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俳句のすゝめ(土井卓美)

2018年02月02日 18時07分28秒 | Weblog
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ここしばらく寒い日が続いていますが明日は「節分」、明後日は「立春」で暦の上では春到来です。

昨夜の「プレバト」を見られた方もあると思いますがこの番組の影響もあってか最近俳句を身近に感じられる方が増えてきているようです。
とは言っても出演タレントの少しオーバーな言動や先生の毒舌を楽しんだり、添削によって俳句とも言えぬ駄作がまるで違った光を帯びた俳句に生まれ変わるのに感心したりの言わば見て楽しむ段階です。
しかし俳句も踊りと一緒で見るだけより作ってみるとその楽しさが格段に違ってきます。
自分なんかそんな才能の欠片もなくとても無理だと思って居られる方が多いと思いますが、それは間違っています。
実例を挙げるなら音痴の私が詩吟を習って楽しいと感じていたら、昨年末私に勝る方が入会されて嬉しくてたまらない様子で楽しんで居られます。
何も人並かそれ以上にならなくても(なるように努めるのは当然ですが)能力の範囲内で充分に楽しめます。
人は誰でも得手不得手があり、また得手の分野でも最初から上手に出来る人は居ません。
そこで私流の「俳句のすゝめ」ですが、先ず美味しいでも、寂しいでも、美しいでも、嬉しいでも心に感じたことを五、七、五の形にしてみるだけです。
もう1つそこに季節が記されていればそれで俳句として成立します。(無季の俳句というのもありますが・・・)
その上でいい句というのはいろいろ条件はありますが、その句を読んだ人が情景や背景を思い浮かべていい句だと感じることです。
いい句という訳ではありませんが例として1月のインターネット句会の拙作です。


   「独り身に何時しか慣れて去年今年」
 特選と並選が1票づつ入りました。

   「具を持ち来娘作りし雑煮かな」
 主宰の講評「こういう句を読むとそこに物語を見てしまう。それは作者の意図と違う内容かもしれないが。娘は嫁いで家を出てい る。作者はひとり暮らしの正月。元旦は娘は嫁として夫の実家に行ったのではないか。だからこの句は元旦の句ではない。二日か三日か。そして娘がやってきて、ようやく雑煮を食べたのである。」