味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

儒に、貧賤に隕穫せず、富貴に充詘せず、

2018-12-19 09:43:04 | ブログ
第3631号 30.12.19(水)

儒に、貧賤に隕穫(いんかく)せず、富貴に充詘(じゅうくつ)せず、君王にはづかしめられず、長上に累(わづら)はされず、有司(いうし)にやましめられざる有り。故に儒と曰ふ。今衆人の儒を命(な)づくるや妄なり、常に儒を以て相詬病(あいこうへい)すと。『礼記』907

 儒者には次のような人びとがあります。すなわち、貧賤のために苦しんで志を捨てることなく、富貴のために満足して道を忘れることなく、君主の権勢に屈して辱かしめられることなく、目上にも役人にも故なき妨害や圧迫を甘受しない、このような人物でございます。このような毅然独立の人物であればこそ「儒」と申すのでございます。今や、多くの人は好いかげんに儒という名を用い、常に儒者をば笑い物にしております。 

 【コメント】我々凡人も、どんなに貧しくても豊かにっても、どういう地位についても、絶えず平常心を保ち、世の人々と共通理解をし日々に挑みたいものです。

 あと半年すれば80歳を迎える訳ですが、父の事業の後始末、模合の支払いの後始末等々してきたお蔭で、貴重な社会経験をしてきたと邂逅しています。

 そういう経験を踏まえ大事なことは、金銭に対して、無駄遣い等々することなく、真摯でなければと自覚しており、囲碁・将棋・パチンコ・麻雀というギャンブルの類はしてはならないと肝に銘じています。
 ただ、本キチガイであることから、直ぐ本を買うということをしてきましたので、これも慎まなければと思っているところです。

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『善の研究』第107回

 我々の身体もやはり自己の意識現象の一部にすぎない。意識が身体の中にあるのではなく、身体はかえって自己の意識の中にあるのである。神経中枢の刺激に意識現象が伴うというのは、一種の意識現象に伴うて起るというにすぎない。もし我々が直接に自己の脳中の現象を知り得るものとせば、いわゆる意識現象と脳中の刺激との関係は、ちょうど耳には音と感ずる者が眼や手には糸の震動と感ずると同一であろう。

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 『菜根譚』117

 衰颯(すいさつ)の景象は、就ち盛満の中に在り、発生の機緘(きかん)は、即ち零落の内に在り。故に君子は安きに居りては、宜しく一心を操りて以て患を慮(おもんばか)るべく、変に処しては、当に百忍を堅くして以て成るを図るべし。

 〔訳〕ものごとの衰えるきざしは、最も盛んで隆々たるときすぐにもう始まり、新しい芽生えのはたらきは、葉の落ち尽したとき早速に起きているのである。そこで君子たるものは、無事平穏なときには、本心を堅く守り通して他日の患難に備えるべきであり、また異変に対処したときには、あらゆる忍耐を重ねてあくまでも成功することを図るべきである。
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 北海道でガス爆発が誘引とされる大火災が発生しました。こういったスプレーは、使用していた当該本人が、屋外でガス抜きをした方がいいと思うのですが、如何でしょうか。

 新家屋では、消臭のため使用するとのことですが、新しい家屋は、窓を開けて風を入れることによって人間は臭いになれる筈なのです。そのように出来ているのです。

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