味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

哀公曰く、敢て問ふ

2018-10-04 15:22:45 | ブログ
第3559号 3010.05(金)

哀公曰く、敢て問ふ、人道は誰(いづれ)をか大と為すと。孔子愀然(しょうぜん)として色を作(な)して對(こた)えて曰く、君の此の言に及べるや、百姓の徳なり。固(まこと)に臣敢て辭すること無くして對へん。人道は政を大と為すと。公曰く、敢て問ふ、何をか政を為すと謂ふと。孔子對えて曰く、政とは正なり、君正しきを為せば、則ち百姓政に従ふ。君の為す所は、百姓の従ふ所なり、君の為さざる所は、百姓何ぞ従はんと。公曰く、敢て問ふ、政を為すこと之を如何と。孔子對えて曰く、夫婦別あり、父子親あり、君臣嚴なるべし。三の者正しければ、則ち庶物之に従ふと。『礼記』765

 孔子の質問に哀公が言った、「尋ねるが、人の道として何が最もだいじであろうか」と。孔子
は答えた。「わが君がそのように仰せられますのは、民ぐさの幸いでございます。わたくしも喜んで憚りなくお答えいたします。人の道として大事なものは政治でございます」。公「尋ねるが、政治とは何をなすことであろうか」。孔子「政とは正であり、君主が正道を行えば人民はその政治に従います。君主の行うところに人民は従うのであり、君主の行わないことを、人民がどうして行いましょう」。公「では政治はまず何から行ってゆこうか」。孔子「夫婦の別を失わないこと、父子の親しみを損なわないこと、君臣の道を厳しく守ること、この三つが正しく行われさえすれば、すべてがこれに従って参ります」。


 【コメント】政治の守るべき3つのことをあげてありますが、大事なことでございます。とにかく、世に生きる人々が協力しあって日々に挑むことが要諦でありましょう。

 先日は、荘内酒田の本間邸がテレビでご紹介されました。そして飛島のことも詳しく報道されました。その昔、荘内南洲会小野寺理事長から詳しく説明を頂いたのを思い出しながら、拝見しました。

------------
征韓論に反対した大西郷---第17回

 
「朝鮮の儀は数百年来交際の国で、御一新以来、葛藤を生じていたからといって、戦端を開いたことは誠に遺憾千萬である。測量することを予めことわり、朝鮮国で承諾した上で、先方が発砲したのであれば敵とみなしてもいいが、その手続きをふまず、唯、朝鮮を蔑視して、先方が発砲したから応砲したというのであれば、実に、天理に於て恥ずべき行為である。自分は、この為の武力行使には、大きな疑惑を感じている。外交の正道を尽さず、弱国を慢り、強国を恐れる心から術策を弄して起ったものと考える」このような経過で修交条約を結んでも真の修交盟約にはならないというのが西郷の心底であったろうと思います。

-------------
『善の研究』第39回

 他面より見れば真の純粋経験とは単に所動的ではなく、かえって構成的で一般的方面を有っている、即ち思惟を含んでいるといってよい。
 純粋経験と思惟とは元来同一事実の見方を異にした者である。かつてヘ-ゲルが力を極めて主張したように、思惟の本質は抽象的なるにあるのでなく、かえってその具体的なるにあるとすれば、余が上にいった意味の純粋経験と殆ど同一となってくる、純粋経験は直に思惟であるといってもよい。

--------------

禮を隆び禮に由る、之を有方の士と謂ひ

2018-10-04 09:42:56 | ブログ
第3558号 30.10.04(木)

禮を隆(たっと)び禮に由る、之を有方の士と謂ひ、禮を隆ばず禮に由らざる、之を無方の民と謂ふ。敬譲の道なり、故に以て宗廟に奉ずれば、則ち敬あり、以て朝廷に入れば
、則ち貴賎位有り、以て室家(しつか)に處れば、則ち父子親み兄弟和(やはら)
ぐ、以て郷里に處れば、則ち長幼序有り。孔子曰く、上を安んじ民を治むるは、禮より善きは莫しと。此の謂なり。『礼記』758

 礼を尊び礼によって生活する人、これを有徳の士といい、礼を軽んじ礼によらない人、これを無道の民というのである。礼とは敬と譲との道である。ゆえに礼に従って宗廟に参詣すれば、敬の道が尽くされ、礼に従って朝廷に参上すれば貴賎の別が乱されることなく、礼に従って各自の家に居れば、父子兄弟みな親和し、礼に従って村や町に居れば、老若長幼の別が好く守られる。孔子はこう言っている。「君主をその位に安んじさせ、人民をうまく治めてゆくには、礼ほど有効なものはない」と。これは上述の趣旨に合っているのである。

 【コメント】人間社会にはいろいろの問題が生じて参ります。そういう処世の中で問題が生じた時は、礼の精神に則り、おだやかに協議し、円満に解決したいものです。

 世の人びとが納得・理解しない不当要求は人びとの共感も得られないし、天も認めないでしょう。

------------------
征韓論に反対した大西郷---第16回

 戦死、日本一名、朝鮮三十五名、政府は、この事件を朝鮮国の暴撃なりと断じ、全権大使に黒田清隆を任じ、軍艦五隻を派遣、威嚇を以て二月二十六日、懸案の修交条約を調印した。政府は、これを成功と評価した。しかし、西郷は違う。
 西郷の書簡は、七百字のかなり長いものであるから、その要旨を述べる。

---------------
『善の研究』第38回

 されば純粋経験の事実は我々の思想のアルファでありまたオメガである。要するに思惟は大なる意識体系の発展実現する過程にすぎない。若し大なる意識統一に住してこれを見れば、思惟というのも大なる一直覚の上における波瀾にすぎぬのである。たとえば我々が或目的について苦慮する時、目的なる統一的意識はいつでもその背後に直覚的事実として働いているのである。それで思惟といっても別に純粋経験とは異なった内容も形式を有っておらぬ、ただその深く大ではあるが、未完の状態である。

------------