味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

就中泣下る、誰れか最も多き。江州の司馬、青衫湿う。

2017-03-14 05:14:07 | ブログ
第2996号 29.03.14(火)
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就中(なかんずく)(なみだ)下る、誰れか最も多き。江州の司馬、青衫(せいさい)湿(うるお)う。『古文真宝』
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 船の中で舞姫の身の上話を聞いて、あわれさにみな涙を流したのであるが、悲しい琵琶を聞いた人のうちで、だれがいちばん多く涙を流したか、それは江州の司馬、すなわち白楽天である。
 白楽天は潯陽江頭(じんようこうとう)、客を送って、船中琵琶をひく佳人に逢ったが、佳人も自分と同じく流落の身と聞いて、同病相憐れむ深い感慨に打たれたのである。(白楽天「琵琶行」)552

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 【コメント】ご紹介しながら情景を想像しています。現代は目の前にすぐ映像が出てきますが、活字だけで想像するところに得も言えぬ風情があります。

 昨日は、『酔古堂剣掃』より引いてご紹介しましたが、今日は続きをご紹介致します。
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<現代の日本の政治家とか経営者はその地位に就くと、嬉々として嬉しがる、幅を利かす、得意になる。それで大臣や社長を辞めるときには、むやみに執着する、未練を残す、苦悩する。しかし、これは東洋の宰相、リーダーたる資質じゃない。淡々として、水のごとしというところがあって初めて東洋人の好む、仰望する人、宰相であります。西郷さんなどは生活も自然で簡素である。だいたい豪邸を造るなんていうのは本当の宰相の器量じゃない。あれは成り上がり者のやることだ。だから、田中角栄(講話当時の首相)さんが宰相学を学んでいたら、これは偉くなったと思う。国民の大人気になる人だった。惜しいかな、彼はそういう学問をやりませんでした。

 そこへいくと明治の人は偉かった。私は感心したんだが、伊東博文などは、本来は成り上がり者です。長州藩のまったくの小物から出世した人物で、高杉晋作や久坂玄瑞などは「俊輔、俊輔」と呼び付けて手先に使い、あまり期待しておらなかった。彼らから言うなら、駆け出しの人物だったのですが、それでも明治の時代にはあのような大宰相になった。>

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『臥牛菅実秀』(第528回)
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 ここで山居倉庫の機能について簡単にふれておくと、入庫預り米は厳正な審査の上、等級別に一合単位の入庫伝票を、預り入庫済の証として入庫者に渡し、これを取りまとめて十石、五十石、百石単位の米券(法的には倉荷証券)を発行した。これは売買、授受、取引の都度に正米を運搬する労をはぶいた荘内藩の米券制度を近代化したものであった。

 また預り米は等級別に混合して、同時に品質、俵装を統一し、完全な貯蔵、保管を行い、随時に米券と引換えに出庫返戻する取扱法であった。

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