味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

子曰く、囘の人と為りや、

2019-01-22 08:52:44 | ブログ
第3665号 31.01.22(火)

子曰く、囘の人と為りや、中庸を撰び、一善を得れば、則ち拳拳服膺(けんけんふくよう)して、之を失はず、と。
子曰く、天下国家をも均(おさ)む可きなり。爵祿をも辞す可きなり。白刃をも踏む可きなり。中庸は能くす可からざるなり、と。『中庸』213


 孔子の門人たちもみな中庸をはげんだ。なかでも顔淵(がんえん)がもっともすぐれていた。孔子は「回の人がらというものは、中庸を択びとり、一つの善い事を知ると、それを心をこめて自分の知識にしてしまい、二度と忘れない。このようにして常に向上につとめているのである」といわれた。
 されば、孔子はまた、「人にとってもなしがたいことは、天下国家を安らかに治めることと、高位高官を潔く辞退することと、勇敢に敵の中に攻め入ることなのであるが、それらも中庸を守ることに比較すると、天下国家はなお平らかに治められる。高爵厚禄はなお辞退できる。白刃はなお踏みやぶれる。だが、中庸だけは行ない通すことができない。その困難な中庸を、顔回はまことによく行なっている」といって感嘆された。


 【コメント】顔厭は孔子の高弟であり、魯の國の人で、孔子より三十歳の年少者。貧困のうちにあって、学問の楽しみを一すじに修め、孔子にもっとも信頼されていたが、不幸にも短命で、孔子よりも先に死んだ。孔子はその死を「天、予を喪(ほろ)ぼせり」といってなげいた。曾子は顔淵の人がらを「能を以て不能に問ひ、多を以て寡に問ひ、有れども無きがごとく、実つれども虚しきがごとく、犯さるるも校(てむかい)せず。昔はわが友嘗てここに従事せり」と評している。後世、亜聖といわれている。

 解説によると中庸だけは行ない通すとはできないとしていますが、難解であってもどれだけ取り組めるか試してみたいものです。荘内南洲会の先生方でしたら可能かも知れません。

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『善の研究』第133回

 かくの如く主客の未だ分かれざる独立自全の真実在は知情意を一にしたものである。真実在は普通に考えられているような冷静なる知識の対象ではない。我々の情意より成り立った者である。即ち単に存在ではなくして意味をもった者である。それでもしこの現実界から我々の情意を除き去ったならば、もはや具体的の事実ではなく、単に抽象的概念となる。物理学者のいう如き世界は、幅なき線、厚さなき平面と同じく、実際に存在するものではない。この点より見て、学者よりも芸術家の方が実在の真相に達している。

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『菜根譚』148

 人と作(な)るに、点の真懇の念頭なければ、便ち個の花子(かし)と成り、事々皆虚なり。世を渉るに、段の円活の機趣なければ、便ちこれ個の木人にして、処々に碍あり。

 〔訳〕人であるためには、少しは誠実な心がなければ、全くこじきと同じになり、その言うことなすことは皆いつわりである。また、世渡りのためには、ひとつ如才のない気転がなければ、全くでく人形と同じで、どこへ行っても障害に突き当たる。
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 韓国海軍とのトラブルは日本側が円満な解決策がないとして、退いた感があります。訳のわからない人とはトラブルは起こさない方が賢明でしょう。答えはケントギルバート著『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』を御読みくださるようお勧め致します。

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