かぶれの世界(新)

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私の落合博満

2011-11-24 23:17:55 | スポーツ

8年間プロ野球中日の監督を務めた落合博満氏が、日本シリーズ終了をもって退任した。私は彼のファンではなかったが、選手と監督総合してプロ野球史突出した実績をあげたと高く評価する。個人とリーダーの両方で野球というゲームを最も理解し実現した稀有な野球人だった。時代が違うので公平な比較は難しいが、肩を並べる実績を残したのは川上哲治氏ではないだろうか。

川上氏は選手として全盛期に兵役で中断されたので数字で見る生涯成績は見劣りがする一方で、監督として比類なき実績を残した。落合氏は20代半ばで遅れてプロの世界に飛び込んだものの3度の3冠王達成など史上最高の打者だった。だが、監督としての数字は川上巨人には遠く及ばない。しかし、ドラフト制度下で戦力が均衡した現在では傑出した実績を残したと思う。

落合氏は選手時代も監督時代も目的を明確にして、目標に向かって妥協することなく全てを注入する人だった。その目標はただ一つ、日本プロ野球という与えられた場で「勝つ」ことであった。短期長期の区別はあっても、全ては勝つ為に役に立つかどうかで判断した。彼は「負けない」と言い換えたが、シーズンを最も高い勝率で終わる為に最も適切な表現をしただけだと私は思う。

落合氏にとって勝つ以外に優先するものはなかった。エンターテインメントが最も重要なら国民的人気の長嶋茂雄氏に勝る人材はいなかった。私にはプロ野球が何を優先するか線引きは曖昧だった。落合氏の勝利原理主義は、他に価値観を見出す人達との間で軋轢を生んだ。勝っても観客動員数が減ると球団経営責任者にとって見れば、必ずしも良い監督とはいえなかっただろう。

メディアとの関係が悪かったというのが面白い。と言うのは、イチローや中田といった日本人選手として超一流の選手とメディアの関係が概して良くなかったからだ。彼らの姿勢には職人的一途さを感じた。その一途さは取材する記者にも一流の理解度を求め、それが感じ取れないと取材に応じないといった頑なさを感じた。落合氏の選手時代に同じ臭いを感じた。長嶋や王のような溢れるばかりのサービス精神は感じられなかった。

監督になってからその傾向が強まったように感じる。中日の監督を引き受けた時、補強なしで現有のベテランと新人をゼロから競わせレベルアップして優勝した。凄いことだ。勝利の為に非情と言われた采配をしても言訳をしなかった。だが、個人批判をすることも無く選手からは慕われ尊敬されているという。

しかし、メディアに対して徹底して寡黙を貫いた。その理由として選手の怪我や起用法などチーム事情を他球団に流した記者がいたことが発端だったと伝えられている。結果としてスポーツ記事で売っているメディアにとっては評判が悪くなるのは当然だった。それでも信念を貫き通す落合氏の姿勢に、私はビジネス世界で結果を数字でのみ評価されるプロのマネージャの有様を思い浮かべた。落合氏は、選手時代は最高の職人、監督時代は最高のマネージャだった。■

コメント
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