通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

「銀色の道」ザ・ピーナッツ

2020年10月10日 | 音楽
NHKラジオ第1で、1年365日、
午後11時05分から午前5時まで放送している
ラジオ深夜便。

今日、10月10日(土)の午前3時台は、
「ザ・ピーナッツ特集 第3弾」。





↓ラジオ深夜便については、こちら↓

「ラジオ深夜便」NHK





第1弾・第2弾は、半分寝とって
聞けたり聞けんかったりじゃったが、
(「ふりむかないで」の歌詞の解説は
聞きのがしておりません!
思わず鼻血が出そうになりましたが…)
今日は直前にトイレに起きたので、
通して聞くことができた。

第3弾は、今までのようにヒット曲・
外国のカバー曲中心でなく、
「祇園小唄」や
演歌調の「大阪の女(ひと)」、そして
フォークソング調の「銀色の道」と
幅広い選曲で、楽しませてもらいました。





…え?
「銀色の道」を
ザ・ピーナッツが歌うとった?

ほうなんよ。

ザ・ピーナッツが歌う「銀色の道」を、
わしゃ今日、初めて聴いたで。

今の今ままで、「銀色の道」は
ダークダックスの歌じゃと思うとったが、
そうじゃなかったんじゃの。





今日は、ザ・ピーナッツが歌う
「銀色の道」についてでがんす。





ザ・ピーナッツは、
1959年から1975年にかけて活躍した
姉:伊藤エミ(1941年-2012年)、
妹:伊藤ユミ(1941年-2016年)の
双子の女性デュオ。



余談じゃが…。

姉のエミさんの本名が、日出代(ひでよ)で、
妹のユミさんは、月子(つきこ)。

姉妹で太陽と月いう関係じゃったんじゃの。



渡辺プロダクション社長の
渡辺 晋(わたなべ しん。
1927年-1987年)にスカウトされ、
宮川 泰(みやがわ ひろし。
1931-2006年)から歌唱レッスンを受ける。

1959年、外国のカバー曲
「可愛い花」でデビュー。

以後、オリジナルで
「恋のバカンス」(1963年)
「ウナ・セラ・ディ東京」(1964年)
「恋のフーガ」(1967年)
などのヒット曲を出す。





「銀色の道」(1966年)は、
NHK『夢をあなたに』から生れた歌。

ダークダックスとの競作となるが、
レコード発売はザ・ピーナッツが先だった。



先にも書いたが、
わしゃ今の今までダークダックスのしか
聞いたことがなかったけぇ、
「銀色の道」=ダークダックス
と思うとったんじゃの。



それはともかく、「銀色の道」は
わしらの世代はだれもが歌える歌じゃった。





↓ザ・ピーナッツが歌う「銀色の道」については、こちら↓

「銀色の道 ザ・ピーナッツ」Youtube





↓ダークダックスが歌う「銀色の道」については、こちら↓

「銀色の道」Youtube





遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとりひとり 今日もひとり
銀色の はるかな道

(「銀色の道」
作詞:塚田 茂、作曲:宮川 泰)






作詞の塚田 茂(つかだ しげる。
1926年-2008年)は、
『夜のヒットスタジオ』、
『8時だョ!全員集合』など、
日本のテレビ史上に残る名番組を
手がけた放送作家。





作曲の宮川 泰は、
バラエティ番組『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』
アニメ『宇宙戦艦ヤマト』などを手がけた
作・編曲家。

フォークソングだと思うとったこの歌が、
宮川さんの手によるものとは知らんかった。




『銀色の道』のメロディ誕生には、
こんな話がある。



北海道留萌(るもい)生まれの宮川さんは
父の仕事の関係で小学校の一時期、
鴻之舞鉱山(こうのまいこうざん)がある
北海道紋別(もんべつ)に住んでいた。





土木技術者の父親が建設に携わった専用軌道「鴻紋軌道(こうもんきどう)」(鴻之舞元山 - 紋別間)のレール跡の水たまりに月の光が映る姿を見て、「これこそ銀色の道だと確信した」という。

(「銀色の道」ウィキペディア)






2003年、この曲の元となった
鴻之舞鉱山跡地と紋別駅跡地に
「銀色の道」歌碑が建立されています。





↓「銀色の道」歌碑については、こちら↓

「銀色の道」歌碑を訪ねて西東





以下、余談…。



名曲「銀色の道」を産み出した
NHK『夢をあなたに』の前身は、
伝説のバラエティ番組
『夢であいましょう』(1961年-1966年)。



この番組からは、

「上を向いて歩こう」
(歌:坂本 九(きゅう)、1961年)、

「遠くへ行きたい」
(歌:ジェリー藤尾、1962年)、

「こんにちは赤ちゃん」
(歌:梓(あずさ)みちよ、1963年)

など、今も歌い継がれている歌を
世に送り出しています。



3曲とも、

作詞:永 六輔(えい ろくすけ。
1933年-2016年)、

作曲:中村 八大(なかむら はちだい。
1931年-1992年)

の「六八コンビ」によるもの。





↓『夢であいましょう』については、こちら↓

「夢であいましょう」NHK





前々回、プロ野球・広島東洋カープの応援歌
「それ行けカープ」を歌われた
塩見大治郎(しおみ だいじろう)さんの
話をさせてもろうた。

塩見さんがNHKの『ステージ101』で歌った
「若い旅」。

この歌も、「六八コンビ」によるもの。



この時代、みんなで歌えて
元気が出る歌がたくさんあった。





↓塩見大治郎さん「若い旅」については、こちら↓

「「若い旅」ヤング101復活コンサート2003」Youtube





↓塩見大治郎さんについての関連記事は、こちら↓

塩見大治郎さん





以下、さらに余談…。



わしにとってのザ・ピーナッツは、
映画『モスラ』(1961年)の劇中歌
「モスラの歌」。

この歌の作・編曲を手がけたのが、
現在放送中のNHK連続テレビ小説
『エール』の主人公のモデルとなった
作曲家の古関裕而(こせき ゆうじ。
1909年-1989年)。

そのため、今年になってあちこちの番組で
この歌が流れています。

ラジオ深夜便だけでも
3回以上は聴いたような気がするの。





↓「モスラの歌」については、こちら↓

「モスラの歌」Youtube

「モスラの歌(アカペラ)~モスラの進撃 ザ・ピーナッツ モスラ('1961) MOTHRA」Youtube






今日は、ザ・ピーナッツが歌う「銀色の道」
について話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする