味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

天の方に蹶くや、然く泄泄することなし。

2015-11-26 10:00:57 | ブログ
第2525号 27.11.26(木)
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天の方(まさ)に蹶(うご)くや、然(しか)く泄泄(えいえい)することなし。『詩経』
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 天命の移動は、決してぐずぐずするものではない。たちまちにやってくる。悪政を施せば天罰たちまちに至る。「蹶」は動く。「泄泄」はぐずぐずすること。186 
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 【コメント】連日忙しい日々が続いています。呆ける暇がない位ですので有難いことだと思っています。今朝のテレビ報道で、高齢者が多くなり、呆け対策も早くしなければならなかった筈だと小倉氏が当局に苦言を呈しましたが、対策をとるべきは個人個人であるべきです。小倉氏もテレビに顔が映らなくなったら呆けるでしょう。
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 元気なうちに10年、20年先を展望し、自らが対策を講じ、自分の人生に向って邁進しなければならないのです。少なくとも私は、そのようにしてきました。76歳になった現在も、門弟に負けるものかと自らを叱咤し、文武両道にとりくんでいます。
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 昨日は午後3時40分頃から13年前のビデオ鑑賞をしました。「第20次西郷先生の遺徳を訪ねる旅」の際、味園道場風景を録画したものでした。荘内の先生方の当時の元気なお姿が拝見でき大変光栄でした。最後に小野寺先生が、熱っぽくお話してくださったのが印象的でした。
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 門弟たちが道場一杯に繰り広げる空手道と『南洲翁遺訓』発表風景は、見る者をして驚嘆せしめる雰囲気がありました。私が63歳の時でした。お蔭で昨夜は小野寺先生はじめ荘内の先生方の夢を一杯みた次第でした。
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 味園道場の修行方針は、当初の方針と全く変わっていません。只管、空手道と『南洲翁遺訓』等々の勉強の連続です。邪なやり方をする人々とは「席を同じうせず」で来ています。
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 只今26日、午前10時半です。平成七年に第二道場で指導した録画風景がテレビに映しだされています。20年前録画したものです。昨年お亡くなりになった岩坪清美師範も映っています。
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 『南洲翁遺訓』を覚えるため絶叫していたお蔭で、脳が異常開発したらしく、東大へ20名ほどの人が進学してくれました。合格した親御さんがなんでだろうと不思議に話してくれたものです。私もわかりませんが、ある人から脳が異常開発したのでしょうとお聞きしたものです。
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 でも最終的に学ぶべきは人の道であります。私どもには『南洲翁遺訓』があるから、大変有難いと思っています。昨日も、国税局の27歳の青年の非違行為、小学校の38歳の先生の非違行為で逮捕されたと報じられています。
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 報道にはありませんが、学校教育現場でも大変らしいです。でも元三公社の方々は民営化されたお蔭で、「大和」の國の「ひの本」民族の精神に触れ、幾らかよくなったと感じています。以前のままだったら、逮捕者が続出していたことでしょう。
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 とにかく、『南洲翁遺訓』を学ぶことに如くはなしということです。
 
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『臥牛菅実秀』(第63回)
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 かかる程に、海内軽悍無行の徒、其の気焔を伺い、自ら報告尽忠の士と称し、或は京畿に於て暴行を恣(ほしいまま)にし、或は江戸に来り英人の商館を夜襲し、名を軍用金に仮り、富豪の家に押し入り、金策強談止む時なく、閭門昼鎖すに至るも、大府、優惰にして之を制止するの威力なし。因て京都は会津(福島県、藩主松平容保)に守護職を命じ、江戸は我が藩をして鎮圧せしむるの台命は下りぬ。以上、荘内、会津、朝敵の名を受けし原因なり。
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『論語』(第456)
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 子貢曰はく、「君子も亦悪(にく)むことあるか。」子曰はく、「悪むことあり。人の悪を称する者を悪む、下流に居て上を訕(そし)る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒(ふさ)がる者を悪む。」曰はく、「賜も亦悪むことあるか。」「伺うて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇となす者を悪む。訐(あば)いて以て直となす者を悪む。」
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 子貢が『先生のような君子にも嫌いな人があられますか。』と問うたので、孔子が『それはあるとも。他人の悪事を言い立てる者がきらいだ。下位に在って上位の者を悪しざまにそしる者が嫌いだ。勇のみあって礼の無い者がきらいだ。思い切りはよいが道理のわからぬ者がきらいだ』と答えられた。
 そして子貢に向って、『賜も亦きらいな人があるか。』と問われた。答えて申すには、『知と勇と直とは結構でありますが、人の言うことすることの先くぐりをして知なりとする者が嫌いであります。傲慢無礼を勇なりとする者が嫌いであります。他人の内緒事をあばき立てて直なりとする者が嫌いであります。』
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『農士道』(第340回)
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 外篇に於て陰陽文質の理より本末の関係を明らかにし、農道生活は其の原理を「質」-----即ち「本」に置くべきことを述べた。而して本章に於いては日本精神の眞髄が、亦「本」の原理にあることを論じた次第である。かかる観点より日本農道の本義を考察すれば、「本」の中の最も「本」たるべきものたることが明らかにされたことと思う。日本は世界の「ひの本」国家であり、農は又其の「國の本」なるのである。かくて日本農道は「本之又本」たるものと謂ふべく、最も純粋深毅に「本」の原理に従ふべきものである。
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 (註)本節に於て「ひの本」「ひの末」の語を用いて来たが、それは従前の「本」「末」又は「文」「質」と同じ意義なるを以て、以下一々「ひ」の語を添えるのを省略して、「本」の原理、「末」の原理ということとする。
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