味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

鸚鵡は能く言えども、飛鳥を離れず。

2015-11-10 09:51:46 | ブログ
第2509号 27.11.10(火)
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鸚鵡(おうむ)は能く言(ものい)えども、飛鳥を離れず。『礼記』
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 鸚鵡は人間のことばをよくまねるが、結局鳥であることには変わりはない。
 人間も、いかにことば巧みに話しえても、礼にはずれた言行があっては、つまるところ禽獣にひとしい。267

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 【コメント】ついうっかり〈礼にはずれた言行〉があっても、ことさら咎めないで聞き流してよい場合もあるかも知れません。それが、精神の性の悪癖から来るものであってはならないと思います。
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 言行を商売にしている政治家について、作家・曽野綾子氏は厳しく論難しています。曰く、
〈日本人は、政治家以外は皆、賢くて教養がある人がたくさんいて、誰でも平時にはいい人です。〉(『人間の基本』非常時に備える、頁177)〉

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『臥牛菅実秀』(第47回)
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 松平権右エ門がそうであったように、山口三郎兵衛も、自分を顕すことよりも、『人の善を楽しみ、循々として後進を誘掖せり』----赤沢経言『山口君美翁績状』------といった長者の風格を持った人であった。これは後年のことであるが、西郷隆盛が赤沢経言に、
「お国の山口翁は、古人の風采のある、ゆかしい老人であった。」
といったという。
 その山口三郎兵衛が、小禄の士、実秀に目を注いでいたことは、その後の人生を大きく変えることになったのである。

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『論語』(第442)
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 子曰はく、小子何ぞ夫(か)の詩を学ぶ莫(な)き、詩は以て興すべく、以て観るべく、以て群すべく、以て怨むべし。之を邇(ちか)くしては父に事(つか)へ、之を遠くしては君に事へ、多く鳥獣草木の名を識(し)る。
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 孔子が言うには、『若者どもよ。なぜあの詩を学ばないのか。詩というものは、人の心を感奮興起させ、人情風俗治乱興亡を観察させ、衆人と群れて和らぎ楽しませ、人を怨み政を怨むにも上品に怨ませる。そして家に於ては親に事へ、国に於ては君に仕ふる事まで、すべて詩によって感得される。其上に多く鳥獣草木の名を識るといふ効用まであるのだよ。』
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『農士道』(第324回)
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 それで生きる力-----生命力は「火」の気が体中に存するもの、その「火」の気が去ってしまえば、其の體には已に生命が無きものと考へ、「火」を生命の根元と見たのである。天津日嗣(ひつぎ)、日嗣皇子等の「日嗣」は、生命を嗣ぐの意であるが、その「日嗣」が、「火嗣」とも解され、太古は「火」を神聖視して、代々之を継ぐ者即ち「火継ぎ」の者が、「霊継」の者であり、佛教等に於ても教の生命を永久に傳ふる意味に於て、法灯を消さずに傳ふることに感激を有つのである。

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