味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

百姓の歓心を得て、以て其の先君に事ふ。

2018-04-21 09:52:11 | ブログ
第3399号 30.04.21(土)

故に百世の歓心を得て、以て其の先君に事(つか)ふ。『孝経』

 それだから、領地内のすべての階層の人々から、そのお蔭で、先祖代々の人君を祀ることが適えられたのである。

 【コメント】上の原文の前に「而るを況んや士民に於てをや。」(ましてや下役人や一般人民を軽視するようなことは絶対になさらなかった。)とあります。

 このコメントで書いたように対応すれば、領地内の人々も心服して総て円満に行くと思われます。

 翻って我が国はどうでしょう。安倍総理は、<国民に丁寧に説明して事を進め、膿を出し切って>といいますが、それは口先だけであり、中身は全く国民無私と云わざるを得ないと思っています。

 政治というものはドロドロしたものであるということは理解できますが、そこに理念の美しさがなくてはいけません。元総理の小泉さんらが、出て来たことは大変よいことだと思います。

 お隣の国のオジサマが世界中の人が吃驚するような平和的な発言をしていますが、信じていいものでしょうか。トランプ大統領が言う前に日本人の拉致被害者を今すぐにでも日本に帰してくれたら信用するのでしょうが?。

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『不動心』(第257回)

 いかなる自然も芸術を陵駕する。なぜなら、芸術はどれも自然の模倣にすぎぬからだ。そうだとすれば、あらゆる自然の中でも最も完壁であり包容力のある最高の自然は、芸術家の技巧もかなわぬほど傑出しているにちがいない。
 さて、芸術はより高いものを見すえながらも、それよりは劣ったものを創造する。自然もこれと同じことを行なっている。 かくして正義はつくり出され、そこからまた他の美徳も生じるのである。われわれも価値の低いものばかりに気をとられていたり、だまされやすく移り気な心に安住しているようでは、いつまでたっても真の正義を得られはしないのだ。

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『言志録四』57

 「心静かにして方(まさ)に能く白日を知り、眼明かにして始めて青天を識るを会す」とは、此れ程伯氏の句なり。青天白日は、常に我に在り。宜しく之れを座右に掲げ以て警戒と為すべし。

 〔訳文〕「心が静かな時に、輝く太陽の有難さを知り、眼が明らかな時に、澄み渡った大空の壮快さを知る」とは程明道の句である。この句の通り青天白日というものは常に自分自身にあるのであって、自分の外にあるのではない。これを座右に掲げて戒めの言葉とするか゜よい。
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