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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

美女は変遷する

2008-08-30 | 映画

Greta_garbo  グレタ・ガルボの美しさに文句のある人はいないと思う。ニューヨークのどこかで静かに生きていた彼女は、美女という概念がおそろしく変化した近年の映画を、どんな思いで観ていたのだろう。

ニノチカ」Ninotchka (‘39 米)
監督:エルンスト・ルビッチ 脚本:ビリー・ワイルダー 主演:グレタ・ガルボ
 ソ連からパリにやってきたガチガチの共産党員ニノチカ(ガルボ)は、プレイボーイの伯爵と出会い……テンポが遅かろうがモノクロであろうが、ウィットに富んだ会話の妙は古びない。グレタ・ガルボの美しさには目がくらむ。左翼少年だったころに、このユーモアが理解できただろうか。

反共を主張するなら、このぐらいの余裕がほしいよね☆☆☆★★★

細雪」(‘83 東宝)
原作:谷崎潤一郎 監督:市川崑 主演:岸恵子、佐久間良子、吉永小百合
 邪悪と無垢の共存する三女を演じた吉永小百合がすばらしい。この人、いつもの被害者演技を捨てれば、もっともっと大女優になりえたと思うんだけど。年齢を重ねるにしたがって美しくなる希有な女優。佐久間良子がこんな器用な芝居ができる人だとも思わなかった。つまり、監督がうまかったのだろう。女々しい婿役の石坂浩二もけっこうけっこう。画面の美しさも圧倒的。

 要するに『和風の邪悪な若草物語』☆☆☆☆

レディ・イン・ザ・ウォーター」(‘06 米)
監督:M.ナイト・シャマラン 主演:ポール・ジアマッティ
 展開のかったるさに早送りしそうになる。すべてをアパートの住人だけで解決しようとするストーリーにはさすがに無理があるぞ。アメリカ版「めぞん一刻」か。でもなにかこの作品には心惹かれるものがある。おそらくは二十年前ならヒロインに選ばれるはずもないブライス・ダラス・ハワードのくせの強いルックスのせいだろうか。

なさけない独身男をまたしてもポール・ジアマッティ好演☆☆☆★

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不滅の色男

2008-08-30 | 邦画

映画俳優であるということは、作品ごとに自分の顔を記録し、後世に伝えることができるわけだ。美男美女の基準は時代によって変遷するので、具体的な画像が残るのはいいことばかりではないだろう。これが伝説だけなら、今ならただの下ぶくれかもしれない小野小町の美女あつかいは永遠に続くわけだし。しかし、今回特集するのは、死後数十年たっても匂うような美しさで魅了し続ける美男の系譜だ。

新平家物語」(‘55 大映)
監督:溝口健二 出演:市川雷蔵(清盛)、久我美子(時子)、千田是也(頼長)
三部作の第一部。物語としてちょっとはずまない感じだけれど、平清盛の青年時代がまさしく武家の台頭と軌を一にしてあたり、歴史ものとしては面白い。まあ、吉川英治の原作を読めばすむ話なのだろうが。市川雷蔵の若武者ぶりはいい。

毒婦役の木暮実千代の艶っぽさにクラクラ☆☆☆

雨月物語」(‘53 大映)
監督:溝口健二 出演:森雅之、京マチ子、田中絹代
いったいどうやって撮ったんだろう、というカットが随所にみられる。大映技術陣のレベルの高さが知れる。それにしても森雅之。亡霊も惚れる色男という設定がこれほど似合う俳優もいない。京マチ子がアイドル顔であることも再確認。

マジで金がかかったに違いないモブシーンなど、映画黄金期でなければ……☆☆☆☆

Img_338744_35374158_0ときめきに死す」(‘84 ヘラルド・エース=にっかつ)
監督:森田芳光 原作:丸山健二 出演:沢田研二、杉浦直樹、樋口可南子
捨て駒であることに我慢できずに自決するテロリスト。微妙な題材だけど沢田研二にぴったりな役柄。彼を世話する闇医者に杉浦直樹。絶対に彼でなければならなかった、と思わせるぐらいの演技をみせる。クルミの伏線はみごと。丸山健二の原作とはずいぶんと違ったテイストだけど、こりゃ確信犯でしょ。それにしてもジュリーは綺麗。

「涼しいですね」と連発されるセリフが空気感を伝える☆☆☆★★★

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うまい店ピンポイント検証篇その6「桂林」

2008-08-30 | 食・レシピ

Keirin_shimojo 山形ラーメン四天王の南「よしのや」篇はこちら
山形周辺のうまい店探しはつづく。まずは読者にすすめてもらった……

◇桂林(けいりん)……山形市下条町二丁目

わりとわかりやすいロケーションだったのでさっそく。焼きそばが名物らしいんだけど、お昼時でガッツリしたものが食べたかったので(わたしは焼きそばや冷やし中華では満腹になりません)えびラーメン。

ここ、おいしいです!

おかげで山形の学習会の帰りに「近くに桂林って店があるからそこで飲もう」と誘われたときに「えへへ。オレは行ったことあるぜ」と自慢できたのでした。その日、お昼からデロデロになるまで飲んだのは自慢できん。

次回は「やまなか家」篇。

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脚本・宮藤官九郎

2008-08-30 | 芸能ネタ

Donju クドカンの脚本集を読み続けている。とにかくこの人のホンは読んでも面白いのが特徴で、脚本単体で読まれることを極端に嫌う三谷幸喜とはそのあたりがかなり違っている。ことの善し悪しではなく。

「鈍獣」
笑わせる。乙葉は何を考えてこの強烈な作品のキャスティングをうけたのだろう。え?映画化は真木よう子と南野陽子で?
女優魂をゆさぶる何かがあるってことなのかなあ☆☆☆★★★

「ロケット・ボーイ」
どうしてこう面白いのだろう。むしろ脚本の姿であることで、映像化されたTV版よりも天才の爆発を実感できる。織田裕二の負傷をものともしなかったあたりの、商売人としての才能(それは演劇人としての才能でもあるはず)もすごい☆☆☆☆

「親ゆび姫×占っちゃうぞ」
天才の片鱗。磯山晶Pがどれだけ太っ腹に宮藤をカバーしたかもよく理解できる処女テレビ脚本集。栗山千明の親ゆび姫って見たかったなあ☆☆☆★★

「七人の恋人」
ライブで阿部サダヲにあのテンションで攻められたら観客は簡単に“落ちて”しまうだろう。読みものとしていつものように面白いかというと……☆☆☆★

「やあ宮藤くん!宮藤くんじゃないか!」
おまけ。宮藤のDJトークを書籍化。下ネタもここまで連発されると一種の芸術(笑)。彼のライフワークがまさかDJだったとは(^o^)
☆☆☆★★★

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「出星前夜」 飯嶋和一著 小学館刊

2008-08-30 | 本と雑誌

51q0ivvbddl ‘88年デビュー以降の、飯嶋和一の著作は以下のとおり。

「汝ふたたび故郷へ帰れず」(小学館文庫)
「雷電本紀」(小学館文庫)
神無き月十番目の夜」(小学館文庫)
「始祖鳥記」(小学館文庫)
黄金旅風」(小学館文庫)

そして最新作「出星前夜」(小学館)これだけ。超寡作。文献を徹底的に読みこんで、史実の陰にほの見えるドラマを再構築するという、およそ量産のきく作風ではないので仕方がないかな。一冊でも読んだことがある人なら、彼の筆力にびっくりしたはず。未読の人は、唯一の非時代小説である「汝~」における、息づまるボクシングシーンだけでもお試しを。彼を上回る描写ができる現役の作家がはたして何人いるだろう。

 飯嶋のもうひとつの特徴は、徹底して“抗う人”である点だ。為政者、特に無能な為政者への嫌悪がむき出し。多くの場合、そのために飯嶋の作品は悲劇に終わる。特に「神無き~」では幕府のために村民全員が虐殺される始末だ。

 しかし、飯嶋作品の主役たちの矜持は“お上に媚びへつらう”ことを許さない。人間としての誇りを守るために、悲劇は必然だったと作品は静かに語っている。そんな飯嶋が今回とりあげたのが島原の乱。日本における最大の謀反、というか内戦。本領発揮とばかりに飯嶋は4年間かけてこの作品を完成させた。どうして“天草”四郎なのに“島原”の乱なのか、蜂起がめざしたものは何だったのか、関ヶ原からわずか三十数年で世の中がどう変貌したのか……そうかそうかこんな経緯だったのかと得心。キリシタン弾圧や凶作などが背景にありながら、この内乱を生んだ最大の理由は、中央集権化を推し進める幕藩体制そのものだったのだ。最後の最後にタイトルの意味も理解できる。またしても傑作の誕生。眠れない夜をお約束します。

それにしても、飯嶋和一と横山秀夫、そして伊坂幸太郎にまで辞退された直木賞なるものに、いまや何の意義もないことを痛感。もらってやれよ飯嶋。あなたのことをまったく知らない未知の読者たちに、すばらしい作品の存在をアピールするためにさ。文藝春秋に代表される“文壇”なるものに抗いたいのはわかるけれども。

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「バブルへGo!!」 PART4

2008-08-30 | 邦画

Cap183

PART3はこちら

ホイチョイ・プロダクションズ製作の映画は以下のとおり。
『私をスキーに連れてって』(87年)
『彼女が水着にきがえたら』(89年)
『波の数だけ抱きしめて』(91年)
『メッセンジャー』(99年)
『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(07年)

製作年をみればおわかりのように、バブルの申し子らしく、ちょっと景気がよくなったときしか映画を撮っていない(^o^)。

『私を~』を観た某映画業界人は頭をかかえたそうだ。「ここまで無内容な映画でいいのか」と。手あかのついた言い方をすれば“若者の風俗”しか描いていないわけ。でもそれが圧倒的にうけてしまった。沖田浩之が「とりあえず」とポラロイドカメラ(時代だねぇ)を持ち出すたびに館内がわくのだ。この笑いについていけなかったわたしは当時から時代に取り残されていたのか(T_T)。

まあ、映画としての出来は『私を~』を上回るものはない。でも、俳優の選択はいつもみごとだった。角川色の強かった原田知世を引っぱり出したり(彼女が角川春樹事務所を独立する前に撮影を開始し、退社してからやっと主役が現場にやってきた)、まだメジャーになる前の織田裕二を抜擢したり。「バブルへGo!!」でも、すでに“終わった”女優かと思われていた(わたしだけですか)広末涼子をキャバクラ嬢役に使ったセンスはかえる。まあ、あまり成功はしていないけれど。

 脚本が君塚良一だから予想されたこととはいえ、ストーリーはタイムパラドックスなど無視して強引に家族の泣かせの物語に終始する。バブル崩壊を人為的なものとする設定は、泡の時代におどった連中を免罪するようで気に入らないが、野暮は言うまい。前半のかったるさにはあきれたけれど、タイムスリップしてからはなかなか。当時の六本木の風景や、ディスコ事情にくわしい人ならもっと笑えただろう。

まあ、そんなバブルと無縁なわたしでも、無名時代の飯島直子にヒロスエが「あなたは缶コーヒーのCMに出るといいわよ」とアドバイスしたり、タイムマシンが洗濯機型(当然日立製)なので入るときに水着に着がえるサービスがあり、しかもその水着に(財務省主導のプロジェクトだから)MOFと入っているあたり、笑えた。携帯電話が一般化していないものだから、当時の若者が待ち合わせのときは「駅のどっち口のどこの柱の前」と細かく指定しているのは風俗。

いちばんのギャグはラモスの登場とその結末なんだけど、これはこれから観る人のためにナイショ。「バブルの時代は楽しいけど、わたしには2007年の方が合ってる」というヒロスエのセリフに(ホイチョイの本音ではないだろうが)、実はわたしも同感だ。

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