西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

思い出す先生方ー大学編(2)多田政忠先生(物理学)

2005-11-29 | 京都の思い出(学生時代)
京大1回生の時のクラス担任が人文地理学の藤岡謙二郎先生だったが1961年に2回生になり、京大本部の向かいの吉田分校(旧制三高)に通うようになり、クラス担任は多田政忠(ただまさただ)先生となった。物理学の先生だった。教科書も書いておられる。温厚な先生だった。同級の加藤はつひこ君(日立製作所から湘南工科大学教授へ)が名付け親でフランス語の「ヌパンザンコール」というクラス会誌が発行されたが、そこに担任の多田先生が巻頭言を書いておられる。多田先生は、実は日本でノーベル賞を最初に受賞した湯川秀樹先生と、旧制・京都府立一中(現・京都府立洛北高校)、旧制・三高、京大理学部物理学科とづっと同級だったのだ。湯川先生は喫茶・進々堂で見かけたことがあるのは前に書いたことがある。(8月8日のブログ)(写真は、多田政忠先生の同期・湯川秀樹先生若い頃)

アムステルダムの自転車道

2005-11-29 | 奈良の思い出(助教授時代)
LRTのことを考えていたら、自転車道も思い出した。私が最初に海外旅行したのは、33歳、1974年の夏であった。京大から奈良女子大に移った年である。木村春彦先生(当時、京都教育大学教授、国土研理事長)が旅行団の団長で、私が幹事で国土研から初めてヨーロッパにダム崩壊現場を調査する目的で出かけたのだ。当時は未だアラスカまわりで、アムステルダム近郊のスキポール国際空港で下り、アムステルダムにも行った。その時、初めて自転車専用道路を見た。早速、自転車を借りて市中を乗り回したことを思い出した。日本の交通システムと違うので戸惑い、危ないこともあった。オランダは、それより10年ほど前に絹谷祐規(きぬたに・すけのり)先生(1964年当時、西山教授の下の助教授)が交通事故で亡くなられた地である。私がアムスで初めて自転車道を走ってから31年も過ぎてしまった。(写真はアムステルダムの自転車)

市電(LRT)の復活へ

2005-11-29 | 地域居住学
今朝の『毎日新聞』大阪本社版では、堺市にLRT(ライト・レイル・トランジット)が将来導入されることを記念してのシンポジュームを特集している。広島では既に走っている形であり、富山も導入するようだ。京都でも検討と言う。北側国交相も「支援したい」と言っている。私は金沢市で市電に乗って町を覚えたし、京都の学生時代も市電に乗っていた。先輩の広原盛明さん(現・龍谷大学教授)が事務局長で「京都の市電を守る会」で運動したが、残念ながら廃止された。今回のは見直し検討で、結構と思う。金沢でも是非「復活」検討して欲しい。LRTは昔の市電より色々技術革新で前進している。建設費用が地下鉄に比べ格段に安い、低床で高齢者・身障者も乗り降りしやすい、連結して多くの乗客を運べる、電気効率も良く音も静かだ等々だ。ヨーロッパの事例が昨年NHK衛星テレビで連続放映されていた。フランスのストラスブール、スイスのチューリッヒ、オランダのアムステルダム、イギリスのマンチェスター等だ。新聞では、ドイツのカールスルーエも上がっている。来年行くときには、これらも計画に入れたい。これで、私の考える都市の交通としては、先ず安全に楽しく「歩くこと」の確保、自転車道、諸種のバスサービス、LRTそして基幹公共交通の段階構成となり、自動車は「補助的」に活用する、という構想となっていくだろう。(写真は、ストラスブールのLRT、「LRTのある風景」より引用:http://www.sunloft.co.jp/gallery/lrt/menu.htm)

京都国際会館

2005-11-29 | 訪問場所・調査地
京都国際会館(京都国際会議場)には何回も行ったし色々の思い出がある。まず、学生時代に西山研で設計コンペに出す図面描きの手伝いをした。「西山夘三先生の思い出」ブログに書いた。落選で東大の大谷幸夫先生の案が当選だった。私が京大助手の時、西山先生の還暦祝いをここでした。西山先生の赤いベレー帽姿を思い出す。奈良女子大助教授の時、水俣病患者の住宅改善について国際研究集会(HESC)で初めて英語で発表した。その時の司会が東京工大教授の華山 謙さんだった。(彼は、その後、自殺した。残念だった!)京都府立大学名誉教授(仏教大学教授)だった京大建築西山研先輩の吉野正治先生を偲ぶ会が行なわれた。そして昨年8月、国際家政学会(IFHE)が行われ、不肖私が実行委員長だった。今後も色々あるに違いない。(写真は京都国際会館)