通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

地下防空壕跡 呉市(その2)【蔵出し企画】

2020年08月12日 | 見て歩き
今日は、前回に続いて、呉市に残る
地下防空壕(ぼうくうごう)跡の話
でがんす。







↓前回については、こちら↓

地下防空壕跡 呉市(その1)【蔵出し企画】







今から8年前の2012年の1月。

あの戦艦大和を建造した、
かつての呉海軍工廠
(くれかいぐんこうしょう。
現:ジャパン マリンユナイテッド呉工場
2012年当時:アイ・エイチ・アイ
マリンユナイテッド呉工場)
を見下ろせる場所を探して歩いとった。





子規句碑前(しきくひまえ)交差点を過ぎ
坂を下ったあと、
宮原9丁目アパートあたりを目指して
坂を上って行きよると…。







コンクリート造の構造物が
いきなりあらわれた!

なんじゃ、こりゃ!?







近寄ってみる。







ここから3つの方角が見えるように
のぞき穴がつけてある。

ふつうの防空壕じゃったら、
こんなものは必要ないはずじゃけぇ、
こりゃ防空監視所(ぼうくうかんししょ)
跡かもしれんの。





防空監視所いうのは、
空から攻めてきた敵を見つけるために
つくられた建物。

先に書いたとおり、ここから海側に
かつての呉海軍工廠があった。

太平洋戦争の終わりごろ、
敵の空襲から守るための施設が必要になって
つくられたもの。







ありゃ、後ろにも
同じような建物があるで。







こっちは草に覆われとるけぇ、
坂を上ってくるとき
見過ごしてしもうとったんかもしれん。







こっちは、地下防空壕の跡じゃろか?







近寄ってみる。







ここが入り口?
…にしちゃせまいようにも感じるが。





ひょっとして、この2つの建物は、
地下でつながっとるんじゃなかろか?
…とわしゃ勝手に想像しとるんじゃが。

本当のところはどうなっとるんじゃろうか?





日本が戦争に負けて75年。

理由はどうあれ、
これだけの建物が今も残されとる。

これらの建物が、
どういう理由で建てられ、使われたか、
そういうこと調べて、
後世に伝えていく必要があると
思うんじゃがの。





以下、余談。



防空壕とは、先の戦争で、
アメリカ軍の空襲から避難するため、
山や地面などを掘ってつくった穴のこと。

呉市内を歩いてみると、
今でも防空壕跡を見つけることができます。





訪問日:2012年1月9日





以下、さらに余談。











(2012年1月9日のものと比較)

先日、この場所を尋ねてみると、
後に紹介したもの(防空壕?)は、
まだ残っていた。

最初に紹介したもの(防空監視所?)は
残念ながら取り壊され、
今は駐車場になっていた。





訪問日:2020年8月9日





今日は、呉市にある
地下防空壕跡(防空監視所?)の話を
させてもろうたでがんす。



ほいじゃ、またの。

コメント
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