タイトル---徳に在りて険に在らず。第1960号 326.05.08(木)
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徳に在りて険に在らず。『史記』.
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国家の安泰は、山河の要害にあるのではなく、徳をもって立つ点にある。
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【コメント】
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我々凡人は、国家云々の問題よりか、先ずは自分が如何に意義ある人生を全うするかということであろうと思います。その為には、偉人とされる先哲の教えを学び、活用し、生を閉じるまで奮励努力すれば、良好な結果が果報として訪れてくると思います。だから漢籍を学びましょう、と言い続けているのです。
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学問を渉猟し人格を創り、後輩諸氏に学問の意義を教え諭し示すことが出来れば、最高最幸ではないでしょうか。学問をしどんなに道理が理解できても、驕ることなく一歩下がり下座行をしたいものです。
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世の中には本を読まない人も数多ありますが、反して学問を修め、80歳を過ぎても世の為人の為、人生を捧げる人もいるものです。昨晩、その先生と、FAXのやり取りを十回近くやりとりしました。私がFAXを送付すれば、直ぐ読み、直ぐ応答があるのです。
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私も事務作業は早い方ですが、長老の先生の捨身奉仕の姿に心打たれました。その先生から、貴方は60歳そこそこに見えると言われました。75歳ですと言ったら、その若さはどこから来るのかと言われました。
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詩吟をしていたお蔭で堯・舜という言葉は、何回となく聞いてきました。そして漢籍を繙き、堯帝、舜帝が民に親しむ日々を描写している処を拝読し、三千年來多くの人々に親しまれているということを実感し、さもありなんと思うことでした。
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それに比べて現代の政治家諸氏が立派なことを言いますが、どれだけの学問をしたというのでしょう。尤も、日々の言動・行動が、生を閉じてからも当該その人にくるのだということを聞き、真面目・勤勉・忠恕・謙虚・努力・奉仕が如何に大切かと思っています。
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とにかく『南洲翁遺訓』、漢籍を繙きましょう。
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『天保おすわり事件』(第16回)
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八
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斉典は、前将軍の公達紀五郎を養子に迎へたのを理由として、姫路に轉封運動を試みた形跡がある。
姫路は、大和守の前領地である。川越のやうな土地ではやりきれないから、もう一度、姫路に戻してくれといふのである。
時の執政水野出羽守忠成は、大和守の請託を容れて、一應内諾を與へたものの、姫路には酒井雅楽頭がゐる。その雅楽頭も、家斉の何十何番目かを養子の嫁に迎へてゐる。それを動かすといふ事は容易でない。ぐづぐづしてる間に、紀五郎が病死したので、問題はそれなりになった。出羽守にはお誂向きであったが、大和守は大不満であった。
「たとひ紀五郎が死んだからといって、大名と大名との約束を反故にするとはひどすぎる。何んとかしていただきたい。」と迫られたところで、前将軍にも施すべき策はない。 (頁11)
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短歌の紹介
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篠原は二人の決意代えられず
河野隊士と従軍を許可 6761 『臥牛 菅実秀』
二青年鎮台植木と転戦し
田原坂戦伴は戦死す 6762 『臥牛 菅実秀』
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