通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

広島テレビ【花見に行こうや2024】

2024年04月07日 | 季節の話題
昨日は、広島駅から平和記念公園までの、広島市内の花見名所を歩いて見てまわった。

くもりがちな天気だったが、桜の花がほぼ満開ということもあって、たくさんの花見客が訪れていた。

最初に訪れたのが、エキキタ(広島駅北口)に本社を構える、広島テレビの前に植えてある桜の木。







今日は、広島テレビの桜についての話でがんす。





「広テレ」の愛称で知られる広島テレビは、1962(昭和37)年9月1日に開局。

日本テレビ系列の番組を放送している。

本社は、長らく中区中町にあったが、2018(平成30)年、現在地(東区二葉の里)に移転してきた。

桜の後ろに貼ってあるポスターの「テレビ派」は、月曜から金曜の午後3時48分から6時55分まで放送される、広島テレビ制作の情報番組。



↓広島テレビについては、こちら↓

広島テレビ



ここで桜の写真を撮っていると、マイクを手にしたアナウンサーとカメラマンが出てきた。

広島駅北口へつながるペデストリアンデッキの前で、ボードを手に話をしたのち、本社玄関前で実況放送らしきものをしていた。

わしの目からは、このアナウンサーは4月に入社したばかりの新人で、カメラを前に話をする練習をしているようにみえた。





春、桜の季節といえば、入社・入学といった、おめでたい季節じゃ。

この春、就職・進学をされた皆さん、がんばってください。

五月病にならない程度でええですけぇの。



訪問日:2024年4月6日





今日は、広島テレビの桜について話をさせてもろうたでがんす。


ほいじゃあ、またの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東映娯楽版

2024年03月03日 | まんが・テレビ・映画
「東映時代劇YouTubeでは、3月1日から3月17日まで、映画『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸(以下、「八犬伝」と略す)』(1954年)を無料配信中じゃ」

「1954年いうたら、今から70年前かぁ…」




映画ポスター(ウィキペディアより拝借)


↓映画『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸』については、こちら↓

「里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸 [公式]」東映時代劇YouTube



「第1部っていうたけど、八犬伝って全部で何作あったん?」

「第1部から第5部まで、全部で5作品が作られた」

「5作品って、それだけ人気のシリーズだったんじゃね」

「…じゃのうて、八犬伝は東映娯楽版の1作として、最初から5部作として作られたんじゃ」

「東映娯楽版?」

「東映が日本でメジャーの映画会社になった要因のひとつが、ジャリ(子供)向けとして製作した東映娯楽版の成功といわれているんじゃの」





「今日は、東映娯楽版についての話でがんす」





「今さらじゃが、まずは東映という会社についておさらいしておこう」

「東映といえば、東宝・松竹と並んで、日本のメジャー映画会社のひとつじゃね」

「その東映は1951(昭和26)年、東横映画を吸収合併する形でスタートした。が、当初から多額の負債を背負って、経営的には苦しかった」

「ほぉ、それは知らんかった」

「経営難の理由のひとつが、自社で製作した映画を配給できる劇場が少なかったことにあったんじゃの」

「ちょっと待ってよ。むかしは、広島東映、東映パラス、駅前東映って、広島市内だけでも東映の直営館がよぉけ(=たくさん)あったけど?」

「それは、1960年代生まれのわしらが子どものころの話で、今は1950年ころの話をしとる。直営館の少ない東映が目をつけたのが、地方の映画館じゃった」

「なんで地方の映画館に目をつけたん?」

「むかしは、二番館、三番館と呼ばれる映画館があったじゃろ?」

「二番館、三番館いうたら、正規の公開が終わった映画を、2本立てで上映する映画館じゃったね」

「別々の会社の映画を2本集めて上映している状況を、東映はこうとらえた。これらの映画館で、2本とも東映の映画を上映してもらえれば、事実上の東映の直営館となって万々歳じゃ、と」

「なるほど、うまいこと考えちゃったね」

「2本のうちの1本は、片岡千恵蔵(かたおか ちえぞう)や市川右太衛門(いちかわ うたえもん)といった、映画館の館主からの要望が強い、時代劇のスターが主演して、確実に儲かる映画を作って…」

「もう1本が、東映娯楽版だった?」

「ほうじゃの。でも、考えることはどこも同じで、他社でも主役級の俳優が主演する映画と、それに併映という形で、たとえば新人が主演する映画を作っとった。が、他社の場合は、その添え物的な映画にも、それなりの予算を使うとったんじゃの」

「お金のない東映は、その予算をケチった?」

「そのとおり!」

「『八犬伝』は1度に5作を撮ったっていうたけど、どれくらいの予算で作ったん?」

「1本分の予算」

「5本の映画を、たった1本分の予算で作った?」

「そーゆこと」

「うわー、無茶苦茶してじゃね」

「そのときの現場の様子が、どうだったかというと…」


メインになるのは姫路城でのロケだったが、ロケ隊を宿泊させる予算はない。そのため、京都から早朝に出発して昼につくと夜まで撮影をし、そして夜中に帰ると少し眠り、また早朝から出発…そんな撮影が十日続けられた。助監督の沢島忠は電話帳のように分厚くなった五本分の台本を抱え、「どこまで続く五部作よ~♪」と半ば呆れながら自作の歌を歌って毎日の現場に臨んだ。

(春日太一『仁義なき日本沈没-東宝vs.東映の戦後サバイバル』新潮新書 2012年 61ページ)



「すごいというより、開いた口がふさがらんよ」

「時代は戦後ということもあって、「大陸から引き揚げてくる映画人の救済」ということも、東映には課せられていたそうじゃ」

「ふーん」

「ジャリ物(子供向け映画)とバカにされようが、ワンパターンといわれようが、東映は大衆娯楽主義に徹して、明朗で勧善懲悪(かんぜんちょうあく。善きを勧(すす)めて、悪を懲(こ)らしめること)の時代劇を作り続けた」

「そういや、「時代劇は東映」というキャッチフレーズがあったね」

「1951(昭和26)年に発足した東映は、1956年(昭和31年)には松竹を抜いて配給収入でトップになり、その黄金時代を築いたんじゃの」

「へぇ」

「このときに撮影所の施設を充実させ、そこで時代劇を量産した。その施設を使って1975年(昭和50年)にオープンさせたのが、太秦(うずまさ)映画村じゃ」



↓東映太秦映画村については、こちら↓

東映太秦映画村





「以下、余談」


「八犬伝の話しかせんかったけど、東映娯楽版には、ほかにどんな作品があったん?」

「たとえば、『八犬伝』(1954年5月から6月)の直前、1954年のゴールデンウィークには『新諸国物語 笛吹童子』3部作が、翌55年の正月映画として『新諸国物語 紅孔雀』5部作が公開されたそうじゃ」

「「八犬伝」は江戸時代、滝沢馬琴(たきざわ ばきん)が書いた作品じゃったよね。でも、「笛吹童子(ふえふきどうじ)」「紅孔雀(べにくじゃく)」はあんまり知らんのじゃけど…」

「どちらも、北村寿夫(きたむら ひさお)の「新諸国物語」の1作として書かれた小説。『笛吹童子』は1953年に、『紅孔雀』は1954年にNHKのラジオドラマとして放送されて、子どもたちには人気があったんじゃの」

「ラジオドラマで人気があった作品を映画化して、大当たりしたと」


このころ東映の電話応対は女性交換手がにこやかに「はい、『紅孔雀』の東映です」と応えたという。

(「紅孔雀」ウィキペディア)



「それまでは、子ども向けの面白い映画というのが、少なかったらしい。で、子どもたちに人気のあった作品を映画化したことで、東映娯楽版は大成功。経営危機を乗り越えたうえに、東千代之介(あずま ちよのすけ)、中村錦之助(なかむら きんのすけ。のち、萬屋錦之介(よろずや きんのすけ))といった、若くて新しいスターも生まれた」

「ほぉ。ほいじゃ、子どものときに東映娯楽版を観て、その影響を受けた人がたくさんおってじゃろ」


倍賞美津子や、高平哲郎、角川春樹など、当時幼少期を送った映画人の中に『笛吹童子』や『里見八犬伝』『紅孔雀』を初めての映画体験と話す者も多い。

(「笛吹童子」ウィキペディア)






「以下、さらに余談」


「東映時代劇YouTubeでは、映画『里見八犬傳』全5部作を、以下のスケジュールで配信する予定じゃそうな」


『里見八犬傳 第一部 妖刀村雨丸』
(公開日:1954年5月31日)
2024年3月1日から3月17日まで

『里見八犬傳 第二部 芳流閣の龍虎』
(公開日:1954年6月8日)
2024年3月15日から3月31日まで

『里見八犬傳 第三部 怪猫乱舞』
(公開日:1954年6月15日)
2024年3月29日から4月14日まで

『里見八犬傳 第四部 血盟八剣士』
(公開日:1954年6月22日)
2024年4月12日から4月28日まで

『里見八犬傳 完結篇 暁の勝閧』
(公開日:1954年6月29日)
2024年4月26日から5月12日まで



「ほぉ、このころの映画は毎週、新作が上映されとったんじゃね」

「毎週放送される、テレビのようなもんかの」





「今日は、東映娯楽版について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『逆襲大蛇丸』

2024年02月25日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「新東宝【公式】チャンネル」では、2月16日から3月1日までの2週間、映画『逆襲大蛇丸(おろちまる。以下、『大蛇丸』と略す)』(1955年)を無料配信中じゃ」

「『大蛇丸』は、前に紹介した映画『忍術児雷也(じらいや。以下、『児雷也』と略す)』の続編?」

「そのとおり。2作目のタイトルに『逆襲』とつくのは、『ゴジラの逆襲』(公開:1955年4月)と同じじゃが、公開は『大蛇丸』(公開:1955年1月)の方が先なんじゃの」

「おぉ、同じころに作られた映画なんじゃね」

「『児雷也』はイマイチ盛り上がりに欠けたが、『大蛇丸』は城攻めという大スペクタクルが楽しめるんじゃ」



↓映画『逆襲大蛇丸』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】逆襲大蛇丸(ぎゃくしゅうおろちまる)」新東宝【公式】チャンネル





「今日は、映画『逆襲大蛇丸』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「まずは『児雷也』の話のおさらいから…。尾形弘澄は、盟友だった鯨波照忠と諏訪光明に裏切られて滅ぼされた。その尾形の忘れ形見である周馬は、お家の再興を果たそうとする」

「その周馬は、蝦蟇(がま)を助けたことから蝦蟇の妖術を授かって、児雷也になったと」

「周馬の許嫁(いいなずけ)である綱手姫は、蛞蝓(なめくじ)の妖術を、そして敵役である大蛇丸は、大蛇の妖術をそれぞれ授かる。最後は、蝦蟇(=児雷也)と蛞蝓(=綱手姫)、そして大蛇(=大蛇丸)の三すくみ」

「力を合わせた児雷也と綱姫の前に、大蛇丸が逃げ去ってしまう…で、『児雷也』は終わりじゃったね」

「『大蛇丸』の冒頭、鯨波照忠のところに尾形弘澄の亡霊があらわれる。その亡霊は、児雷也が見せる幻覚だった。今や復讐の鬼と化した児雷也は、妹・深雪や家臣たちの意見に耳を傾けようとしない」

「頑(かたく)なになっとるんじゃね」

「児雷也が鯨波を襲っていることを知った諏訪家では、その対応を協議していた。鯨波と諏訪は、互いの息子と娘を結婚させる約束を交わしていた」

「児雷也が、いつ諏訪家を襲ってくるかわからんけぇね」

「諏訪家の家老である高遠多聞之助の息子・弓之助が進言をした。時の将軍・足利家に願い出て、鯨波討伐の許可を受けてはいかがと。その願いは聞き入れられ、鯨波討伐の令状を手に入れた弓之助が戻ってくる」

「それを理由に、諏訪が鯨波を討つ?」

「ところが、そうは問屋が卸さない。大蛇丸が弓之助一行を襲って令状を奪い取り、その令状を手に鯨波へ売り込みに行く。諏訪が裏切った事を知った鯨波は、諏訪と一戦交えることを決意する」

「鯨波は大蛇丸と手を組むんじゃね」

「そこに、新キャラクターの女盗賊・朝雲が登場。彼女も鯨波に手を貸すことに」

「面白そうになってきた」

「鯨波は、軍勢を率いて諏訪へ攻め込む。人質となった多聞之助は城の前に引き出され、「おとなしく降参すれば、命だけは助けてやると言え」と命じらる。しかし、「一歩も退くな! わしの屍(しかばね)を越えて戦え!」と味方へ檄(げき)を飛ばしたので、その場で射殺されてしまう」

「おぉ、漢(おとこ)じゃねぇ」

「戦いの途中で、児雷也が城の前で磔(はりつけ)にされたり、綱手姫が塩蔵の中に吊るされたりする」

「綱手姫は蛞蝓(なめくじ)じゃけぇ、塩蔵の中に吊るされたら大変じゃん」

「最後は、城の天守閣の屋根で、児雷也と大蛇丸の一騎打ち。そこへ朝霧丸を手にした綱手姫があらわれる」

「朝霧丸?」

「おぉ、説明するのを忘れとった。諏訪家には、大蛇丸の術をも退散させる、不動明王の秘刀・朝霧丸があった」

「そんなええ刀があるんなら、最初からそれを使えばええじゃん」

「朝霧丸は、女盗賊の朝雲が奪い去っていた。その朝雲を倒した綱手姫が、奪い返した朝霧丸を手に児雷也を助けにやってくる。朝霧丸の力の前に、大蛇丸は空へ逃げ去った」

「逃げ去った…で、今回も終わり…?」

「ほうじゃの。『大蛇丸』も、『児雷也』と同じように、なーんか、もやっとした終わり方じゃったの」




児雷也(大谷友右衛門)




綱手姫(利根はる恵)




大蛇丸(田崎潤)



「こうやって手で印(いん)を結ぶのを見ると、むかし懐かしの忍術使いという感じがして、なんかワクワクして、えかった」

「あんたも年を拾うたんじゃ」

「こういう映画を、どっかで作ってくれんかいの」





「以下、余談」




大蛇丸(田崎潤。左奥)と女盗賊・朝雲(朝雲照代。右手前)


「『大蛇丸』も『児雷也』も、悪役が生き生きと描かれとったの」

「田崎潤は、悪役をやっても、どこか人の良さが出てしまうね」

「『大蛇丸』で始めて知ったのが、朝雲を演じた朝雲照代。大蛇丸の前で、

♪一目でコロリと参っちゃったの

と歌い出すけぇ調べてみたら、宝塚出身の女優さんじゃった」




「これは、サンゴ?」

「ほうじゃの。朝雲が、盗みに入った鯨波家の宝物蔵から頂いた宝物といって取り出したのが、銭の入った袋と、これじゃった」

「そういや、むかしの日本では、サンゴは貴重な財宝じゃったね」

「『桃太郎』のおとぎ話で、鬼退治をした桃太郎が鬼ヶ島から持ち帰ったものの中にも、立派なサンゴが描かれとったりするよの」





「今日は、映画『逆襲大蛇丸』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『忍びの者』

2024年02月13日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「角川シネマコレクション」では、2月2日から16日までの2週間、映画『忍びの者』(1962年)を無料配信中じゃ」

「前回は、新東宝の映画『忍術児雷也(じらいや)』(1955年)で、どっちも忍者の話」

「児雷也は、口に巻物をくわえて手で印(いん)を結ぶことで、ドロンと蝦蟇(がま)に化けることができたんじゃの」

「荒唐無稽(こうとうむけい)な忍術使いの話じゃったね」

「それが1950年代の終わりから60年代の初めにかけて、忍者の描き方が変わってきた」

「たとえば?」

「たとえば、それまでの忍者は、主君のために尽くす(=命をかけて戦う)ことを良しとしてきた。それが、主君のために尽くすことが、実は空しいこととされたんじゃの」

「なんで?」

「やっぱり太平洋戦争の影響が大きかったんじゃろう。1945年8月15日の敗戦を機に、それまでの価値観が180度変わってしもうたけぇの。もうひとつは、1960年の安保闘争を境に、反体制的な機運が高まったこともあったんじゃろう」

「なるほど」

「あと、ビジュアル面でも変わってきた」

「見た目でなにが変わったん?」

「忍者=黒装束となったのが、この映画からといわれとるんじゃの」

「確かに。うちらが知っとる忍者といえば、黒い衣装を纏(まと)うとるよね」

「それまでの映画、たとえば『忍術児雷也』では忍者の黒装束が出てこないどころか、忍術使いは結構派手な格好をしとっちゃったけぇの」




蝦蟇の上に立つ児雷也(大谷友右衛門)
(映画『忍術児雷也』(1955年)より)




忍者の黒装束を纏う石川五右衛門(市川雷蔵)




↓映画『忍びの者』については、こちら↓

「【本編】『忍びの者』<2週間限定公開>」YouTube





「今日は、映画『忍びの者』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「伊賀の国に、ふたつの忍者集団があった。ひとつは百地三太夫(ももち さんだゆう)率いる百地党と、藤林長門守(ふじばやし ながとのかみ)率いる藤林党で、対立関係にあった」





「うんうん、それで?」

「そのころ勢力を伸ばしていたのが織田信長で、百地党・藤林党とも、配下の忍者たちに信長暗殺を命じる」

「この映画は、その忍者たちが主人公の話?」

「この映画の主人公は、あの石川五右衛門」

「五右衛門は盗賊で、豊臣秀吉に捕えられて、釜ゆでにされたんじゃなかったっけ?」

「五右衛門は、百地党に属する伊賀の忍者という設定なんじゃの」

「へぇ」

「いきがかりとはいえ、五右衛門は、三太夫の妻・イノネとの密通してしまう。それがバレたとき、イノネは井戸に落ちて死んでしまい、五右衛門は逃亡を図る。しかし、三太夫は五右衛門の命を助けられるかわりに、盗みを働くことを命じる」

「忍者が盗みを働いちゃいけんじゃろ」

「それが成功すると、次に信長の暗殺を命じた。イノネと密通する状況を作り、五右衛門が断れないところで信長の暗殺を命じたのは、実は三太夫の策略だったのだ」

「うーん、お主も悪よのう」

「信長を追って堺にやって来た五右衛門は、マキという遊女と知り合う。マキに惹かれた五右衛門は、彼女を身請けしたうえで、山奥にある一軒家で平穏な日々を送ろうとする」

「そんなこと、もちろん見逃してもらえるわけもないよね」

「マキを人質にとった三太夫は、五右衛門に改めて信長暗殺を命じる。安土城の完成祝いに乗じて毒殺しようとするも、失敗。これを伊賀の手によるものと考えた信長は、伊賀攻めを行う」

「信長は伊賀を攻めたんじゃね」

「その戦いの中で五右衛門は、藤林長門守に変装した姿で死んでいる三太夫を見つける。ふたつの忍者集団の頭領(かしら)だった三太夫と長門守が、実は同一人物だったのだ!」





「以下、余談」




百地三太夫




藤林長門守



「三太夫と長門守の二役を演じたのが、怪異な人物を演じさせると右に出るものがないといわれた、伊藤雄之助(いとう ゆうのすけ)」

「いかにも悪そうな顔しとるね」

「三太夫(=長門守)は自分の権威を高めるために、それぞれの忍者集団に信長暗殺を命じて、互いを争わせていたんじゃの」





「以下、さらに余談」




「信長を演じたのが、城健三朗(じょう けんざぶろう)」

「城健三朗? この顔は若山富三郎(わかやま とみさぶろう)じゃないん?」

「若山富三郎は、経営不振の新東宝から東映へ、そして弟の勝新太郎(かつ しんたろう)のいる大映へ移籍した。大映時代は、若山富三郎ではなく城健三朗と名乗っていたんじゃの」





【参考文献】

春日太一「忍者の変遷」『時代劇入門』角川新書 2020年 260~271ページ






「今日は、映画『忍びの者』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『忍術児雷也』

2024年02月11日 | まんが・テレビ・映画
「YouTubeの「新東宝【公式】チャンネル」では、2月2日から16日までの2週間、映画『忍術児雷也(じらいや)』(1955年)を無料配信中じゃ」

「児雷也? 知らんねぇ」

「児雷也いうたら、蝦蟇(がま)の妖術を使って、神出鬼没の働きをする義賊(ぎぞく)、悪い奴から金を盗んで貧しい人に分け与える盗賊のことじゃの」

「蝦蟇といえば…。口に巻物をくわえた忍術使いが、蝦蟇の上で手で印を結ぶとドロンと消えたり、何かに化けるっていうのが、むかしの映画やテレビなんかでよくあったね」

「そのイメージの始まりとなったのが、児雷也なんじゃの」



↓映画『忍術児雷也』については、こちら↓

「【2週間限定無料配信】忍術児雷也」新東宝【公式】チャンネル





「今日は、映画『忍術児雷也』についての話でがんす」





「この映画は、どんなストーリーじゃろ?」

「戦国時代、越後に住む尾形周馬弘行(おがた しゅうま ひろゆき)は、仲間の裏切りによって領地を失った武将・尾形弘澄(ひろずみ)の遺児だった。彼はお家の再興を果たそうとするが、それを果たす前に話は終わってしまうんじゃがの」

「お家の再興でなく、児雷也としての活躍がメインなんじゃね」

「周馬は、沼で大蛇(おろち)と蝦蟇が戦っているところに遭遇する。大蛇が優勢だったところを、銃で大蛇を撃って蝦蟇を助けたことで、蝦蟇から妖術を記した巻物をもらう」

「これで、主人公の周馬が児雷也になった。となると、敵役は?」

「敵役となるのが、大蛇太郎。巳(み)の年、巳の日、巳の刻生まれの大蛇太郎は、周馬に撃たれた大蛇に取り憑かれて、大蛇丸(おろちまる)と名乗ることに」

「このふたりの戦いが見どころなんじゃね」

「ところが、もうひとり、綱姫というのが出てくるんじゃ」

「お姫様が?」

「大蛇太郎の矢が当たったことで崖から落ちた綱姫は、なんと蛞蝓(なめくじ)に助けられる」

「蛞蝓に!?」

「ここでいきなりじゃが、三すくみ(さんすくみ)って知っとるかいの?」

「うーん…、知らん」

「AはBに勝って、BはCに勝つ。ところが、一番弱いはずのCが、実は一番強いはずのAに勝つ、というやつじゃ」

「あぁ、じゃんけんのことじゃね」

「そうそう。それと同じように、ヘビはカエルを一飲みにするからヘビはカエルに勝って、カエルはナメクジを食べるからカエルはナメクジに勝つ。ところが、そのナメクジがヘビには勝つ」

「…ナメクジがヘビに勝つって、ほんま?」

「そこがわしにもイマイチ理解できんのじゃが…。ウィキペディアによると、ナメクジにはヘビの毒が効かないうえに、ナメクジの粘液でヘビが溶けてしまうそうじゃ」

「ふーん」

「話を映画に戻すと…。映画のラストで、蝦蟇の児雷也と、大蛇の大蛇丸、そして蛞蝓の綱姫が勢揃い!」

「ヘビとカエルとナメクジは、三すくみで身動きがとれない。どうする?」

「綱姫は児雷也の味方なので、ふたり力を合わせて大蛇丸をやっつける」

「めでたし、めでたしじゃね」





蝦蟇の上に立つ児雷也(大谷友右衛門)




児雷也を助けに来る、蛞蝓の上に立つ綱姫(利根はる恵)




綱姫の登場に驚く、大蛇の上に立つ大蛇丸(田崎潤)




左から、蝦蟇、蛞蝓、大蛇の三すくみ




「…こういうちゃなんじゃけど、蝦蟇、蛞蝓、大蛇とも、なんかちゃっちいね」

「この映画が公開されるより2ヶ月前、1954年11月に公開されたのが、東宝が製作した『ゴジラ(第1作)』。それに比べると確かにちゃっちいが、このころはまだこのレベルでもOKじゃったんかもしれんの」





「以下、余談」




左から、大蛇太郎(田崎潤)、高遠弓之助(若山富三郎)、深雪(新倉美子)


「この映画で一番覇気があって、生き生きしとったのが、悪役の田崎潤じゃった」

「田崎潤といえば、とにかく豪快で、大きな声で話す人、というイメージじゃったもん」

「主役の大谷友右衛門(おおたに ともえもん。7代目)は、元が歌舞伎役者だからか、そういうキャラクターだからかよう分からんが、あんまり印象に残らんかったの」

「若山富三郎(わかやま とみさぶろう)も出とってんじゃね」

「若山富三郎は、この映画がデビュー作になるそうじゃ」





「今日は、映画『忍術児雷也』について話をさせてもろうたでがんす」

「ほいじゃあ、またの」



(文中、敬称略)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする