タイトル---真読の工夫。第1624号 25.06.6(木)
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所謂その意を誠にすとは、自ら欺く毋きなり。悪臭を悪むがごとく、好色を好むがごとし。これをこれ自ら謙くすと謂う。故に君子は必ずその独りを慎むなり。『大学』伝六章。
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いわゆるその意を誠にすとは、我が身を修めるに当たり、善をなし悪を去るべきを知れば、真実に全力を尽くしてこれをなし、決してかりそめにごまかしをして自分の本心を欺いてはならぬ。故に君子はひとりを慎み、学問に精出すのことが肝要であります。
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『大学』の書を購入したのが、昭和59年1月27日となっています。これを筆写完了したのが昭和59年2月14日でした。四書五経を購入し訳が分からないまま、読み、かつ筆写し、録音して聞いてきました。それでも楽しくて楽しくてなりませんでした。
30年経過して、これは正解だったと自分で満足しています。生きて行く上においては、先ず人様との関係を良好にしなければなりません。ということは自らを修めなければならないのです。
今年になって小学生に英語の授業を導入することになりましたが、それよりか日本の古典、そして漢籍を導入する方が先決だと思いますが、オエライ方々が決めたことは、どうしようもないのでしょう。ならば、自分は、我が子は、古典を学ぶことを心がけては如何でしょう。
これは人の道を説いているからです。大和の國に華開いた古典をないがしろにして物質至上主義になったら、天のしっぺが来るのです。
それを二宮尊徳も教えているのです。自分の身は自分で守り、自分だけは天の理に反しない生き方をしたいものです。
今朝の学問館で418回になりました。今朝は『中庸』と『南洲翁遺訓』第六、七、八、九、十章を学修しました。『南洲翁遺訓』は1000回は読んだであろうと思います。
『南洲翁遺訓』は徂徠学を学んだ荘内であったからこそ出来たのです。併せて『臥牛 菅実秀』を読み、かつ筆写し短歌を創っています。短歌が400首を超えました。でも素人でありますので、荘内の先生方から見たら、稚拙に見えるでしょうが、その心意気はご理解して戴けると信じています。
臥牛翁を拝読しなから、小野寺先生が生きていたら、荘内に行き、いろいろ語り合いたいという思いです。でも私の心は通じていると確信しています。早逝は鹿児島のある男が、『南洲翁遺訓』事件のことで肩すかしをしたのが遠因でもあるのです。口では『南洲翁遺訓』のことを言いながら、『南洲翁遺訓』の精神が全く分かっていない、鹿児島の偉いとされる人間でした。
最近、特別支援学級の子どもが私の処に来るようになりました。この子どもたちも訳が分からないまま、「道は天地自然のものにして」と口ずさむのです。
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誠意とは自分で自分を欺かず
自分で自分を慊くすこと 4417 『大学』104頁
欺くは消極的の意でありて
慊くすは積極の意 4418 『大学』104
自らを欺かないということは
真独の工夫これにつきざり 4419 『大学』104
人間の心に生ず動揺は
抑え処理して人格決定 翫習 「知命と立命」
快猛師闇夜発砲驚かず
感覚あるも動ぜぬ精神 翫習 前掲書
気を付ける旅のルールはこの二つ
荷は持ってもらわぬ一等車に乗らぬ華麗「あいうえ語録」
礼とはコップを上向けするように
形を整え受け入れ体制 華麗 前掲書
今日では友のかわりにハガキ来る
場合がはるか多くなるなり 華麗 前掲書
郡代の春山実秀独断で
献金集めた憤慨すなり 4420 『臥牛 菅実秀』
金穀に関することはわれわれの
職掌なるも君一言もなし 4421 前掲書
春山は実秀行為に憤慨し
今後一切相談応じぬ 4422 『臥牛 菅実秀』
金集めしたのでなくて軍用の
銃器集めだ口出しするな 4423 前掲書