第3650号 31.01.07(月)
文は温柔敦厚あるを要す。
(北宋の学者楊時は蘇軾をこう評している。)
「文章には、やさしさと重厚味とがあふれていなければならない。とくに主上に対し意見や上奏文を提出するときにはそうした配慮が大切だ。蘇軾の詩をみると、あてこすりがめだち、衷心から主上を諌めようとする愛情に欠けている。王安石となると、国政の任にありながら、一貫した政治原則をもたず、むやみに攻撃的なだけだ。君主に仕える態度とも思えない。
君子たるには、なによりもまず、わが身から傲慢さや偏見をなくすことが肝要である。」
「詩というものは、発表したものが罪に問われるべきではないし、受け取る側がそれによってハッと自戒させられるようなものであるべきだ。寓意性がこめられていること、これが詩のあるべき姿なのだ。
蘇軾の詩は、あまりに直載にすぎる。筆禍事件をひきおこしたのも当然であり、またそうした詩を発表したところで、相手を自戒させることにはならない」『宋名臣言行録』
人間何をするにも自由だが、後々人々の心を曇らせる行為、言葉はよくないと思います。二度とない人生だから、心にぬくもりのあるようにと配慮すればより豊かなる人生が展望できるでしょう。
それでも憎まれ口を叩く人は後を絶たないのです。
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『善の研究』第119回
因果律というのは、我々の意識現象の変化を本として、これより起った習慣であることは、この因果律に由りて宇宙全体を説明しようとすると、すぐに自家撞着に陥るのを以て見ても分かる。因果律は世界に始がなければならぬと要求する。しかしもしどこかを始と定むれば因果律は更にその原因は如何と尋ねる、即ち自分で自分の不完全なることを明にしているのである。
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文は温柔敦厚あるを要す。
(北宋の学者楊時は蘇軾をこう評している。)
「文章には、やさしさと重厚味とがあふれていなければならない。とくに主上に対し意見や上奏文を提出するときにはそうした配慮が大切だ。蘇軾の詩をみると、あてこすりがめだち、衷心から主上を諌めようとする愛情に欠けている。王安石となると、国政の任にありながら、一貫した政治原則をもたず、むやみに攻撃的なだけだ。君主に仕える態度とも思えない。
君子たるには、なによりもまず、わが身から傲慢さや偏見をなくすことが肝要である。」
「詩というものは、発表したものが罪に問われるべきではないし、受け取る側がそれによってハッと自戒させられるようなものであるべきだ。寓意性がこめられていること、これが詩のあるべき姿なのだ。
蘇軾の詩は、あまりに直載にすぎる。筆禍事件をひきおこしたのも当然であり、またそうした詩を発表したところで、相手を自戒させることにはならない」『宋名臣言行録』
人間何をするにも自由だが、後々人々の心を曇らせる行為、言葉はよくないと思います。二度とない人生だから、心にぬくもりのあるようにと配慮すればより豊かなる人生が展望できるでしょう。
それでも憎まれ口を叩く人は後を絶たないのです。
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『善の研究』第119回
因果律というのは、我々の意識現象の変化を本として、これより起った習慣であることは、この因果律に由りて宇宙全体を説明しようとすると、すぐに自家撞着に陥るのを以て見ても分かる。因果律は世界に始がなければならぬと要求する。しかしもしどこかを始と定むれば因果律は更にその原因は如何と尋ねる、即ち自分で自分の不完全なることを明にしているのである。
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