第3187号 29.09.21(木)
皇天(こうてん)親無し、惟だ徳を是れ輔く。民心常無し、惟だ恵に之れ懐く。善を為す同じからず、同じく治(ち)に帰す。悪を為す同じからず、同じく亂に帰す。爾其れ戒めん哉。厥の初めを慎み、厥の終を惟(おも)へば、終に以て困窮せん。『書経』(蔡仲之命)492
大いなる天はだれか特定のものを親しむということはなく、ただ徳のあるものを助けるのである。人民の心はきまって従うものはなく、ただ恵み深いものになつき従うのである。善の行い方は一様ではないが、同じように秩序をもたらす結果になり、悪の行い方は一様ではないが、同じように混乱をもたらす結果になるのである。汝は戒めなければいけない。事を行うには最初を慎重にし、終りをよく考えるようにせよ。そうすれば結局困ることがなくてすむのである。ところが、終りをよく考えることをしないと、結局困り苦しむことになってしまうのである。492
【コメント】天命と民心の拠り処がほかでなくて、全く君主の徳の如何にだけかかっていること、善行・悪行が何らかの意味においてすべて治乱に関連していくこと、初めと終わりを慎重にすべきことが、要諦だとされていることろがいいと思います。
解説の最初にある「天はだれか特定のものを親しむということはなく、ただ徳のあるものを助ける」とありますが、北の殿様も徳とは何か、人々に徳の配分をする心配りがあって然るべきだと思うのですが、所詮叶わぬ夢なのでしょうか。これは自分の国の人だけではなく、世界的に評価されなくてはならないのです。
トランプ大統領が言ったごとく、やがて壊滅的打撃を受けることになるのでしょうか。
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『不動心』(第56回)
人生からムダを追放するために
「満足を得たければ、多くを為そうとしないことだ」----そう聖者は語る。むしろこういってはどうか。「絶対に必要なこと、社会的存在としての道理にかなうこと、理性が要求することに行動を限定せよ」と。そうすれば、多くを為さずとも一つ一つの行いを申し分なく果たしたという満足を得られる。
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『臥牛先生遺教抄』(第12回)
毎日なれば最も善けれども、折々大奮発して昨日迄の我にては済まぬと心の大掃除をなし、新たになりて学ぶこそ実に肝要なれと。
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皇天(こうてん)親無し、惟だ徳を是れ輔く。民心常無し、惟だ恵に之れ懐く。善を為す同じからず、同じく治(ち)に帰す。悪を為す同じからず、同じく亂に帰す。爾其れ戒めん哉。厥の初めを慎み、厥の終を惟(おも)へば、終に以て困窮せん。『書経』(蔡仲之命)492
大いなる天はだれか特定のものを親しむということはなく、ただ徳のあるものを助けるのである。人民の心はきまって従うものはなく、ただ恵み深いものになつき従うのである。善の行い方は一様ではないが、同じように秩序をもたらす結果になり、悪の行い方は一様ではないが、同じように混乱をもたらす結果になるのである。汝は戒めなければいけない。事を行うには最初を慎重にし、終りをよく考えるようにせよ。そうすれば結局困ることがなくてすむのである。ところが、終りをよく考えることをしないと、結局困り苦しむことになってしまうのである。492
【コメント】天命と民心の拠り処がほかでなくて、全く君主の徳の如何にだけかかっていること、善行・悪行が何らかの意味においてすべて治乱に関連していくこと、初めと終わりを慎重にすべきことが、要諦だとされていることろがいいと思います。
解説の最初にある「天はだれか特定のものを親しむということはなく、ただ徳のあるものを助ける」とありますが、北の殿様も徳とは何か、人々に徳の配分をする心配りがあって然るべきだと思うのですが、所詮叶わぬ夢なのでしょうか。これは自分の国の人だけではなく、世界的に評価されなくてはならないのです。
トランプ大統領が言ったごとく、やがて壊滅的打撃を受けることになるのでしょうか。
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『不動心』(第56回)
人生からムダを追放するために
「満足を得たければ、多くを為そうとしないことだ」----そう聖者は語る。むしろこういってはどうか。「絶対に必要なこと、社会的存在としての道理にかなうこと、理性が要求することに行動を限定せよ」と。そうすれば、多くを為さずとも一つ一つの行いを申し分なく果たしたという満足を得られる。
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『臥牛先生遺教抄』(第12回)
毎日なれば最も善けれども、折々大奮発して昨日迄の我にては済まぬと心の大掃除をなし、新たになりて学ぶこそ実に肝要なれと。
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