それは昨夜のNHKのBSドラマ「ダイアリー」だ。良く出来た作品という意味ではない。というかドラマの良し悪しを論評できるような才能は私にはない。理由はそれが2年余り前の母が死んだ経緯を生々しく思い出させたからだ。
ドラマでは主人公が植物人間になった母親の死なせ方を巡り、母親の古い友人や家族を尋ね真実に迫るものだった。最後に母の命綱の呼吸器を外すよう医者に依頼し呼吸が止まるところまでドラマは見せた。その部分が私が決断出来なかった母の死を思い出させ、とても辛くなった。
私の場合は介護施設の責任者及び担当医と事前に話し合い、いざという時は延命措置を止めて自然死させようと決めていた。ところが現実に母の容態が悪化し病院から呼び出しを受けた時、既に通常の治療を越えた延命処置がなされていて、それを外すかどうか最終判断を求められた。
言い換えると、私の判断一つで母の生き死にが決まる状況だった。ドラマの主人公は悩むことなく母親のリビングウィルに従って命綱を外してくれと医者に依頼した。だが、私は意気地なしで延命措置を外せとは言えなかった。幸か不幸か翌日病院から母の死が伝えられた。
ドラマはこの私の個人的な経験というか生傷に思い切り塩をなすり付けられた気分にさせた。私には主人公が迷いなく医者に延命措置を外せという場面が信じられなかった。かといって主人公が迷う場面になったら、私はもっと辛くなったかも知れない。■
ドラマでは主人公が植物人間になった母親の死なせ方を巡り、母親の古い友人や家族を尋ね真実に迫るものだった。最後に母の命綱の呼吸器を外すよう医者に依頼し呼吸が止まるところまでドラマは見せた。その部分が私が決断出来なかった母の死を思い出させ、とても辛くなった。
私の場合は介護施設の責任者及び担当医と事前に話し合い、いざという時は延命措置を止めて自然死させようと決めていた。ところが現実に母の容態が悪化し病院から呼び出しを受けた時、既に通常の治療を越えた延命処置がなされていて、それを外すかどうか最終判断を求められた。
言い換えると、私の判断一つで母の生き死にが決まる状況だった。ドラマの主人公は悩むことなく母親のリビングウィルに従って命綱を外してくれと医者に依頼した。だが、私は意気地なしで延命措置を外せとは言えなかった。幸か不幸か翌日病院から母の死が伝えられた。
ドラマはこの私の個人的な経験というか生傷に思い切り塩をなすり付けられた気分にさせた。私には主人公が迷いなく医者に延命措置を外せという場面が信じられなかった。かといって主人公が迷う場面になったら、私はもっと辛くなったかも知れない。■