第2327号 27.05.13(水)
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成るを勧むる無(なか)れ。『荘子』
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甲と乙との仲に立つ人は、無理に甲乙をとりもって共成をはかってはいけない。あいだに立つ人が両者を和親させるために強引すぎると、かえって失敗するものだ。無理をせずに自然の成り行きを待つがよい。348
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【コメント】赤ちゃんが生まれた新婚さんが、大変な危機にあるため、相談を受けています。その私に対しての助言だと捉えています。夫婦喧嘩は他人から見れば、何のことはないくだらないことから発しているものです。お互い冷静になって、善処するように話し合えばいのですが、当事者はそれが出来ないもののようです。
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私は穏やかに、双方傷がつかないようにと両親が中に立った方がいいのではないかと提案しています。
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政治の世界でも、一般社会でもいろいろと甲乙議論が喧しいです。だから私は、私のブログにある『大学味講』を見てくださいという事にしています。菅原兵治先生のお考えに勝るものはないと思っています。(ひとまず投稿します。)
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二日前に2時間かかって投稿しようとした際、パッと消えてしまったものですから、少し書いたところで投降・更新することにしました。ご了解くださいませ。
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『大学味講』(第164回)
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(八) 第四に「其の哀矜する所において辟す」とありますが、「哀矜」というのは、「あわれむ」ことであります。相手がふびんである、気の毒であると思うと、ついその情に辟して、これに対して知らず知らず甘くなり、いわゆる過保護的態度に陥りやすいものですが、それを慎めというのであります。
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(九) 第五に「其の傲惰する所において辟す」とありますが、「傲惰」の「傲」は「おごる」「たかぶる」の意。「惰」は「おこたる」「つつましい」の意であるから、傲惰は相手を侮り軽んじて、驕り惰る(おごり、おこたる)ことであります。私どもが弱者に対していだき易い、誤った優越感から生ずる態度でありますが、それに辟してはならぬというのであります。
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『論語』(第264)
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季路鬼神に事ふることを問ふ。子曰はく、「未だ人に事ふること能わず。焉んぞ能く鬼に事へん。」敢えて死を問ふ。曰はく、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」
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季路(子路)が神霊に事える道を質問した。孔子が曰われるには、「まだ人に事えて誠敬を尽くすことができないのに、どうして神霊に事えることができようぞ。」と答えられた。子路はさらに推しかえして質問した。「それでは死とは何でありますか。」孔子が曰われるには、生は始めで死は終わりである。まだ生の道を知らないで、どうして死を知ることができよう。まず生を知ろうと求めるがよい。」
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『農士道』(第143回)
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かくて第一に名乗りを挙げた源氏の勇者は、快男児木曽の冠者義仲であった。彼は文字通りの野人であった。然し「巧言令色鮮し仁。」「剛毅朴訥仁に近し」で、彼には京のやさ男の輩よりも却って「まこと」があった。かかる心から私は義仲に就いて故森滄浪先生が在りし日の中秋の一夜、余に與えた次の謡を何時もながら非情な興味をもって読む。
田舎育ちとそしらばそしれ
木曽の冠者は好い男。
深山離れし荒鶖の
叩く羽風に散る花や
都の空に時めきし
驕る平家も一砕き。
冠葬束身に添ひかねて
京の公卿衆の笑ひ草。
ままよ、美人の膝枕
怒るも笑ふも夢の中。
まんざら實が無いならば
よもや巴も惚れやすまい。
木曽も旭も登れば落ちる
落ちて栗津の夕煙、
散るは涙か草葉の露か、
鎧にかかる一雫、
情のほどが見えるぞえ
覚めて身にしむ遠山嵐
野辺のみどりを吹くわいな。
右木曽公を詠ず 滄 浪 酔 書
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成るを勧むる無(なか)れ。『荘子』
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甲と乙との仲に立つ人は、無理に甲乙をとりもって共成をはかってはいけない。あいだに立つ人が両者を和親させるために強引すぎると、かえって失敗するものだ。無理をせずに自然の成り行きを待つがよい。348
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【コメント】赤ちゃんが生まれた新婚さんが、大変な危機にあるため、相談を受けています。その私に対しての助言だと捉えています。夫婦喧嘩は他人から見れば、何のことはないくだらないことから発しているものです。お互い冷静になって、善処するように話し合えばいのですが、当事者はそれが出来ないもののようです。
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私は穏やかに、双方傷がつかないようにと両親が中に立った方がいいのではないかと提案しています。
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政治の世界でも、一般社会でもいろいろと甲乙議論が喧しいです。だから私は、私のブログにある『大学味講』を見てくださいという事にしています。菅原兵治先生のお考えに勝るものはないと思っています。(ひとまず投稿します。)
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二日前に2時間かかって投稿しようとした際、パッと消えてしまったものですから、少し書いたところで投降・更新することにしました。ご了解くださいませ。
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『大学味講』(第164回)
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(八) 第四に「其の哀矜する所において辟す」とありますが、「哀矜」というのは、「あわれむ」ことであります。相手がふびんである、気の毒であると思うと、ついその情に辟して、これに対して知らず知らず甘くなり、いわゆる過保護的態度に陥りやすいものですが、それを慎めというのであります。
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(九) 第五に「其の傲惰する所において辟す」とありますが、「傲惰」の「傲」は「おごる」「たかぶる」の意。「惰」は「おこたる」「つつましい」の意であるから、傲惰は相手を侮り軽んじて、驕り惰る(おごり、おこたる)ことであります。私どもが弱者に対していだき易い、誤った優越感から生ずる態度でありますが、それに辟してはならぬというのであります。
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『論語』(第264)
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季路鬼神に事ふることを問ふ。子曰はく、「未だ人に事ふること能わず。焉んぞ能く鬼に事へん。」敢えて死を問ふ。曰はく、「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」
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季路(子路)が神霊に事える道を質問した。孔子が曰われるには、「まだ人に事えて誠敬を尽くすことができないのに、どうして神霊に事えることができようぞ。」と答えられた。子路はさらに推しかえして質問した。「それでは死とは何でありますか。」孔子が曰われるには、生は始めで死は終わりである。まだ生の道を知らないで、どうして死を知ることができよう。まず生を知ろうと求めるがよい。」
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『農士道』(第143回)
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かくて第一に名乗りを挙げた源氏の勇者は、快男児木曽の冠者義仲であった。彼は文字通りの野人であった。然し「巧言令色鮮し仁。」「剛毅朴訥仁に近し」で、彼には京のやさ男の輩よりも却って「まこと」があった。かかる心から私は義仲に就いて故森滄浪先生が在りし日の中秋の一夜、余に與えた次の謡を何時もながら非情な興味をもって読む。
田舎育ちとそしらばそしれ
木曽の冠者は好い男。
深山離れし荒鶖の
叩く羽風に散る花や
都の空に時めきし
驕る平家も一砕き。
冠葬束身に添ひかねて
京の公卿衆の笑ひ草。
ままよ、美人の膝枕
怒るも笑ふも夢の中。
まんざら實が無いならば
よもや巴も惚れやすまい。
木曽も旭も登れば落ちる
落ちて栗津の夕煙、
散るは涙か草葉の露か、
鎧にかかる一雫、
情のほどが見えるぞえ
覚めて身にしむ遠山嵐
野辺のみどりを吹くわいな。
右木曽公を詠ず 滄 浪 酔 書