ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

看取った夜

2012年12月04日 22時17分00秒 | Weblog
義理の母は3年前に脳梗塞を煩った。
幸い後遺症は殆ど無く済んだが、それ以来急激に歳をとった感じだった。
この3年間は年に一・二度は入院をし、退院後は体調が完全に戻るまで一緒に暮らしていた。
今年の夏にも入院をし、8月下旬に無事退院となった。
その後はつい一週間前まで一緒に生活をしていた。

「今度はどこの山に行くんだい? ダメだよ気をつけなきゃね。」
口癖のように言っていた義母だった。
下山し帰宅すれば「あぁ~良かったよ、怪我もなくて。心配していたんだよ。」
ありがたいことだった。

つい一週間間のことだった。
急激に体調を崩し近くの総合病院に緊急入院となった。
昨夜仕事を終え、9時過ぎに病室へと向かった。
呼吸が荒く、酸素マスクをしている。
状態からして危篤であることは素人の自分でも分かった。
「今夜か明日かも知れないって・・・」妻が言った。
手を握り、肩に触れ耳元で語りかけると、一瞬だが明らかに目を開けた。

先ず自分が帰宅し夕食の買い出しをする。
入れ替わりで女房が帰宅し着替えてくることにした。
10時過ぎに病室に戻ると誰もおらず、義母一人だった。
どうやら女房とはどこかで行き違いになったようだった。

心拍数や脈拍数を示す装置を見ると、さっきよりも数値が低い。
5分ほど見ていたが、徐々に数値が減ってきているのが分かった。
そして黄色いランプが点滅し始めた。
急ぎナースコールをした。

数値は止まることなく減って行く。
手を握る。
何度も耳元で語りかけた。
「もうちょっと頑張って! もうすぐ○○が来るから、頑張って!」

透明な酸素マスクが息で曇ることはなくなった。
心拍数の数値は「0」を示し、黄色いランプから赤いランプの点滅へと変わって行った。
その数分後に女房が来た。
最期を看取ってやれなかったことを悔やんでいる。

「大丈夫。おばあちゃんは最期は独りじゃなかったんだから。」
それ以外に女房にかける言葉が見つからなかった。

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