あけまして おめでとうございます。
昨年は大変お世話になり、
ありがとうございました。
本年も どうぞよろしく
お願い申し上げます。
今年は2023年。
1963年生まれのわしゃ、
今年で60歳、
還暦(かんれき)を迎えるんじゃの。
…というわけで、今年は
わしが生れたころ、
昭和にあったことを中心に
取り上げていく予定じゃ。
最初は、60年前にテレビ放送が始まった
アニメ『鉄腕アトム』について。
♪空をこえて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
(「鉄腕アトム」
作詞:谷川 俊太郎
作曲:高井達雄)
『鉄腕アトム』の主題歌は、
昭和世代の方でなくとも
一度は耳にしたことがある歌じゃろう。
アトムは今から60年前の
1963(昭和38)年1月1日夜6時15分、
フジテレビ系で放送が始まった。
しかし、その第1話の
オープニングは音楽だけで
♪空をこえて…の歌は流れなかった、
というのはご存じじゃろか?
↓テレビアニメ『鉄腕アトム』については、こちら↓
「鉄腕アトム(1963)/手塚プロダクション公式チャンネル」YouTube
今日は、
作曲家の
高井達雄(たかい たつお)さんと
「鉄腕アトム」についての話でがんす。
高井さんは1933(昭和8)年、
神戸市生まれ。
作曲家の
神津善行(こうづ よしゆき)さん、
歌手の
菅原洋一(すがわら よういち)さん
らとともに
国立(くにたち)音楽大学で学ぶ。
在学中から、
舞台やテレビの音楽を手がける。
漫画の神様と呼ばれた
手塚治虫(てづか おさむ)さんは、
虫プロ最初の作品として、
アニメ『ある街角の物語』を制作。
(1962年。38分。カラー・ワイド)
高井さんはこの作品の音楽を担当、
手塚さんと話し合いを重ねて
フィルムに音楽をつけていった。
↓『ある街角の物語』については、こちら↓
「ある街角の物語」手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
手塚さんは、
『ある街角の物語』と並行して
『鉄腕アトム』も制作していたが、
気に入った音楽にめぐりあえないでいた。
オンエア前に行われた
虫プロ作品発表会では、
手塚さんの気に入った音楽を
BGMとして使うことで
その場をしのいだという。
困った手塚さんは
高井さんに音楽の制作を依頼するが、
『ある街角の物語』で忙しかった
高井さんは、これを断った。
『ある街角の物語』が完成したあと、
高井さんのところに
手塚さんから連絡があった。
「(ある街角の物語が終わったので)
今は手が空いてるでしょ?」
連絡を受けたのは夜だったが、
高井さんは手塚プロへ向かう。
話を聞くと、
アトムの音楽をほかの人に
作ってもらったが、気に入らない。
ぜひ、高井さんにやってもらえないか
というものだった。
パイロット版を観ていた高井さんは、
アトムの音楽を引き受けることにした。
「いつまでに作ればいいですか?」
「明日の朝までにお願いします」
翌朝10時にテレビ局やスポンサー
代理店との打ち合わせがあるから、
それまでに3案持って来て欲しい
という、無茶な依頼だった。
これを引き受けた高井さんは、
帰りの電車の中で1曲(A案)完成させた。
自宅で作った2曲(B案・C案)を手に
手塚プロへ。
予定の時間より早く着いたので、
先に手塚さんに見せると
手塚さんはA案が気に入った。
しかし、打ち合わせでは
B案かC案が優勢だった。
そのまま
B案かC案で決まりそうな感じだったが、
A案を推す手塚さんが、
「これ(A案)がダメなら、
アトムは他のスポンサーに持っていく」
と言い切った。
打ち合わせに参加した人たちは慌てて、
「先生がそこまで言うのなら……」
ということで、A案に決まったという。
もちろん、A案で評判が悪かったら
B案かC案に変えるという条件付きで。
こうして
アニメ『鉄腕アトム』主題歌が作られ、
テレビで放送された。
以下、余談。
「鉄腕アトム」は、
なぜA案でなく
B案かC案が支持されたんじゃろか?
打ち合わせに参加した人たちは、
音楽に疎(うと)い人ではなく
ちゃんと譜面が読める人で、
そんな彼らが心配したのは、
シンコペーションの問題じゃったそうな。
シンコペーションって、
なんじゃろか?
(監修:手塚治虫、編集:田代敦巳『アニメ・ソング・ヒット全集 第1集』徳間書店 1979年 11ページ)
たとえば、出だし部分の
ター、ター、タッ、ター、タッ、ター
(そー、らー、を、こー、え、てー)。
「ター」のところは4分音符で、
「タッ」のところは8分音符になっとる。
つまり、「ター」を「1」とすると、
「タッ」はその半分の「1/2」になる。
そうなると、本来なら「を」のところに
アクセント(強い音)がくるのが、
「こ」のところに
アクセントがきてしまうんじゃの。
今ではふつうかもしれないが、
60年前の子ども向けの歌に
これを使ったものは
ほとんどなかったという。
なかったということは、
子どもたちが歌えない。
子どもたちが歌えないものを
主題歌として採用するわけにはいかない。
というわけで、
子ども向け番組の『鉄腕アトム』で
A案を使うことに反対した
というわけなんじゃの。
しかし、
高井さんはこう語っておられる。
僕はわざと難しいことをしようとしたわけではありません。ただ、リズム感があって、アトムは空を飛ぶから〝上がっていくような感じ〟がいいと思ったんです。
(「「鉄腕アトムのテーマ」は、別の曲に差し替えられる予定だった~作曲者・髙井達雄氏が語る誕生秘話」現代ビジネス 講談社)
高井さんのその想いを
理解していた手塚さんは、
A案で押し通されたと思うんでがんす。
以下、さらに余談。
高井さん、広島で思い出すのが、
広島初の百貨店として
1929(昭和4)年に創業した
福屋(ふくや)のテーマソング
「ララ福屋」。
この歌は1969(昭和44)年、
創業40周年記念として作られたもので、
歌っているのは歌手の
森山良子(もりやま りょうこ)さん。
わしがこまい(=小さい)ころ、
食卓では毎朝、RCCラジオが流れとって、
朝の情報番組「おはようラジオ」では
かならずこの歌が流れとった。
ほいじゃけぇ、
この歌は諳(そら)で歌えるぞ。
↓「ララ福屋」については、こちら↓
「ララ福屋(フルコーラスバージョン)」YouTube
↓福屋については、こちら↓
広島の百貨店 福屋
今日は、
作曲家の高井達雄さんと「鉄腕アトム」
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
昨年は大変お世話になり、
ありがとうございました。
本年も どうぞよろしく
お願い申し上げます。
今年は2023年。
1963年生まれのわしゃ、
今年で60歳、
還暦(かんれき)を迎えるんじゃの。
…というわけで、今年は
わしが生れたころ、
昭和にあったことを中心に
取り上げていく予定じゃ。
最初は、60年前にテレビ放送が始まった
アニメ『鉄腕アトム』について。
♪空をこえて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
(「鉄腕アトム」
作詞:谷川 俊太郎
作曲:高井達雄)
『鉄腕アトム』の主題歌は、
昭和世代の方でなくとも
一度は耳にしたことがある歌じゃろう。
アトムは今から60年前の
1963(昭和38)年1月1日夜6時15分、
フジテレビ系で放送が始まった。
しかし、その第1話の
オープニングは音楽だけで
♪空をこえて…の歌は流れなかった、
というのはご存じじゃろか?
↓テレビアニメ『鉄腕アトム』については、こちら↓
「鉄腕アトム(1963)/手塚プロダクション公式チャンネル」YouTube
今日は、
作曲家の
高井達雄(たかい たつお)さんと
「鉄腕アトム」についての話でがんす。
高井さんは1933(昭和8)年、
神戸市生まれ。
作曲家の
神津善行(こうづ よしゆき)さん、
歌手の
菅原洋一(すがわら よういち)さん
らとともに
国立(くにたち)音楽大学で学ぶ。
在学中から、
舞台やテレビの音楽を手がける。
漫画の神様と呼ばれた
手塚治虫(てづか おさむ)さんは、
虫プロ最初の作品として、
アニメ『ある街角の物語』を制作。
(1962年。38分。カラー・ワイド)
高井さんはこの作品の音楽を担当、
手塚さんと話し合いを重ねて
フィルムに音楽をつけていった。
↓『ある街角の物語』については、こちら↓
「ある街角の物語」手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
手塚さんは、
『ある街角の物語』と並行して
『鉄腕アトム』も制作していたが、
気に入った音楽にめぐりあえないでいた。
オンエア前に行われた
虫プロ作品発表会では、
手塚さんの気に入った音楽を
BGMとして使うことで
その場をしのいだという。
困った手塚さんは
高井さんに音楽の制作を依頼するが、
『ある街角の物語』で忙しかった
高井さんは、これを断った。
『ある街角の物語』が完成したあと、
高井さんのところに
手塚さんから連絡があった。
「(ある街角の物語が終わったので)
今は手が空いてるでしょ?」
連絡を受けたのは夜だったが、
高井さんは手塚プロへ向かう。
話を聞くと、
アトムの音楽をほかの人に
作ってもらったが、気に入らない。
ぜひ、高井さんにやってもらえないか
というものだった。
パイロット版を観ていた高井さんは、
アトムの音楽を引き受けることにした。
「いつまでに作ればいいですか?」
「明日の朝までにお願いします」
翌朝10時にテレビ局やスポンサー
代理店との打ち合わせがあるから、
それまでに3案持って来て欲しい
という、無茶な依頼だった。
これを引き受けた高井さんは、
帰りの電車の中で1曲(A案)完成させた。
自宅で作った2曲(B案・C案)を手に
手塚プロへ。
予定の時間より早く着いたので、
先に手塚さんに見せると
手塚さんはA案が気に入った。
しかし、打ち合わせでは
B案かC案が優勢だった。
そのまま
B案かC案で決まりそうな感じだったが、
A案を推す手塚さんが、
「これ(A案)がダメなら、
アトムは他のスポンサーに持っていく」
と言い切った。
打ち合わせに参加した人たちは慌てて、
「先生がそこまで言うのなら……」
ということで、A案に決まったという。
もちろん、A案で評判が悪かったら
B案かC案に変えるという条件付きで。
こうして
アニメ『鉄腕アトム』主題歌が作られ、
テレビで放送された。
以下、余談。
「鉄腕アトム」は、
なぜA案でなく
B案かC案が支持されたんじゃろか?
打ち合わせに参加した人たちは、
音楽に疎(うと)い人ではなく
ちゃんと譜面が読める人で、
そんな彼らが心配したのは、
シンコペーションの問題じゃったそうな。
シンコペーションって、
なんじゃろか?
(監修:手塚治虫、編集:田代敦巳『アニメ・ソング・ヒット全集 第1集』徳間書店 1979年 11ページ)
たとえば、出だし部分の
ター、ター、タッ、ター、タッ、ター
(そー、らー、を、こー、え、てー)。
「ター」のところは4分音符で、
「タッ」のところは8分音符になっとる。
つまり、「ター」を「1」とすると、
「タッ」はその半分の「1/2」になる。
そうなると、本来なら「を」のところに
アクセント(強い音)がくるのが、
「こ」のところに
アクセントがきてしまうんじゃの。
今ではふつうかもしれないが、
60年前の子ども向けの歌に
これを使ったものは
ほとんどなかったという。
なかったということは、
子どもたちが歌えない。
子どもたちが歌えないものを
主題歌として採用するわけにはいかない。
というわけで、
子ども向け番組の『鉄腕アトム』で
A案を使うことに反対した
というわけなんじゃの。
しかし、
高井さんはこう語っておられる。
僕はわざと難しいことをしようとしたわけではありません。ただ、リズム感があって、アトムは空を飛ぶから〝上がっていくような感じ〟がいいと思ったんです。
(「「鉄腕アトムのテーマ」は、別の曲に差し替えられる予定だった~作曲者・髙井達雄氏が語る誕生秘話」現代ビジネス 講談社)
高井さんのその想いを
理解していた手塚さんは、
A案で押し通されたと思うんでがんす。
以下、さらに余談。
高井さん、広島で思い出すのが、
広島初の百貨店として
1929(昭和4)年に創業した
福屋(ふくや)のテーマソング
「ララ福屋」。
この歌は1969(昭和44)年、
創業40周年記念として作られたもので、
歌っているのは歌手の
森山良子(もりやま りょうこ)さん。
わしがこまい(=小さい)ころ、
食卓では毎朝、RCCラジオが流れとって、
朝の情報番組「おはようラジオ」では
かならずこの歌が流れとった。
ほいじゃけぇ、
この歌は諳(そら)で歌えるぞ。
↓「ララ福屋」については、こちら↓
「ララ福屋(フルコーラスバージョン)」YouTube
↓福屋については、こちら↓
広島の百貨店 福屋
今日は、
作曲家の高井達雄さんと「鉄腕アトム」
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。