第3657号 31.01.14(月)
喜怒哀楽の未だ發せざる、之を中と謂ふ。発して皆節に中る、之を和(くを)と謂ふ。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり。中和を致して、天地位し、萬物育す。『中庸』204
人の行いは、物ごとにふれて、感情の動きとなることから始まるが、その感情が喜・怒・哀・楽などとなって外に表れたる前に心の平正さがあるべきである、それを中という。この中が表れるとその行いは、すべて物ごとの節度に合致することになる、これを和という。だから中こそは、天下が秩序正しく治まるための大根本である。和こそは天下にあまねく実現すべき道である。このようにして中と和とを実現しつくせば、人間世界ばかりでなく、全世界の秩序がいささかのくるいもなくなり、ありとあらゆるものがその生長をとげて繁栄するのである。
【コメント】道の実現が物ごとの常に中正適切さを得る一定の状態を中・中正といいます。『中庸』は、この状態はすでに心のうちにあるべきであり、それがすべての物ごとの根本であると説いています。
日常的にはこういう解説も疎遠になると思いますが、とにかく体当たりして読み・書きを続けたいものです。人間の世界は、男と女の物語が中心であります。
天の怒りを受けないためにあまり突飛なことはなさらない方がよろしいかと思います。漢籍に病みつきになった私か、漢籍全般を購入したのが20年前のことでした。
長老の域に来て見て漢籍の良さに陶酔しています。二度とない人生です。漢籍の世界を従容しましょう。私がご尊敬している荘内南洲会の先生方は、漢籍の教えが人間の品格として根付いていると思っています。
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『善の研究』第126回
聯想とか思惟とか複雑なる知的作用に至れば、なお一層この方面が明瞭となるので、普通に聯想は受動的であるというが、聯想においても観念聯合の方向を定むる者は単に外界の事情のみでは無く、意識の内面的性質に由るのである。聯想と思惟との間にはただ程度の差あるのみである。元来我々の意識現象を知情意と分つのは学問上の便宜に由るので、実地においては三種の現象あるのではなく、意識現象は凡てこの方面を具備しているのである。
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『菜根譚』141
当に人と過を同じくすべく、当に人と功を同じくかべからず。功を同じくすれば則ち相忌む。人と患難を共にすべく、人と安楽を共にすべからず。安楽なれば則ち相仇とす。
〔訳〕人と共にして失敗した責任を分かち合うのはよいが、成功した功績は共有しようとしてはならない。共有しようすると、仲たがいの心が生じてくる。人と苦難を共にするのはよいが、安楽を共にしようとしてはならない。安楽を共にしようとすると、憎み合う心が生じてくる。
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道場の扉の開閉が出来なくなりました。職業別電話帳に掲載されている中村勝実様に御願いをし、修理して貰いました。大変まじめな方でした。技術も素晴らしいと見ました。中村様、有り難うございました。
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喜怒哀楽の未だ發せざる、之を中と謂ふ。発して皆節に中る、之を和(くを)と謂ふ。中なる者は、天下の大本なり。和なる者は、天下の達道なり。中和を致して、天地位し、萬物育す。『中庸』204
人の行いは、物ごとにふれて、感情の動きとなることから始まるが、その感情が喜・怒・哀・楽などとなって外に表れたる前に心の平正さがあるべきである、それを中という。この中が表れるとその行いは、すべて物ごとの節度に合致することになる、これを和という。だから中こそは、天下が秩序正しく治まるための大根本である。和こそは天下にあまねく実現すべき道である。このようにして中と和とを実現しつくせば、人間世界ばかりでなく、全世界の秩序がいささかのくるいもなくなり、ありとあらゆるものがその生長をとげて繁栄するのである。
【コメント】道の実現が物ごとの常に中正適切さを得る一定の状態を中・中正といいます。『中庸』は、この状態はすでに心のうちにあるべきであり、それがすべての物ごとの根本であると説いています。
日常的にはこういう解説も疎遠になると思いますが、とにかく体当たりして読み・書きを続けたいものです。人間の世界は、男と女の物語が中心であります。
天の怒りを受けないためにあまり突飛なことはなさらない方がよろしいかと思います。漢籍に病みつきになった私か、漢籍全般を購入したのが20年前のことでした。
長老の域に来て見て漢籍の良さに陶酔しています。二度とない人生です。漢籍の世界を従容しましょう。私がご尊敬している荘内南洲会の先生方は、漢籍の教えが人間の品格として根付いていると思っています。
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『善の研究』第126回
聯想とか思惟とか複雑なる知的作用に至れば、なお一層この方面が明瞭となるので、普通に聯想は受動的であるというが、聯想においても観念聯合の方向を定むる者は単に外界の事情のみでは無く、意識の内面的性質に由るのである。聯想と思惟との間にはただ程度の差あるのみである。元来我々の意識現象を知情意と分つのは学問上の便宜に由るので、実地においては三種の現象あるのではなく、意識現象は凡てこの方面を具備しているのである。
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『菜根譚』141
当に人と過を同じくすべく、当に人と功を同じくかべからず。功を同じくすれば則ち相忌む。人と患難を共にすべく、人と安楽を共にすべからず。安楽なれば則ち相仇とす。
〔訳〕人と共にして失敗した責任を分かち合うのはよいが、成功した功績は共有しようとしてはならない。共有しようすると、仲たがいの心が生じてくる。人と苦難を共にするのはよいが、安楽を共にしようとしてはならない。安楽を共にしようとすると、憎み合う心が生じてくる。
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道場の扉の開閉が出来なくなりました。職業別電話帳に掲載されている中村勝実様に御願いをし、修理して貰いました。大変まじめな方でした。技術も素晴らしいと見ました。中村様、有り難うございました。
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