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かぶれの世界(新)

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43年ぶりのリベンジ

2017-04-18 22:10:43 | 日記
古いアルバムを整理していると懐かしい写真を見つけた。メモによると73年10月に白馬に登った時知り合った京都の女性と一緒の写真だ。仕事が一息つき纏まって休みが取れたので、大学時代にワンゲル部に所属し山登りの経験豊富な同僚に連れられて初めて北アルプス縦走に挑戦した。

新宿発の夜行列車に乗り早朝に白馬駅下車、登山口(猿倉だったと思う)までバスで行き暫く歩くと有名な大雪渓があった。その途中で2人組の女性パーティに出会い、きっかけは何だったか記憶がないがお互いに気が合って一緒に歩いたと思う。彼女達は京都からで下着メーカーでデザインをやっていると聞いた。

「東男に京女」という位で、私は「京都の女」というだけで気に入った。「彼女は可愛いな」とこっそり同僚に打ち明けると、彼は「山で会った女は誰でも美人に見える。だが里に下りると美人に見えた女性が不細工に見えてがっかりする」と言い、これが山男の知恵だと皮肉っぽく言われた記憶がある。

当時白馬岳には二つの山小屋があり、私達は手前の小屋に、彼女達は頂上よりの小屋に泊まった。翌日私達は南に縦走して唐松岳に向かい、彼女達は北に向かい蓮華温泉に降りて行ったと。前の日別れる前に私は彼女達と住所交換した。今みたいに携帯電話はなく会社の寮住いで個人電話もなかった。彼女達も東京のコンピューター技師と聞いて興味を持ってくれたのだと思った。

同僚の助言通り、山から下りて電車に乗った時は成程美人が沢山いると思った。当時は山登りする女性はそれほど多くなかった。これっきりと思っていたが、暫く経って彼女から手紙が来た。手紙の内容は覚えてないが嬉しかったことは記憶している。今から思い出しても私が何故返事をしなかったのか分からない。

写真を見直すとこんな可愛い子を無視したなんてありえないのだが。どうもそれ以来43年間ずっと自称「寅さん」らしく、肝心な時に気に入った女の子に真面目に迫ることが出来なくなった気がする。年をとってから誰に対してもレディファースト的振る舞いをするのに、好みのタイプの女性を目の前にすると腰砕けになる。

最近スーパーでレジに並んだ時、後ろに並んだ女性の買物かごをカウンターに移してあげる。ある日中年の女性に生まれて初めてこんなに親切にして貰ったと大袈裟に感謝された。数日後に同じスーパーで後ろにスタイル抜群の若い女性が並び、いつもの様に買物かごをカウンターに乗せてあげると彼女の無表情が返ってきた。私はずっこけそうになりながら顔を背けて苦笑いした。今頃手紙の返事をしなかった仕返しが来たのかも。■
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メガネーオン-メガネ

2017-04-16 16:35:31 | 日記
昨朝いつものバドミントン練習に出かける準備をして、運動時にかけるメガネをかけた。正確にはかけようとした。ところが変にガチャガチャした感じでメガネのおさまりが悪く、焦点が合わず視界がボケていた。一瞬焦ったが普段かけるメガネの上に、もう一つメガネを掛けようとしているのに気付いた。

気恥ずかしい気持ちを抑え知らん顔してメガネを外したが、家内が目ざとく見つけて意地悪そうにニヤニヤ笑っていた。嫌な性格だ。人差指を口に当て「シー」と言ったが、彼女は嬉しそうだった。メガネを額に上げてメガネを探すお決まりのボケは何度か経験したが、メガネの上にメガネをかけようとしたのは人生初の出来事だった。■
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痛い自慢

2017-04-14 15:45:18 | ニュース
2週間前の記事「2017年大胆占い 1Q見直し」で、私の世界経済予測が悲観的なのは3つのリスク(トランプリスク・世界的ポピュリズム化・複合通貨危機)を織り込んでいるからと投稿した。正直なところ私の予測が当たらずとも遠からずなのかさえ自信が無かった。

日米ともに1-3月の経済指標は順調で世界経済は上向きに推移しているが、このところダウ平均は続落し日経平均も18000円台前半まで下落した。そんな時注目している世界的政治学者のIブレマー氏の発言を引用して、今朝の日本経済新聞は下記の様に報じていた。

「株式市場は地政学リスクの深刻さを織り込んでいない」。国際政治学者のイアン・ブレマー氏は、市場を覆ってきた楽観に警鐘を鳴らす。トランプ米大統領が踏み切ったシリアへの攻撃に「戦略はない」。米国が自ら地政学リスクを高める構図の到来に、市場は鈍感すぎたとみる。

このところの株式市場の下落は、ブレマー氏の指摘する地政学リスクを織り込む過程にあると私は理解した。「大胆占い」で予想した3つの政治リスクのどれかが起こったということだ。私の予測は少数派だと思っていたので、「弱気な予測」を内心自慢していいと思った。

ところが、政治リスクの張本人が提供してくれた1-3月の金融資産の儲けの半分が帳消しになった。予想した通りなのに痛い!そんな時、偶然にも証券会社の担当氏から連絡が入り、今が底だからと過去の統計データを示して株式投信を勧められた。何となく足元を見られた気がする。

私は日米の株価下落はそんな一時的なものではなくもっと長いトレンドになる恐れありと返事したが、正直自信が無い。企業業績は改善しても政治リスクによる更なる円安が続けば下落は続くかも、もう少し考えてみたいと即答を避けた。「痛い自慢」につける良薬が無いものか。■
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体験的ユナイテッド航空の搭乗拒否

2017-04-12 14:28:42 | ニュース
米ユナイテッド航空(UA)がオーバーブッキングで座席確保できず、機内から乗客を無理やり引きずりおろした動画が世界中に流れ批判が殺到している。しかもムニョス最高経営責任者(CEO)が社内向けに「定められた手順に従った」と乗員の対応を称賛していたため傷口を深くした。後から謝罪しても手遅れで今後の搭乗客減少は避けられないと思う。11日の株式市場で時価総額10億ドル(約1100億円)が吹き飛んだという。

私が80-90年代に頻繁に米国を旅行した経験では、当時もオーバーブッキングは日常茶飯事に起こった。搭乗して席に座ってから離陸する前に乗員が「次の便でも良い方は席を譲って下さい」と希望者を募る姿を何度か見た。私は応じなかったが、タダ券(フリーチケット)を貰って席を譲り、休暇でフロリダに行った会社の同僚がいた。今回は800ドルと宿泊代が提示されたというが、当時現金の補償があったかどうか分からない。

当時も米国でオーバーブッキングは当たり前の商習慣で、直前のキャンセルを経験則で予測して予約を取り搭乗率を高めると聞いたことがある。広大な国で新幹線もない米国内での移動は飛行機しかないので、航空会社間の競争はあるが日本の様に他の乗り物と競い合う状況はなかった。だが、搭乗した乗客を無理やり降ろしたなどと言う乱暴な話は聞いたことが無い。

この頃は日本の国際線エアラインはJALのみで米国内の限られた都市にしか飛んでなかった。私は地方都市の会社と取引があったので、必然的に米国内の移動が便利なUAを利用する様になった。個人的には国内移動の不便さに加え、JALは(後にANAも)乗客にベタベタするウエットな感じの機内サービスが好きになれなかった。最も重要なのは遅れが出た時、乗換のフライトがUAなら優先対応してくれたことだ。乗換のフライトが出てしまって知らない土地で一泊した時は本当に情けなかった。

今回はお客ではなくUAの乗務員というから若干事情は違う。現在は格安運賃のLCCが出現し経営危機に追い込まれ、出来るだけ沢山人を乗せ発着の時間を短縮し機体を有効に使う、機内サービスを徹底的に絞るといった厳しい経営を強いられている。それが冒頭のCEOの不用意な言葉に表れたと感じた。いずれにしても現代は不具合があるとスマホで映像がとられ世界に拡散すると覚悟してた方が良い。嘘は付けない。■
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家内の退職

2017-04-10 10:35:39 | 日記
昨日家族が全員集合して孫達の誕生日、入園、入学と家内の誕生日と退職を祝う食事会をやった。場所は小平の津田塾の近くにある料亭で、私が会社勤め時代に取引先から接待を受けたのを思い出して利用した。生憎の雨だったが子供達の元気な顔を見て成長ぶり確かめられるのは何時でも楽しい。

家内は明日65歳になり10年余り務めた会社を定年退職する。実際には余った休暇を利用して先月から仕事をしてない。15年前私が早期退職して家にいる時間が増えた時、暫く経って家内は調整するかのように勤めに出た。結婚して初めて毎日24時間夫と顔を合わせると息が詰まる、そういう例がままあることは勤務先の退職前の教育で教わっていたので理解できた。お金の為だけではないというメッセージだった。

職場はある食品会社の生産現場だったので、技術者から管理職のコースを辿り現場経験のなかった私には彼女が経験した話は新鮮だった。私は現場労働者の生の声は管理者を通してしか聞いたことが無かったからだ。勤め始めた頃は職場の人間関係に愚痴をこぼすことがあり、私の経験からの助言も何かちぐはぐしていた。

そのうちギクシャクしていた職場の仲間との関係が徐々にうまく行くようになり、近年は職場の食事会や飲み会に積極的に参加して楽しんでいた。多分、お互いに分かり合えたのだと思う。年寄にはきつい現場仕事だったようだが、若い男性社員に贈り物を貰ったり気の合う仲間とカラオケに行ったりアフターアワーを楽しみ、総じて良い経験だったようだと感じる。今でも職場の仲間から声がかかりLINEのやり取りをしている。

最初は私の会社勤めの厳しさを分かってくれるかもしれないと思ったが、彼女の話を聞いて私の経験した大変さとは全く別物なのは明らかだった。その意味では図らずも家内の経験は現場労働者の生の声を初めて聞く機会となった。家内だけではない。現在技術者とかホワイトカラー職になり働く子供達も、夫々の職場で私とは違う経験をしているようだ。昔は仕事する様になれば父親の苦労を分かってくれると思っていたがどうも違った。

パーティに先立ち、家内の好みのワンピースや靴と、スコッチを2本贈り、今月後半に以前からよく話題にして私も行きたいと思っていた立山アルペン旅行に行くことにした。これが誕生日と退職のお祝いで、ついに高齢者になった記念にして欲しいと思う。ご苦労様でした。私ももうすぐ70歳、新たな人生が待っている。■
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