京 |
都の公立高校が先進的な学校改革をして全国有数の進学校になり「堀川の奇跡」として注目され、それを紹介する記事やテレビ番組を何度か目にし心に打たれるものを感じた。
荒瀬校長の下1999年に専門学科「人間探求科」「自然探求科」を設け、生徒がテーマを決め継続的に研究し、最後に論文発表と生徒相互で評価する科目を導入した。その結果、短期間に学力が飛躍的に向上し進学率が2桁増え、国内外の教育関係者の見学が相次いでいるという。
所謂予備校や進学校に見られる詰め込み型の受験教育でなく、「探求することの面白さ」と「探求の為に必要な基礎学力の重要さ」を生徒に実体験させ、学問の目的を明確にすることで生徒の学習意欲を高め、大学で学ぶ動機付けが出来たのが成功の原因である。
いささか我田引水ではあるが、私も似たような経験をしたことがある。1990年前後に、私がハイテック企業の要素技術部門をあずかった時のことである。要素技術とは商品に使われる半導体等の電子部品から電源、実装まで開発評価・認定し、製品開発部門がこれを使って商品を作る。
地味な分担だけれども商品の性能や品質を決める縁の下の重要な役割だった。当時は事業拡大に合わせ新規採用を増やし、非常に高いレベルの技術者がいる一方で残り半数は有名大出身でも入社数年内の経験の少ない技術者が混在しており、若手の戦力化は緊急の課題であった。社内外の教育の機会を利用させたが物足りなかった。
そこで思いついたのは、部内の若手技術者全員を対象に業務に関する課題を調査研究させ、発表会でプレゼンさせ上司や同僚に質問・コメントをさせることにした。主任・課長は業務の時間がとられ、未熟な技術者の研究に否定的ではないにしても当初積極的な姿勢を見せない者もいた。
しかし、時間の経過とともに自分の部下に下手な発表をさせられないと指導してくれ、発表内容の質は期待以上で質疑も活発、私自身も担当部門の活動と最新技術を改めて勉強出来た。ベテラン技術者は学会発表レベルに無いと冷ややかな見方もあったが、教育効果を認め手本を示してくれ空回りせずに無事終えた。
発表会は厳しい意見があっても笑いも出る和気藹々の雰囲気で進み、部内の一体感が醸成されるという予想以上の成果だった。発表会は半年に一度やり、二回やったところで私は他の部門に移動そのまま忘れていた。「堀川の奇跡」を聞いて突然思い出した。思い起こすと、私のサラリ-マン生活で管理者として失敗ばかりの中、自らうまく行ったと思う数少ない経験だった。■