味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

礼儀覚え書き---3

2017-06-13 18:12:50 | ブログ
第3088号 29.06.14(水)

礼儀覚え書き--3

 いま、ダラリと髪を長く垂らした女、あるいは肩の上に髪をのせている女が多くなった。レストランで見ていると、スープをひと口吸っては頭をあり、髪に手をやってかき上げる。話をしながら、指先で髪をいじる。髪の型は自由だが、人前では「あとみわそわか」どころか「いまみよそわか」くらいの気持ちがあってちょうどよいのではなかろうか。
 いや、じつはダラリ髪の女が悪いのではなくて、そういう不潔っぽい女をのさばらせておく社会の方が悪いのです。
 どうして、そうなってしまったのだろう。
「玩物喪志」という言葉がある。書経の周書に出てくる言葉で、召公が武王をいさめていう。
「人をもてあそべば徳を喪い、物をもてあそべば志を喪う」
 そうなんです。父親や教師が子どもを一喝しない、あるいは、課長が課員を叱らないのは、上の人が下の人にやさしくしている姿ではなくて、じつは下の人をもてあそんでいるのではないか、と思えるのです。
「上」の人が、愛を喪ったからです。一喝や叱るということ、これは「愛」の一種なのです。若い人が社会に出てから、余計な敵や抵抗にあわず、温かい人間関係が結べるようにと、一喝するのです。自分が悪く思われる可能性を承知のうえで叱るのです。それをしないのですから、「ウヌが勝手に突っ走れ、わしゃ知らん」と言っているのと同じなんです。その原因について、考えなかったわけではありません。三つほど、あるんじゃないかと思ってもいます。

 第一は、前に述べたように「玩物喪志」の風潮があることですね。上に立つ人が叱り方を知らないのです。たまに「叱る」と「怒る」になってしまう。「叱る」は教育ですが、「怒る」は感情で、両者は全く違うのです。
 第二は、学校教育に問題があるようです。私の敬愛する過疎村の小学校の校長先生が、そのユニークな教育方法を評価されて、宮城教育大学の講師に招かれた時の話です。先生が、指定された大教室に入っていって、まず驚いたことは、教室じゅうがタバコの吸殻だらけ、机の上は埃だらけ、という光景でした。それに始業のベルが鳴ってから学生がゾロゾロ入ってくる。先生は開口一番、「さあ、みんな掃除をしようや」と言いました。学生たちは何と言ったか。「掃除は清掃会社の人がやってくれますよ」。先生は、黙って箒と雑巾を持ってきて掃除をはじめました。一割くらいの学生が手伝ったそうてす。学生は掃除をすべきか否か、が問題のではありません。吸殻や紙屑が散らかっていること、これは学生たちに「けじめ」がないことです。ルールもマナーも微塵だに考えられないことです。そんな精神状態のまま彼等は教育大学を出て子どもたちを教育するのです。
 第三は、家庭教育の問題です。いま、「箸の上げ下ろし」をうるさくいう親がいるでしょうか。玄関の三和土(たたき)の履き物がすべて出船になっている家があるでしょうか。
 そうです、以上三つの原因を総合すると「社会」「学校」「家庭」の三つの世界で「教育」が充分に行われていないということです。
 私は、このような状況を、何時も感じて暮しているのです。
 しかし、年齢がまだ若いのに、マナーもルールもきちんとできている人にあうのです。電話をかけてきて「いま、お話してもよろしいですか」とことわる青年もいるし、お茶碗の飲み口をそっと指でぬぐう娘さんもいるのです。狼に育てられたような人たちが多い中で、やはり人間に育てられたような人を見かけるのです。光っています。小気味がよい。能率的です。
 いま、アメリカでは子守りを日本の娘にたのむことが、大はやりです。なぜか。アメリカの娘は子守りをしながらランチを食べ終わると、食器もコーヒー茶碗もそのまま食卓の上においておく。「洗ってよ」というと、「皿洗いは子守りとは別の料金よ」と美しい指をそろえてお金を要求します。日本の娘は、黙って食器を洗い、拭き、格納する。その姿が「子どもたちの教育になる」というので、子守りをたのむのなら日本娘、になったのです。

 以上のことは会社での若者たちのマナーでも言えることです。とにかくマナーがデタラメなのです。これは労働組合のそんざいにも大きな原因があるのです。
 私の母はマナーに厳しい人でした。云う事を聞かないと薪でなくられたものです。今大感謝しています。

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『人としての生き方』(第42回)

 尊敬する吉田松陰先生は、叔父である玉木文之進の嫡男・彦介の元服式に贈った『士規七則』、その前文に実行する大切さを記しています。
 
    冊子を披繙せば、嘉言林の如く、躍々として人に迫る。
    顧うに人読まず。即し読むとも行わず。
    荀に読みて之れを行わば、則ち千萬世と雖も得て尽くすべからず。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第34回)

  京阪偵察

 菅は千住事件の二カ月後、幕府から内命があって、京都・大阪方面の偵察を命じられました。
 この内命は、幕府が徴募した新徴組を庄内に委託したとき、その交渉にあたった菅を、幕府の小栗が見込んでいたこと。これは前に申しました。

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