「先日、キリンビアパークの話をしたじゃん。その時に思い出したんじゃけど、工場の横の方に巨大な樽が置いてあったよね」
「うん。あった、あった」
「そこに、昔からのキリンビールのラベルが飾ってあったじゃろ?」
「おぉ、あったのう」
歴代のキリンビールのラベルが飾ってあった、工場横の巨大な樽
(2010年5月1日撮影。以下、同じ)
説明板
「今日は、その話にしてみん?」
「ほいじゃ、キリンビールのラベルの移り変わりについて話をしてみようか」
1888年(明治21)
麒麟麦酒株式会社の前身である、ジャパン・ブルワリーが、「キリンビール」というブランドで初めて発売した時のラベル。
西洋のビールには、狼や猫などの動物が用いられているので、東洋の霊獣「麒麟」を商標にしようという意見から生まれたラベルです。
「麒麟は中国の想像上の動物というのは知っとるけど、具体的にはどんな動物なんかね?」
形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつとも言われる。
背毛は五色に彩られ、毛は黄色い。
頭に角があり、本来は1本角であることから、西洋のユニコーンと比較されることもある。
王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物(=瑞獣(ずいじゅう))であるとされ、鳳凰(ほうおう)、亀、龍と共に「四霊(しれい)」と総称されている。
(「麒麟」ウィキペディア)
「角があったっけ?」
「わしも気がつかんかったんじゃが、捜してみたらあった」
「あ、ほんまじゃ。あった」
1889年(明治22)
長崎のグラバー邸で有名なジャパン・ブルワリーの重役、T・B・グラバーの提案によりデザインが変更されたラベル。
現在おなじみのラベルの原型となったデザインです。
これは六角紫水氏がデザインしたといわれる商標が使われています。
「さっきのラベルに比べると、キリンビールのラベルらしゅうなったのう」
「ジャパン・ブルワリーという会社には、グラバーもかかわっとってんじゃね」
「岩崎弥太郎(いわさき やたろう)の弟、岩崎弥之助(やのすけ)も株主じゃったそうじゃ」
「へぇ…」
「麒麟を登録商標にしようと提案されたのが、荘田平五郎(しょうだ へいごろう)なんよ。この方の奥さんが弥太郎の姪(=妹の娘)で、荘田は弥太郎や弥之助たちを影で支えられたそうじゃ」
「ほぉ…。で、六角紫水って誰? なんて読むん?」
「六角紫水(ろっかく しすい)という方で、広島県能美島(のうみじま)の大柿町(現:江田島市)の生まれじゃそうな。漆(うるし)工芸家なんじゃが図案家としても活躍されたそうじゃ」
1907年(明治40)
1907(明治40)年、ジャパン・ブルワリーの事業が、新会社「麒麟麦酒株式会社」に引き継がれました。
新会社設立当時、発売していた「ピルスナービール」のラベル。
大正中頃まで販売していました。
「ピルスナービールって、どんなビールなん?」
「日本の大手ビールメーカーの作るビールの大半がピルスナーで、日本ではラガーと呼ばれることが多いそうじゃ」
「今さらじゃけど、ラガーって何?」
「下面発酵で醸造されるビールのことで、ピルスナーはラガーの1種になるそうじゃ」
「どうりで。今までは「LAGER-BEER」と書いてあったのが、今回は「PILSENER BEER」と書いてあるんじゃね」
「前の年の1906年(明治39)に、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)、日本麦酒(恵比寿ビール)の3社が合併して、市場シェア70%を誇る大日本麦酒株式会社ができとるんじゃ」
1933年(昭和8)
1938(昭和13)年に、キリンビール広島工場が操業を開始した当時、使われていたラベル。
このラベル自体は、1933(昭和8)年~1940(昭和15)年まで使われていました。
「このころは、ビールの国内消費が伸びて輸出も増えとったけぇ、ビールの生産量が増えとったんじゃそうな」
「それで、広島にも工場を作っちゃったんじゃね」
「1939年(昭和14)年には、ビールの生産量が戦前のピークを記録したそうじゃ」
1943年(昭和18)
1949年(昭和24年)まで行われていた、配給制度下のラベルのひとつ。
ラベルの最下部に小さく社名が入っているので、麒麟の商標は使用禁止となっていました。
「1940年(昭和15)から、戦争のためビールも配給制になったそうじゃ」
「ありゃま。ビールの生産量が順調に伸びよったのに」
「その前の年から清酒が配給制になったのを受けて、ビールが奪い合いになったということもあるようじゃ。とにかく、原料は統制されて、生産量も制限されてしもうたんよ」
「ビールが自由に飲めん時代があったん? うちゃ、そんな時代はいやじゃね」
「軍隊には酒類が優先的に配給されとったそうじゃ」
「映画やドラマじゃ、出撃前に一升瓶を持って酒を酌み交わすというシーンが出てくるよね」
「ビールを持って…というシーンは、お目にかかったことがないよのう」
1949年(昭和24)
配給制度が終わり、麒麟の商標が復活した直後のラベル。
青一色で刷られていました。
1957(昭和32)年まで使われました。
「さっきのラベルといい、今回のラベルといい、単色刷りじゃね」
「ラベルにお金をかけとる余裕がなかったんじゃろうの」
「戦後、少しずつビールの生産量が増えていったんかいね?」
「戦後で原料や資材が不足しとったこともあったんじゃが、GHQによってビールの生産量が制限されとったそうじゃ」
「ほうじゃったん」
「ほいで、1949年には酒類の配給統制が解除されそうじゃ」
「それでキリンのラベルも復活したんじゃね」
「同じ年、大日本麦酒株式会社は、朝日麦酒株式会社(現:アサヒビール)と日本麦酒株式会社(現:サッポロビール)に分割されたんよ」
「これで、キリン、アサヒ、サッポロとビール会社が揃ったわけじゃね」
1989年(平成元)
1988(昭和63)年、商品名「キリンビール」を、「キリンラガービール」に変更しました。
その翌年の1989(平成元)年にデザインを変更した時のラベル。
一世紀以上前、1888(明治21)年に誕生した麒麟の商標は、長い年月を経て今なお受け継がれています。
「おー、今のキリンビールのラベルじゃね」
「ところで、この麒麟の中に「キリン」の文字が隠されとる、という話は知っとるかいの?」
「知っとるよね。でも、これは誰が始めちゃったんかね?」
ところでラベルの『麒麟』のたてがみの図柄をよく見ると見つかるのが『キ・リ・ン』の小さな文字。
いつからこの隠し文字が入れられたのか明確ではありませんが、昭和初期のラベルの一部にあったことは確認されています。
当時のデザイナーが遊び心でデザインしたという説と、偽造防止説がありますが、明確な理由は謎であるところが『麒麟』のラベルをより神秘的にしています。
(「キリンビールブランドのシンボル」キリンビール)
「うちゃ、デザイナーの遊び心じゃと思うね」
↓キリンビールのラベルについては、こちら↓
「キリングループの歴史」キリンホールディングス
↓キリンビールについては、こちら↓
KIRIN キリンビール
↓キリンビールについての関連記事は、こちら↓
キリンビヤホールの外壁タイル 広島パルコ横
旧キリンビアパーク 安芸郡府中町
「今日は、旧キリンビアパークにあった巨大な樽についていたラベルを基に、キリンビールのラベルの移り変わりについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「うん。あった、あった」
「そこに、昔からのキリンビールのラベルが飾ってあったじゃろ?」
「おぉ、あったのう」
歴代のキリンビールのラベルが飾ってあった、工場横の巨大な樽
(2010年5月1日撮影。以下、同じ)
説明板
「今日は、その話にしてみん?」
「ほいじゃ、キリンビールのラベルの移り変わりについて話をしてみようか」
1888年(明治21)
麒麟麦酒株式会社の前身である、ジャパン・ブルワリーが、「キリンビール」というブランドで初めて発売した時のラベル。
西洋のビールには、狼や猫などの動物が用いられているので、東洋の霊獣「麒麟」を商標にしようという意見から生まれたラベルです。
「麒麟は中国の想像上の動物というのは知っとるけど、具体的にはどんな動物なんかね?」
形は鹿に似て大きく背丈は5mあり、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角をもつとも言われる。
背毛は五色に彩られ、毛は黄色い。
頭に角があり、本来は1本角であることから、西洋のユニコーンと比較されることもある。
王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物(=瑞獣(ずいじゅう))であるとされ、鳳凰(ほうおう)、亀、龍と共に「四霊(しれい)」と総称されている。
(「麒麟」ウィキペディア)
「角があったっけ?」
「わしも気がつかんかったんじゃが、捜してみたらあった」
「あ、ほんまじゃ。あった」
1889年(明治22)
長崎のグラバー邸で有名なジャパン・ブルワリーの重役、T・B・グラバーの提案によりデザインが変更されたラベル。
現在おなじみのラベルの原型となったデザインです。
これは六角紫水氏がデザインしたといわれる商標が使われています。
「さっきのラベルに比べると、キリンビールのラベルらしゅうなったのう」
「ジャパン・ブルワリーという会社には、グラバーもかかわっとってんじゃね」
「岩崎弥太郎(いわさき やたろう)の弟、岩崎弥之助(やのすけ)も株主じゃったそうじゃ」
「へぇ…」
「麒麟を登録商標にしようと提案されたのが、荘田平五郎(しょうだ へいごろう)なんよ。この方の奥さんが弥太郎の姪(=妹の娘)で、荘田は弥太郎や弥之助たちを影で支えられたそうじゃ」
「ほぉ…。で、六角紫水って誰? なんて読むん?」
「六角紫水(ろっかく しすい)という方で、広島県能美島(のうみじま)の大柿町(現:江田島市)の生まれじゃそうな。漆(うるし)工芸家なんじゃが図案家としても活躍されたそうじゃ」
1907年(明治40)
1907(明治40)年、ジャパン・ブルワリーの事業が、新会社「麒麟麦酒株式会社」に引き継がれました。
新会社設立当時、発売していた「ピルスナービール」のラベル。
大正中頃まで販売していました。
「ピルスナービールって、どんなビールなん?」
「日本の大手ビールメーカーの作るビールの大半がピルスナーで、日本ではラガーと呼ばれることが多いそうじゃ」
「今さらじゃけど、ラガーって何?」
「下面発酵で醸造されるビールのことで、ピルスナーはラガーの1種になるそうじゃ」
「どうりで。今までは「LAGER-BEER」と書いてあったのが、今回は「PILSENER BEER」と書いてあるんじゃね」
「前の年の1906年(明治39)に、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)、日本麦酒(恵比寿ビール)の3社が合併して、市場シェア70%を誇る大日本麦酒株式会社ができとるんじゃ」
1933年(昭和8)
1938(昭和13)年に、キリンビール広島工場が操業を開始した当時、使われていたラベル。
このラベル自体は、1933(昭和8)年~1940(昭和15)年まで使われていました。
「このころは、ビールの国内消費が伸びて輸出も増えとったけぇ、ビールの生産量が増えとったんじゃそうな」
「それで、広島にも工場を作っちゃったんじゃね」
「1939年(昭和14)年には、ビールの生産量が戦前のピークを記録したそうじゃ」
1943年(昭和18)
1949年(昭和24年)まで行われていた、配給制度下のラベルのひとつ。
ラベルの最下部に小さく社名が入っているので、麒麟の商標は使用禁止となっていました。
「1940年(昭和15)から、戦争のためビールも配給制になったそうじゃ」
「ありゃま。ビールの生産量が順調に伸びよったのに」
「その前の年から清酒が配給制になったのを受けて、ビールが奪い合いになったということもあるようじゃ。とにかく、原料は統制されて、生産量も制限されてしもうたんよ」
「ビールが自由に飲めん時代があったん? うちゃ、そんな時代はいやじゃね」
「軍隊には酒類が優先的に配給されとったそうじゃ」
「映画やドラマじゃ、出撃前に一升瓶を持って酒を酌み交わすというシーンが出てくるよね」
「ビールを持って…というシーンは、お目にかかったことがないよのう」
1949年(昭和24)
配給制度が終わり、麒麟の商標が復活した直後のラベル。
青一色で刷られていました。
1957(昭和32)年まで使われました。
「さっきのラベルといい、今回のラベルといい、単色刷りじゃね」
「ラベルにお金をかけとる余裕がなかったんじゃろうの」
「戦後、少しずつビールの生産量が増えていったんかいね?」
「戦後で原料や資材が不足しとったこともあったんじゃが、GHQによってビールの生産量が制限されとったそうじゃ」
「ほうじゃったん」
「ほいで、1949年には酒類の配給統制が解除されそうじゃ」
「それでキリンのラベルも復活したんじゃね」
「同じ年、大日本麦酒株式会社は、朝日麦酒株式会社(現:アサヒビール)と日本麦酒株式会社(現:サッポロビール)に分割されたんよ」
「これで、キリン、アサヒ、サッポロとビール会社が揃ったわけじゃね」
1989年(平成元)
1988(昭和63)年、商品名「キリンビール」を、「キリンラガービール」に変更しました。
その翌年の1989(平成元)年にデザインを変更した時のラベル。
一世紀以上前、1888(明治21)年に誕生した麒麟の商標は、長い年月を経て今なお受け継がれています。
「おー、今のキリンビールのラベルじゃね」
「ところで、この麒麟の中に「キリン」の文字が隠されとる、という話は知っとるかいの?」
「知っとるよね。でも、これは誰が始めちゃったんかね?」
ところでラベルの『麒麟』のたてがみの図柄をよく見ると見つかるのが『キ・リ・ン』の小さな文字。
いつからこの隠し文字が入れられたのか明確ではありませんが、昭和初期のラベルの一部にあったことは確認されています。
当時のデザイナーが遊び心でデザインしたという説と、偽造防止説がありますが、明確な理由は謎であるところが『麒麟』のラベルをより神秘的にしています。
(「キリンビールブランドのシンボル」キリンビール)
「うちゃ、デザイナーの遊び心じゃと思うね」
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「キリングループの歴史」キリンホールディングス
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KIRIN キリンビール
↓キリンビールについての関連記事は、こちら↓
キリンビヤホールの外壁タイル 広島パルコ横
旧キリンビアパーク 安芸郡府中町
「今日は、旧キリンビアパークにあった巨大な樽についていたラベルを基に、キリンビールのラベルの移り変わりについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
明治時代の硝子の歴史を調べており、最近、明治時代のビール瓶を入手しました。
また、2014年に出版された「明治維新の大功労者:トーマス・グラバー」という本に、彼がビール瓶に推薦した麒麟の図案が出ていました。
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