かぶれの世界(新)

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葬儀のしきたり

2018-04-27 17:19:10 | 社会・経済
3日前に集落内のOさんの母上が亡くなり、お通夜と葬儀の場所と時刻を伝えて回る地区長に私は行かないと答えた。O さんは20年くらい前に集落に引っ越して来たので、中学卒業後実家を出た私は彼と接点が無くよく知らなかった。彼の母親は別の町に住んでいて、一度も会ったことが無い。

だが、念の為に近所のオバサンに聞くと、家族葬にした私の母の葬式の数日後、線香をあげに実家に来て頂いた近所の方々の中にOさんもいたという。うっかり忘れていた。戻って記録を調べると私の母と接点がないはずの喪主の親からも香典を頂いていた。

となれば葬儀に出ない訳にはいかない。最初は日を置いて香典をもってO氏宅に伺うことも考えた。だが、我が家は家族葬で母を見送ったとしても、他家には他家のしきたりに従うべきと考え直し昨日葬式に参加した。式は母の時と同じ農協経営の葬儀場だった。

私は灰色と白のシャツに紺のズボンとブレーザー、ノーネクタイで参列した。途中100均で香典袋を買って前回頂いた香典と同じ額を包んだ。式場は大広間で高価そうな祭壇に遺影と花が飾られていた。母の葬式をやったばかりなので相当の費用がかかったと推測できた。参列者を見ると私を除く全員が礼服に黒ネクタイだった。通夜はさておき葬式となるとそれが常識、私は非常識だった。

間もなく3人の坊さんが来て式が始まった。長いお経が唱えられけたたましい太鼓や銅鑼が眠気を抑えてくれた。焼香のあと喪主から挨拶があり最後に棺桶に花を供えた。丁度私の母と同じ年恰好だったが、棺桶の中の母君の顔は遺影と変わらなかった。長い闘病で老醜をさらした母とは違っていた。喪主の奥さんにそう伝えると涙ぐんで礼を言われた。

昔からしきたり通りの葬儀だったと思う。母が死んだ時に「家族葬」をやるのでどこにも案内を出さないと前地区長に了解を得に行った時、奥さんは岡山から嫁いで来られた方ですぐに理解された。岡山では最近の葬式の殆どが家族葬だと言われた。全国的な広がりだと聞いている。

だが、この地では昔通りのしきたりが続いていると実感した。昨年京都に本社がある仏具店の社員に聞くと、ここは昔通りのしきたりが続くいまや珍しい土地だという。昨年一周忌の為の灯籠の代わりに農協が進める簡素化の一環として提灯を購入した。1万円にも満たない価格で購入できた。

ところが、いざ月末の灯籠送りで昨年葬儀をした家族が集合すると、我家だけが安価な提灯で他家は全て何万円もする立派な灯籠だったのを記憶している。後で聞くと市内で灯籠送りに提灯を持参したのは5%程度だったと聞いたのを思い出した。ああ、やっぱりそうか。

実は先年長男の義父が亡くなった時、長男はネットで調べて葬儀場等を決めたという。父君は確か東北地方の出身でそれまで住んでいた埼玉県には決まった寺がなくそういうことになったようだが、聞いた時は驚いた。ネットで葬儀を決めるのも都会ではそれほど珍しいことではないらしい。

一方、農協が幾ら簡素化を推進してもちっとも普及しないのは、何となく日本の農業の未来を予感するものだった。帰りに会った集落の顔馴染みは、最近皆年をとったせいで顔合わせする時はいつもお葬式だと愚痴った。お葬式だけではないとあれこれ想像して悲観的な将来を思い浮かべた。

式が終わり実家に戻る途中で松山市で電子機器の商社を経営する先輩が突然2月に亡くなったと聞いた。彼とはもっと話したかった。私より3歳年上だ。教えてくれた近所の土建屋さんに連れてってもらい、お墓に線香をあげた。今は誰も住まず社員寮になった豪邸の裏山に塔形のお墓があった。立派なお墓だけど、ここじゃ誰も線香をあげにこないなと呟いて実家に戻った。■
コメント
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