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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年6月4日(日) 貞観政要・頁653 禍福相より

2021-07-04 11:00:13 | ブログ
禍福相より、吉凶、域を同じうす。頁653

(訳)禍と福とは互いに原因となり結果となるものであり、吉と凶とは、同じ場所にあり、ただ人の善悪の行いによって招かれてやって来るものでございます。頁653
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  書籍の紹介

  『言志四緑』1-132
     聖人は死に安んじ、賢人は死を分とし、常人は死を畏る。--129

〔訳文〕聖人は生死を超越しているから、死に対して心が安らかである。賢人は生者必滅の理を知っているから、死を生きている者のつとめであると理解してあわてない。
 一般の人は、ただ死を畏れて、取乱す。

 昨日は熱海で梅雨の大雨が土石流を起しました。死者が2名、行方不明者が20名とのことです。
 人間は自然と共存しなければならないと考えます。とにかく人間は横暴だと思っています。

令和3年6月3日(土) 貞観政要・頁653 其の安んずる

2021-07-03 11:10:53 | ブログ
其の安んずる所に安んじて、刑をうれふるを以て念と為さず、其の楽む所に楽しみて、遂に先笑の禍を忘る。頁652

(訳)それなのに、陛下は御自身の安らかな日常に安んじて、刑罰を憂えるということをお考えにならず、御自身の楽しみを楽しんで、先には得意になっ笑ってもあとで泣く禍を忘れております。頁653
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   書籍の紹介

  『西郷隆盛と明治維新』濱田尚友著

  西郷隆盛の神髄ーーー鮫島志芽太

  西郷隆盛の神髄は、二度死に体になり、二度生きかえった事情の中にある。一度目は月照との入水心中、二度目は沖永良部島の獄中でのことだ。いずれも「義」のために死のうとした。が、天はこの男を死なせなかった。超人的な助け人が現れたのである。しかも、この二つの事件が、明治維新の成否と深く結びついているのだ。
 月照との入水事件は、当時、安政の大獄で弾圧、沈黙させられていた尊王反幕の志士たちを大きく激しく奮い立たせ、この物語を通して連繋、結合へ向かわせたのである。入水時、月照、西郷と同船していた平野國臣が、この物語りを全国へ伝播したのだ。
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 今日は全国的にお雨で至る所で事故が続発しています。お互い自分にも事故が迫ってきていると思い防止に努めたいものです。
 トヨタなんかも車の作りすぎなんです。儲かることと名誉欲だけです。

令和3年7月2日(日) 貞観政要・頁652 豈に神

2021-07-02 10:28:53 | ブログ
豈に神、達せざる所有り、智、通せざる所有らんや。頁653

(訳)どうして陛下の御心が達しない所があり、陛下の智が通じない所がありましょうや。頁653
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   書籍の紹介

  『男子志を立つべし』安岡正篤著

 「活学」をやれば運勢も開ける
             新井正明
 
 今日、「帝王学」が大はやりであるが、故・安岡正篤先生こそ、まさに「帝王学の権威」であった。
 先生は、中国古典の勉学を通じて、「国のリーダーはどうあらねばならないか」ということを、あらゆる角度から考えぬいた人である。
 ご存じのように、中国では伝統的に「政治」を最重要視し、かつては、あらゆる学問が政治を良くするためのものであった、と言っても過言ではない。したがって、今日、古典とされる書物の大部分がその目的のために読まれ、研究されてきたのである。しかし、わが国にはそうした伝統があまりないので、時に明治以降、中国古典の研究は、とかく象牙の塔に籠もりがちであった。しかも、研究の中心は、字句の解釈の注釈を主とする、いわゆる訓詁学である。訓詁学はもちろん重要であるが、学問の主目的は、訓詁学の成果を踏まえ、古典から「現在または未来に処する方法」をひき出すことである。そうすることによってはじめて、学問は現代に生きるのである。
 安岡先生の学問が、まさにそれであった。先生はよく「活学」ということを言われていたが、先生の学問の目的から方法論、日常の行動に至るまで、すべてが「活学」であったと言えよう。その意味で、先生は「学問の王道」をいった人であった。