かぶれの世界(新)

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悲しき老人の焦り

2021-09-03 15:43:29 | 日記・エッセイ・コラム
先月末に本格的な山歩きをした直後の腰痛が少し良くなった昨日、軽く10kmのジョギングをした。どこか痛めると完治する前に運動を再開する。悪い癖と分かっていてもやってしまう。自分の年齢に合った散歩じゃ満足できない、ジョギングとか山裾歩きとかハードな運動をしたくなる。実際すれ違うジョガーは若い人達、田舎の山歩きでは誰とも一切出会わない。

身体的な衰えを恐れて無意識に運動をするのだと自覚している。例えば、歩くスピードが遅くなるとフレイル(介護の前の心身の衰えの状態)の兆候と聞けば、散歩時に歩数と距離を計測して歩幅を計算する。実際、歩幅が数年前の85センチから80センチ弱に減っていた。そうなるともう我慢できない、速攻で歩幅を広げて散歩時に大股で歩くようにする。

しかも、それなりに効果が出てくるものだから無理して更に運動をやって、又身体の何処かが悲鳴を上げる。かつては平気だったことでも、今では体がついていかない、だがその現実を受け止められない。痛風とか腰痛から体調が戻る気配を感じると「昔のように」運動をしたくなる。

バドミントンのように相手がいるスポーツでは現実を突き付けられた。今年の春に己を知って府中市のクラブを退会した。だが何もかもやめるわけには行かない。散歩だけでは寂しい。チョロくても挑戦が必要だ。一人でやるジョギングは昔の記録と比較して、もっと頑張ろうと思ってしまう。

年齢による衰えは人夫々だが、どうしても最先端で頑張っている人達を見てしまう。何か不具合があると自分を甘やかし運動を止めて一気に老け込んでしまう周りのお年寄りを見て来た。母も一旦歩けなくなると病気・入院・リハビリ・介護施設と一気に進んだ。介護以外は期間が限定されている。

多分、私も運が良ければ(?)その道を歩むことになると思う。ならば、出来るだけ周りに迷惑をかけずに人生を楽しみながら自力で最後まで進んで行きたい、可能なら最後までボケないで終わりたいと思う。しかし、やり過ぎて後遺症が残るような怪我をするのは本末転倒だと分かっている。

私にとっては同じ発想で、女の子に声をかけて家族に嫌がれ、運動のやり過ぎだと友人に言われても譲れないところだ。これからも家族に迷惑をかけないよう健康に気を付けて、気が済むまで出来るだけハードに運動したいと思う。多分、悲しい老人の性(さが)だ。■
コメント
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