先週と今週に懇意にしている団塊世代の友人と食事をした。一人は会社勤め時代の同僚、もう一人は義弟だ。2人とも同郷でお盆に実家に戻り私のブログを見て連絡があった。我々は同じ時代を関係する業界で仕事をし、夫々に海外経験がある。つまり、一々説明せずとも前置き無で同じ言葉で会話の出来る友人だ。
言い換えると、大したことない会話がグダグダと何時までも続く。元同僚と私とほぼ同じキャリアを重ねたので、良く言えば話が深くなる、悪く言えば重くなる。同じ職場で仕事を始めて偶然隣町の出身だと知った。それ以来、同僚から部下上司の関係になり、子会社から本社に報告する関係、又同じ職場に戻って働くという関係が続いてきた。
彼は退職後オンラインショッピングを立ち上げ、ビジネスは好調だが今岐路に立っているという。オーダーの大半はスマホから来るようになり、スマホに向いたシステムに改装して順調に推移しているらしい。だがこれ以上大きくしていく為には人を雇い倉庫など設備投資しなければならないが踏ん切りがつかないという。楽天などの大手経由のオーダーが増え、先が見通せないという。
この年で頑張る友人に感心しても、残念ながら助言できる何物も私にはなかった。二人が最も共鳴し合ったのは我々団塊世代に対する家族の無理解だった。団塊世代はバブル時代が引き合いに出されるが、その前に我々は「猛烈社員」だった。土日も夜昼区別なく働いた。だが、妻や子供達はその頃の我々の苦労に感謝の念が全くないと。
猛烈社員の結果もたらしたものは当たり前で、そこを基準に不都合なものばかり家族は記憶しているかのようだとグチが出た。もしかしたら我々の悪戦苦闘を知らないのかもしれない。当時物凄く働いた記憶はあるが、それを意気に感じていた部分があった。嫌だと思ってもしょうがないと考え、家族にぼやくこともなかった。多分、親父は家族をほったらかしにして仕事に熱中していたとしか思ってなかった。そんな思いが二人にはあった。
義弟は来年で高齢者になる団塊世代だが、大手広告会社の仕事を請けて実際に製作する会社を長年経営してきた。その意味で私達サラリーマンとはやや異なった経験を持つが、違った角度から同じ業界を見てきたので、意外に政治経済情勢など物の見方が私と一致して話が合う。
中でも最近の政治が老人ばかりに目が向いて、国の将来を担う若者世代をないがしろにしているというのが、二人の共通の心配だ。逃げ切った世代などと揶揄される団塊世代だが、我々は家族から認められず感謝されることもなくとも、少なくとも子供の世代に対し憂慮し何とかしたいと一生懸命考えている。
元同僚は米国駐在時代の記録を本にしたらどうかという。だが、私は自分で何かをしたという記憶がない。一緒に働いた人は全て優秀で良い人ばかりでもないし、足を引っ張られたこともある。だが、結果的に人を傷つけることはしたくない。私自身は叩いたらホコリまみれになる男で、奇麗事だけ書くのは難しいが、それでは本にならない。チョット考えただけで「ない話」だと思った。
今更家族の理解を得てもしょうがない。我々団塊世代は生まれた時から厳しい競争に晒された世代だ。通り抜けてきたのは生半可な経験ではない。だがそれは、「知る人ぞ知る」で良いと思う。というのが昼飯を食ってコーヒーを飲みながら何とはなしに辿り着いた結論だ。一つだけ、二人は私の下ネタには乗ってこなかった。昼間でアルコールが入ってなかったからか?私は異常?■