異分野からの話や質問」があって面白かった。例えば、(1)センチュリー住宅と言うが、100年、三世代も住み続ける住宅を日本で「普通」にするには、大変ではないか、(2)コーポラティブ5年(「つなね」)で移動者なしというのはたいしたもの、「固い」コミュニティに新参者を上手に迎え入れるシステムはあるのか、(3)戸建自治会(・・市)では行政が連合自治会に金をばら撒いている、家の前の溝掃除は一体誰が責任をもってするのか、(4)森と海はつながっているのではないか、(5)糞尿を活用する方法を考えるべし、大便器でも糞と尿を分離する便器の開発がある、(6)水洗便所を絶対視しないで考えるべし、といったところで今日の「落ち」がついた。次回や忘年会、新年会に行っても良いと思った。参加者の男女比も半々に近く良かった。平均年齢は50歳を越えているが、今日は若い女性が数人来て、少し平均が下がった感じだった。(写真はイメージ)

春日山原始林周りの散策雑考

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、約16kmにわたって山道を歩いたのだが、歩きつつ道中のあり方も考えた。
先ずは、道標、昔で言うと「一里塚」、イギリスなどでは「MILE STONE」であるが、それらの整備が望まれる。実際、割とこまめにあったが、単調な山道で「何処そこまであと4km」と書かれるより、もう少し短い距離による「刻み」が欲しい。「一里塚」は約4km、「マイル・ストーン」は約1.6km毎であるが、現代人は、もう少し「こらえ性」がなく、出きれば1km毎に欲しい感じだった。
次にトイレ、公衆便所である。大昔の旅なら男女とも「雉撃ち」(きじうち)で良かったかもしれないが、今は公衆便所を整備すべきであろう。家内の持っていた地図には、こまめに公衆便所が書いてあり、「注」もある。「綺麗な公衆便所」と注記されれば、そこは大抵混雑するであろう。歩いて回るまちづくり、歩いて散策の時代、地域全体で緻密にネットワークを考える時代に入った。(写真はロンドンのマイル・ストーン)

高槻市民からの嬉しい便り、高槻の売り出し

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
数日前(11月12日)のブログで平女祭の様子を書いたら、「おいしいもの見つけ隊 隊長」より反応があった。高槻市民で、高槻をこよなく愛している人のようだ。一度、ブログを覗いてみてください。http://mitsuketai.exblog.jp/
ここから高槻市市民ネットワークも少し構築できるかな、とも思う。
今朝の新聞で見ると明日香の甘樫丘東麓遺跡で蘇我入鹿の邸宅か、という建物跡地が確認されたようだが、その入鹿を撃った中臣鎌足が、一時、高槻の辺りに住んでいて、中大兄皇子の「呼び出し」で、「都」に戻ったという話を聞いたことがある。もしそうなら、高槻の歴史物語の一場面となる。キリスト教大名だった高山右近については確かに居城が高槻にあった。まあ大きな歴史物語に生活面の衣食住全てで地域の「小物語」を発掘して付加していったら面白いと思う。(画は中臣鎌足イメージ)

春日山原始林周りを16kmほど歩く-5鶯の滝におりてみる

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
途中、メインのルートを外れて「鶯の滝」を見に少し谷に下りた。後で聞くと、アフリカの太鼓を持った若者男性三人が勢い良く追い越して行った。我々は、のろのろと谷まで降りて更に行くと、水音と同時に太鼓の音も聞こえてきた。先ほど追い越して行った若者達が叩いているのであろう。「鶯の滝」に着くと、約10メートルほどの滝だった。若者達は滝つぼの前で落ちる水音にあわせて太鼓を演奏していて、変わった趣向で面白かった。後で若者達に聞くと、町中では回りに迷惑になるから、と殊勝なことを言っていた。(写真は鶯の滝)
春日山 滝つぼの前 アフリカの 太鼓を叩く 若者三人  市路

春日山原始林周りを16kmほど歩く-4奥山ドライブウエーを歩く

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
若草山頂上で昼食・休憩、久しぶりに「下界」を見ながら握り飯を食べた。正に「国見」の気分だなと思った。遠くに生駒から南方に高い二上、葛城の山並みが見え、奈良は誠に広い盆地なのだなと思う。右手に私達の住む平城・相楽ニュータウンの木津、精華町の給水塔、真ん前に平城宮跡(大極殿復元仮屋も)が見えている。今日は霞がかかって左手の盆地内部はうっすらしている。
若草山 登りて見れば かすみ立つ 盆地の民の 行方如何にと 市路
(裏に「高き屋に登りて見れば煙立つ民の竈は賑わいにけり」)

昼食・休憩後、奥山ドライブウエーを歩いて、目標最終地の破石町(わりいしちょう)バス停を目指した。13時過ぎから16時半までの3時間半の「長征」ともいえる「歩き続け」だった。足が棒になった。奥山ドライブウエーは一時、環境破壊と批判され自動車禁止だったようだが、現在は、1900円で開放しているが、歩行者優先で徐行運転となっている。歩いている人多数に会った。山歩きのエチケットか「こんにちわ」と声をかけあうのも気持ちが良かった。車は、高円山(たかまどやま)の方に抜けるが、我々は途中から右手(西)に折れて下山した。(写真は、絡む樹木)

春日山原始林周りを16kmほど歩く-3問題点

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
樹木は、光合成で生長する。だから先ず太陽の光を受けることを確保する必要があり、最初は上に伸びて太陽の光を確保してから横に太ることに移る、と前迫さんの説明を聞いて「なるほど」と思った。だから見上げると高木の上の方に葉っぱが多い。春日原始林は落葉樹と常緑樹が混じっているので落葉高木が葉を落とすと、日の光が地表に達して、発芽した幼木はそれを受けて一生懸命伸びようとする。
だから普通の原生林では、高中低木が、うまくミックスしていると言う。ところが春日原始林では、前迫さんも調査研究で分かってきたことらしいが、春日原始林内外に生息する千頭以上の鹿が低木の葉っぱを食べるので、多くの低木は枯れてしまい、鹿の嫌いな馬酔木(あしび)とかイヌガシ等と、崖に発芽して鹿に食べられるのを免れたもののみ成長する、とのこと。これが続くと植物生態学からは豊かな樹木構成が崩れて問題だ、とのことだった。鹿の個体制限の段階かな、と思った。(写真は、若草山頂上での前迫さんの問題点の説明)
春日山 原始の森や 鹿困る  市路

春日山原始林周りを16kmほど歩く-2豊かな樹林

2005-11-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
私は、原生林と言うと(ここでは「原始林」と言っている)、この5月に由良川上流の京大芦生原生林に行ったことがある。京大建築学科卒業41周年の同期会ツアーだった。そこでも体験したが、ブナ科の樹木を中心に高中低の多様な樹木が鬱蒼と生えていて、見事に空間を住み分けていた。春日原始林でも同じ印象を受けた。元々ここは春日大社の背後にあり、春日大社の「神域」だった。400メートル台の山である。山道を若草山頂上を目指してゆっくり説明を聞きながら2時間かけて登った。アセビ、イロハモミジ、イヌガシ、ナギ、モミ、ウラジロガシ、カゴノキ、カヤ、イチイガシ、ヤマザクラ、ツクバネガシ等々が生えている。巷の雑音が消え、小鳥達の鳴き声を聞きながら、木漏れ日の中を進むのは誠に気持ちが良い。森林浴とは、こういうのを言うのかな、とも思った。
思い出し:抱きつきしブナの大木温かき 市路(5月の芦生原生林にて)