かぶれの世界(新)

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忙しい1日

2019-01-19 22:55:23 | 日記
朝食後に何時ものように洗濯物を干し皿洗いを終わって一息つくと、家内と息子は近くのシネコンに映画「ボヘミアンラプソディー」を見に行った。私は誘われたが断った。半日映画で潰したくなかった。と言っても大したことをした訳ではない。

ネットを使って昨日から今朝までのマーケット状況を検索し、今年になって回復した市況のお蔭で昨年後半の大損の一部を回復したのを確認した。朝ベッドの中で昨日のNY市場は300ドル以上上昇したと聞いていた。私の予測とは随分違っているが悪いニュースではない。だが、まだ先は長い。

そのあとテレビの前に座り込んでスマホを操作しながら全豪オープンテニスの中継を見た。大阪なおみ選手が第1セットを失ったが2セット目の途中から立て直し台湾の選手に逆転勝ちした。普段ニュースでしか見ないテニスだが、いざ見始めると大阪選手のプレーに熱中して最後まで見た。

その後昨日の残り物のおかずに冷凍ご飯を解凍して、インスタント味噌汁で軽く昼食を済ませた。午後からのバドミントン練習の準備をしながら、全豪オープンの次の試合を見ていると家内と息子が帰って来た。映画は期待通りで楽しんだ様子だ。

午後からのバドミントン練習の参加者は若干少なめの20人足らずで、ゲームとゲームの間の時間が短く忙しかった。今日は仲間の一人が足指の筋肉のけいれんで転倒し途中退場、もう一人が終盤になって貧血でめまいがしてコート外の床に寝転がった。

幸い二人とも大事には至らなかった。私は両方とも経験があり、彼等も平等に年を取ったとしみじみ思った。特に最近ふくらはぎではなく足指が痙攣するようになって気になっていたが、私だけではないと思うと秘かに安心した。

練習が終わり自宅に戻り、先ずは洗濯物の取り入れ、次にシャワーを浴び、家内が買ってきてくれたラースバーガーを半分食べた。落ち着くと今度は卓球の日本選手権の準決勝の中継を見た。実はテニスも卓球もテレビ中継を見た記憶がない。しかし最近は若い選手たちが世界トップレベルになり注目していた。男女とも大熱戦で面白く最後まで見た。

中継が終わると家内の注文でYoutubeでクィーンのアルバムを聞きながら夕食の準備の手伝い。食事をしながらニュースを見て、その後人気のNHK番組「ブラタモリ」を見た。先週に引き続きローマ編で、我々にはよく出来た歴史の勉強になった。水道の施設が教会になったとは、石の文化だ。

こんな具合でぼんやりする時間がなく次から次へと時間が過ぎて行った。忙しい1日だった。1日中何かしてた。何故こんなろくでもないことを延々と描いたかというと、最近何もせずぼんやりする時間が増えたと思ったからだ。多分年のせいだろう。■
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我が家のシェアリング・エコノミー

2019-01-18 21:40:15 | 日記・エッセイ・コラム
16年前に早期退職してから私の衣料費が激減した。最近では下着以外は殆ど子供の着古しを着ている。我家では「お下がり」の代わりに「お上がり」と呼んでいる。私はボロボロになって家内から待ったがかかるまで着る。それでも捨てないで家では着る。外出時に家族の失笑を買い、嫌がられる。

長男が我が家を出て都心で住むようになり、私に譲ってくれたトレーナーやジャージー等出身大学名の入った運動着は今も時々使っている。私はその大学と全く関係のないが気にしない。米国在住時には地元大学UWのマークの入った帽子で山歩きをした時、卒業生らしき中年男性に嫌味を言われたことがある。彼にとっては誇り高き象徴なのだろう。だが、お店で買ったもの、知ったことじゃない。

「お上がり」こそ我が家バージョンのシェアリング・エコノミーだと私は思う。家族はその話には乗らないが、私から見れば同じような節約をしている。それは子供服だ。7年前に生まれた長男の最初の子供から、3年前に生まれた長女宅で子まで、3人が順に同じ服を着てる。

昔は違った。例えば子供の頃は大きめのズボンを買い、成長に従い裾を調整して着た。調整後のズボンの裾が妙に新しく直ぐに見分けられた。子供の頃の写真を見ると足首あたりだけ妙に色がはっきりしたズボンを履いている。皆そうだったから変なズボンでも恥ずかしい思いをした記憶はない。

今はピッタリの服を買って着せるから、成長に従いどんどん子供服が増えていく。しかも祖父母などからプレゼントされる。私から見ると新品のままサイズが合わなくなってタンスの肥やしになっていく。弟がお下がりを着て、更に年下の従兄弟が着ることになる。良い習慣だと思う。

家内は一番下の子は二代続いたお下がりを着るのは可哀そうだと言うが、着れるまでずっと着ればいいじゃないかと私は思う。だが、孫達の一人でも女の子がいれば話が違ってくる。私達もそれを期待していたが、これだけは神のみぞ知るだ。

究極のシェアリング・エコノミーは子供達が小学生の頃から使っていた学習机だ。新居に移っても長男が使っていたラジカセと連携させて、私の典型的な学習机を仕事机に使っている。会社で使っていた普通の事務机より色々な仕掛けがあって、見かけ安っぽいがとても便利なのだ。■
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英米の混乱は自業自得、だがEU離脱せずと予測

2019-01-17 18:48:10 | ニュース
混乱する米英
英国のEU離脱案が英議会で大差で否決されたとのニュースが昨日から世界を駆け巡った。日本経済新聞は「出口無き混迷」とか「英議会、機能不全鮮明に」などとトップで伝え、一方の英BBCは信任を得て続投するメイ首相が超党派の協力を呼びかけたと報じた。国民投票の結果を受けて開始した「愚かなEU離脱」が、惨めなほどに英国を混乱させているように私の目に映る。

他方、最大の同盟国だった米国も国民の支持を受けて「愚かな大統領」を選び、国境の壁を巡って予算が成立せず史上最長の政府閉鎖が続き、80万人の政府職員が給与未払いの混乱が続いている。だが、最大の争点は大統領弾劾に繋がる恐れのあるロシア疑惑捜査をあの手この手で止めさせたい大統領の悪あがきだ。それでも大統領支持率が微増して40%以上になったというから驚きだ。

愚かな判断が招いた自業自得
数年前なら第2次世界大戦後の世界をリードして来た米英がこんな惨めな混乱に陥るとは予想も出来なかった。全ては国民の愚かな判断から始まり、自業自得で苦しむだけでなく世界を巻き込み悪影響をバラまいている。私にとって衝撃的だったのは、愚かな判断をした明確な理由(格差拡大)があっても、それがギリシャやベネズエラではなく戦後世界のリーダーの英米だったということだ。

米国の混乱について復元力の強さを既に投稿した。今回は英国の混乱について私の予測を紹介したい。

冷静だった市場
近世以降の世界史の中で英国は常に現実的な判断を下し強国の地位を保ってきた。基本は現実主義だ。なのに何故こんなEU離脱の様などう考えても損な(非現実的な)判断をして突き進んでいくのか。だが混乱と喧噪の中で実は冷静な判断をしている連中がいる、その名は「マーケット」だ。 

言い換えるとお金を持っていて何があっても損しない様に冷酷に状況判断をしている人達の集合知だ。これだけ大騒ぎすれば世界の市場は暴落しても可笑しくないのだが、EU離脱案が否決されても市場は落ち着き静かなものだった。寧ろ前向きな評価をした専門家もいたというから驚く。

現実主義的DNA
即ちこの状況では英国の選択肢は狭まった、EUに離脱延期申し入れをするしかなくなった、と市場は判断した。ホリエモン風に言うならEU離脱案の否決は想定内の出来事だった。だが、労働党はこの状況を利用して政権奪取を図る党利党略を優先しており、市場判断とは異なる動きを見せている。

果して、市場が期待する方向に英国の政治は動いて行くだろうか。私の予測は徐々に英国の現実主義的DNAが働き、「離脱が先送りされ再び国民投票が実施され或いは政権交代で回避される」とみる。但し、それは条件付きの予測だ。離脱先送りや撤回はEUがどう動くかも大きく関係する。

EU首脳の本音
見かけEUは強硬な姿勢を保っているが彼等も「合意無き離脱」のダメージを恐れており、英国が問題なくスムーズに離脱することを望んでいる。その為にはメイ首相が国内を上手くまとめて延期を提案しなければならない。どうすればいいか、彼女はその器かどうか私は分からない。

もう一つ地政学的な食い違いがある。東欧諸国のEU離反を誘発する恐れがあるとし、国内対応に苦慮するフランスは英国の離脱に厳しい対応を求めている。一方ドイツは英国の決定的な離反を避け、EUの一体感を強めてトランプ大統領に対応しようとしている様だ。

英国はこの状況を生かしてEUと話し合う余地が残っている。そして、最終的に英国は現実的な判断をすると私は予測する。予測であり、希望だ。■
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私的CES盛衰記 歴史は繰り返す

2019-01-14 21:48:50 | デジタル・インターネット
北米国際自動車ショーがその時々の重要なテクノロジーを展示するCES(家電見本市)に乗っ取られ、来年から開催時期を6月に変更する報道に接し、私の経験を交えいささか感傷的な記事を昨日投稿した。実際、CESのメインテーマは今回大きく様変わりしたようだ。

今朝の日本経済新聞はファイナンシャルタイムズ(FT)の記事を転載し、アルフレッド・スローンGM社長が使い捨てを前提に毎年モデルチェンジする自動車業界を例に挙げ、技術が陳腐化したアップル社のスマホの売り上げがここにきてスローダウンしたと指摘している。

自動車業界と同じように技術進歩が停滞したスマホは新しい需要を生み出せず、従来顧客の買い替え期間が延びたという。記事は「 手元にある商品が十分使えるのに、新製品の魅力に引かれてユーザーが高価な消費財を2年ごとに買い替えるなど、どんな企業でも望めることではない」と厳しく論評している。

自動車、スマホ以外に、私が関わったパソコン業界でも全く同じことが起こった。マイクロソフト社の革新的OSと言われたWindows95と連携し、インテル社の高性能CPU、記憶容量を倍増させた新技術の光ディスクなどを搭載し、性能を高めたパソコンを4ヵ月おきに市場に投入し年々売り上げを伸ばした。

だが、数年で技術進歩が停滞し矢継ぎ早にモデルチェンジするパソコンのビジネスモデルは成り立たなくなり成長が止まった。FTが指摘するスマホのように技術進歩が停まると、世界中に商品が行き渡り一巡して消費者需要は一気にスローダウンした。パソコンメーカーは企業向けだけ残して徐々に撤退していくことになった。同じ盛衰の歴史を辿ることになった。

自動車は代替できる適切な移動・運搬手段がなかったが、パソコンの利用の多くはスマホでも代替できたのが衰退を早めた。スマホの場合は通信手段という基本機能が残るが、その他の多くの機能は新たな技術による代替手段があると思われる。多分それが次のCESのメインテーマになるだろう。■
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私的CES盛衰記

2019-01-13 16:14:19 | ニュース
ラスベガスで開催中のCES(家電見本市)と並行して、デトロイトで北米国際自動車ショーが14日から開催される。しかし、最近は自動運転やAI・5Gなどの目玉がCESで展示されるため、来年から6月に開催時期を移す予定と報じられた。自動車が家電に乗っ取られるニュースには驚いた。

CESがいつの時代にも話題の中心になるのは、時々の最も注目されるテクノロジーを展示テーマにする融通無限なショーだからだと思う。私の記憶が正しければ70年代はテレビ、80年代はパソコン、90年代は携帯電話、そして今はAI・5Gとそれに連動して動く自動運転だ。

コンピューター技術者だった私は70年代末に初めて米国に行きNCC(全米コンピューター会議だが製品展示会でもあった)に参加した。その頃は大型計算機からミニコンに移行する時で、この直後にアップルがAppel-Ⅱを世に問うてパソコン時代を象徴的にキックオフした。

一般消費者がコンピューターを利用する時代になり、パソコンが文字通りConsumer Electronics(家電)になったことを意味した。コンピューター周辺機器開発担当からパソコン開発担当に異動して、私は幸か不幸か突然世界が注目する商品開発を担当し、後に事業の責任者になった。

私の仕事の環境は激変し、国内外の取引先と交渉し展示会にも参加するようになった。海外に毎月のように出張し、様々なショーに出展し見学もした。ラスベガスのCESにも何度か参加した。ある時は全米の優秀な販売店を招待し、有名な歌手のディナーショーで接待した。華やかな時代だった。

数年でパソコン市場は成熟してCESの主役が変わり、それに伴い会社の経営方針も変更された。だとしても、生の人間が働く現場は生易しくなかった。次に続いたのは生産基地の海外移転、更には開発も含め生産まで台湾や中国に移行、国内組織のリストラと進んだ。

私もその一環として米国の生産工場の責任者としてシアトルに赴任し、その後工場をサクラメントに移転させた。更に日本に戻り今度は日本のオペレーションのリストラに関わった。その度に働く人達の職を守りたかったが(少なくともそう振舞った)、経済原理の前には無力だった。

その時代に一緒に働き親しくした人達から今年も年賀状を頂いた。彼等は会社に残りリストラ支援、早期退職、転職、大学で研究、再入学(凄い!)と様々な道を歩んでいる。CES等で一時は同じ道を歩いた人達も今は一人として同じ道を歩んでいない。当時懇意にさせて頂き、改めて感謝したい。 

CESの目玉テーマの波に乗り一時は華やかな経験をしても、やがて新しい波が来て多くの人達は取り残され夫々の道を歩む。年賀状を見るだけで夫々の人生を感じた。私はITバブル破裂後に会社を辞め後ろめたさを感じていたが、今にして思えば私もその道に転がっていた石ころだったと思う。

蛇足ながら、私の名前で検索すると1件インタビュー記事が残っていただけ。日本よりも米国での不動産取引きとか英文の共著論文で私の名前がネットで検索されるから皮肉だ。こうやって少しずつ世界の片隅から消えていくのだと改めて実感した。■
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