西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

大阪・梅田の歩道橋

2005-11-26 | 京都の思い出(学生時代)
世に「歩道橋の日」というのがあるらしいが、それは1963年(昭和38年)4月25日、大阪駅前に日本初の歩道橋が完成したことに由来している、と言う。
しかし、実は日本で最初の歩道橋は大阪のそれではなく、1959年(昭和34年)6月27日に愛知県西枇杷島町(にしびわじまちょう)を走る国道22号線(現在は県道67号名古屋祖父江線)に造られたものが日本初だったようだ。
思い出すと、私が大学4回生か大学院1回生の時に梅田に見学に行った。どちらの日付か判然としない。というのは、上の情報では1963年だから私の4回生だが、実際の梅田の歩道橋には、寄付した松下電器の名とともに、その日付として1964年10月となっていて、それだと私の大学院1回生の時だからだ。とにかく、その時、「へ~」と思うと共に歩道橋の「根元」で老婆が一人座り込んでいるのを目撃して、一瞬にして「これは駄目だ」と思ったことを覚えている。後で冷静に考えると、馬力の弱い人間が「えっちらおっちら」上下して、馬力の大きな自動車が真っ直ぐスイスイ行くのはおかしいということである。その梅田の歩道橋を見た後で、自民党の福田赳夫さんと日本共産党の宮本顕治さんが「交通安全のため歩道橋を造るべし」で意見一致した政治座談会をテレビで見たことも覚えている。(写真は、梅田の歩道橋)

向島ニュータウン(17)-向島駅のエレベーター設置

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
近鉄・向島駅は改札が「空中駅」であるが、地表から駅には、今は階段とエスカレーターで上がっている。ところが、車椅子などで駅にアプローチしようとすると、地表から駅改札へと、そこから駅ホームへの両方でエレベータが必要となろう。向島駅では、現在、それらは工事中である。この近鉄沿線では、可能な所はエレベーターを鋭意設置している。我々の現在住む最寄りの高の原駅では既にエレベータは設置された。だから、前に関空に行った時も楽だったのだ。これらを運転する電気エネルギーは、無駄ではないのか、のチェックが必要なのは論を待たない。(写真は、外から向島駅改札へアプローチのエレベーター工事)

向島ニュータウン(16)-鉄錆(てつさび)

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウンの6街区のバルコニー鉄板の錆について紹介した。5街区では補修したようだが、1街区でもバルコニーに鉄錆が出ていた。ニュータウンを歩いて近鉄・向島駅に戻ってくると、バス停の覆いの鉄ポール、歩道と車道の間の鉄柵、それらに凄い鉄錆が出ていた。これら共通空間においても、早急に何とかしないといけない。これは向島ニュータウンだけの現象だけでなく、高槻市などでも見られ、日本全国の普遍的現象ではないだろうか。皆さんの回りではどうですか。
(写真は、向島ニュータウンのバス停回りのの赤錆)

向島ニュータウン(15)-中央公園の紅葉とスケッチ

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウンの中央公園の紅葉は綺麗だ。今回行った時も落葉樹が紅葉していた。ふと見ると、一人の住民が、紅葉のスケッチをしているのが目に留まった。聞くと、私と同じ位に住み始めたようだ。もう定年後で、悠々と風景スケッチをしているのだった。近鉄・向島駅の近くで、横に人工河川の別の滝と池があった。
ただ、ポツンとスケッチしているのは、やや淋しい風景でもある、と思った。
(写真は、向島ニュータウンの紅葉と住民のスケッチ)

向島ニュータウン(14)-京都市立向島図書館

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウンの地域公共施設は、京都市立向島図書館ではないか。私が住みだしたころ、2街区と5街区の間にやや広い空地があった。私がイギリスの留学から戻った1983年頃に、ニュータウンの近くで「暴力団」の発砲事件があったりして地域の雰囲気は余り良くなかった。その頃に、この空地の使い方が問題となってきた。私は、もう少し文化的な雰囲気を出すべく、イギリスで地域に多数あった図書館のことを思い出し、伏見区に既に図書館はあったが、ロンドンの良く似た大きさのバーネット区には10以上の地域図書館があることなどを示して、図書館が良いのでは、と『京都新聞』に投稿した。そのことが、どの程度効いたか分からないが、現在ある図書館が出来たのである。(写真は、京都市立向島図書館)

向島ニュータウン(13)-中央公園

2005-11-26 | 京都の思い出(松ヶ崎、向島時代)
向島ニュータウン6街区の商店街・広場の辺りから近鉄・向島駅に向かって、一番南の宇治市との境にある公営の1街区と先に話した分譲の2街区の間に、中央公園が帯状にある。林の中に散策路をとり、その中心点あたりから東西両方に人工の川を流している。人工川は、それ以前に公団の平城ニュータウンの第二団地でも試みられていた。今から30年ほど前には、人工であっても「河川」が近くにあることが住宅地の「住み良さ」の一つの条件だった。ただ「人工」だから井戸水を汲み上げ循環させるなどの工夫をしていた。それと、絶えず流していないと水路は汚くなる。向島でも、鉄分が滝の石について事実、汚くなっている。散策路を歩きながら、人工河川の管理と改善のあり方を真剣に考える時だな、と思った。(写真は、向島ニュータウン人工川の滝)

羽衣国際大学人間生活学部開設記念講演会へ

2005-11-26 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
今日は、平安女学院大学生活環境学部長としての「近所付き合い」で、羽衣国際大学人間生活学部開設記念講演会へ行った。南海沿線の羽衣駅の近くだ。難波から急行で堺の次の停車駅で約15分、便利な立地だ。「近所付き合い」で来たのは私ぐらいだ。大阪教育大学のK.先生は、来年からここに勤めるので、来ておられた。人間生活学部は、この4月に開設、人間生活学科一つで、中に食物栄養学専攻(管理栄養士受験資格コース)、介護福祉学専攻(介護福祉士コース)、生活マネージメント専攻の三専攻を設置している。色々実情の一端を聞いて「参考」になった。
講演は、阪大教授の生田香明さんで演題は「『人間力』の回復をめざしてー子どもの身体能力と脳の発達からー」というものだった。子どもの3,4歳及び8,9歳の辺りに脳が発達する時期があり、それらの時に走り回ったり、ボールゲームをしたりしておかないと後々上手くいかないと言う。(昔から「三つ子の魂、百まで」と言うし、私の体験からも小学校3、4年がポイントだ)人間、二本足になって脳も発達させてきたが、最近は二本足で立っても5本指がきちんと地面について体重を支えている子ども達は調査によると半分ほどとのことだ。これを18歳の大学入学から4年間で修正するのは並大抵ではない、と思った。