味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

行いて余力あらば、則ち以て文を学べ。

2015-11-11 10:10:04 | ブログ
第2510号 27.11.11(水)
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行いて余力あらば、則ち以て文を学べ。『論語』
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 学問の目的は実行にある。学問をする者は、ややもすると、実務を離れがちであるが、実務を離れた学問は、真の学問ではない。
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 すべて人間のなすべきことをしっかりやって、なお余力があったら、その力をもって学問をすべきだ。21

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 【コメント】『論語』第六番に出てくる有名な言葉であります。円心会で空手道を修行している子供たちは、『南洲翁遺訓』と平行して『論語』の言葉も覚えてくれます。これは大変大事なことであります。原文は、
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 子曰はく、弟子、入りては則ち孝、出てては則ち弟、謹んで信、汎く衆を愛して仁に近づき、、行うて餘力あれば則ち以て文を学べ。『論語』学而第一

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 家庭にあっては、父母に孝行をつくしなさい。世間に出ては年長者をはじめ従順に従いなさい。行いは真面目にし丁寧な言葉を遣い、分け隔てなく人々に接しなさい。中でも仁者に親しみ近づきよい教えを受け実行しなさい。それでもまだ余力があれば、学問に励みなさい。
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 何というよい教えでしょう。幼い頃からこういうよい教えを受けた子供は、素直にすくすくと成長することでしょう。
 こういった素晴らしい教材を先の大戦以降、全て棄て去ったから現今の青少年の犯罪は減少しないということです。だから私は、『南洲翁遺訓』と古典を子供たちと学んでいるのです。
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 今朝のデレビ報道で、21歳の青年と他三人の若者が、高速道路を通行している車両に対して、道路上の橋から卵350個を投げつけたと報道されました。面白半分にしたことなのでしょうが、その代償は今後の人生に大変な悲劇としてついて行くことでしょう。
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 これとはやや次元を異にするのですが、学校の先生方が実践してきた平和・反戦・人権運動もよいことなのですが、これに躾教育が同時に行われなければならなかったと思うのです。
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 昨晩は、行軍を致しました。背中15キロ、片足6キロ装着し、遊歩道を1時間あるきました。天風の『運命を拓く』を聞きながらでした。真っ暗闇の山に入って行くものですから、知らないひとはあのジイサン気が狂っているのではとみている人もいるかも知れません。実践している本人は老体に鞭を当てながら楽しんでいるのです。
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 12日、宮川小学校児童クラブで1時間お話をさせて戴くことになりました。40名ほどいるのだそうです。思うに子供たちは、良い子になる躾教育に餓えているように思えてならないのです。
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 全国の子供たちに『南洲翁遺訓』を覚えてもらい、私が訳した「誓いのことば」を何回も復誦させ、道徳の基礎として子供たちの精神に植え付けたら世の中良くなると思うのですが。荘内南洲会の先生方、如何でしょう。
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 西郷南洲翁を学ぶのは、ずっと後でいいのです。生きた時代が違うからです。ひと月ほど前、南洲精神を世の人々がわかっていないから、人々を啓蒙しなければならないとある作家が私に熱弁を揮いましたが、これは水泡に帰すだろうと思います。

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『臥牛菅実秀』(第48回)
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   (四)
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 幕末の各藩の動きに見られたように、荘内藩にも藩論に二つの流れがあった。徳川家の譜代親藩として幕府強化の立場を貫こうとする考えと、当面の混乱を防ぐために、朝廷と幕府の合議体制、いわゆる公武合体の線にもっていこうとする考えと二つの流れが伏在していた。
 酒井家は祖先忠次以来、徳川家と特別に深い関係を持つ名門である以上、当然、前者の考え方が主流であり、藩主忠発はあくまでもこの考えに立っていたが、後者の考えも、あるときは表面に浮び上り、あるときは底に沈みながら、たえず忠発の立場を揺ぶっていた。そして、その中心人物は酒井右京、大山庄太夫などの名家重臣であった。忠発は藩論の統一のために、これら先代以来の名家重臣を退けるという苦しい決断を、しばしば下さなければならなかったのであった。

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『論語』(第443)
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 子伯魚に謂って曰はく、「女(なんじ)周南召南を為(まな)びたりや。人にして周南・召南を為ばずんば、其れ猶正しく牆(かき)に面して立つが如きか。」 
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 孔子がお子さんの伯魚に言うには、『お前は周南・召南の詩を勉強したか。周南・召南は治国平天下の出発点たる修身斉家の道を詠んだ詩だから、人たる者周南。召南を学ばなくては、塀に鼻突合せて立っているようなもので、一歩も進めず一物も見得ないであろうぞ。』
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『農士道』(第325回)
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 高野山や善光寺等には千余年に渉って所謂消えずの燈がある。開山の点じた火を次から次へと証明に移して今日に至ったものといふが、其の深き意義に味到すれば、「火嗣ぎ」は精神的に見れば「霊嗣ぎ」であるが、故に尊いのである。
 之を要するに「ひ」とは凡べての物を生長する霊畏なる御霊-----即ち霊妙不可思議なる生命力である。かくて吾々一切の生命的活動は、実にこの「ひ」の力によって生ずるものである。

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