第3559号 3010.05(金)
哀公曰く、敢て問ふ、人道は誰(いづれ)をか大と為すと。孔子愀然(しょうぜん)として色を作(な)して對(こた)えて曰く、君の此の言に及べるや、百姓の徳なり。固(まこと)に臣敢て辭すること無くして對へん。人道は政を大と為すと。公曰く、敢て問ふ、何をか政を為すと謂ふと。孔子對えて曰く、政とは正なり、君正しきを為せば、則ち百姓政に従ふ。君の為す所は、百姓の従ふ所なり、君の為さざる所は、百姓何ぞ従はんと。公曰く、敢て問ふ、政を為すこと之を如何と。孔子對えて曰く、夫婦別あり、父子親あり、君臣嚴なるべし。三の者正しければ、則ち庶物之に従ふと。『礼記』765
孔子の質問に哀公が言った、「尋ねるが、人の道として何が最もだいじであろうか」と。孔子
は答えた。「わが君がそのように仰せられますのは、民ぐさの幸いでございます。わたくしも喜んで憚りなくお答えいたします。人の道として大事なものは政治でございます」。公「尋ねるが、政治とは何をなすことであろうか」。孔子「政とは正であり、君主が正道を行えば人民はその政治に従います。君主の行うところに人民は従うのであり、君主の行わないことを、人民がどうして行いましょう」。公「では政治はまず何から行ってゆこうか」。孔子「夫婦の別を失わないこと、父子の親しみを損なわないこと、君臣の道を厳しく守ること、この三つが正しく行われさえすれば、すべてがこれに従って参ります」。
【コメント】政治の守るべき3つのことをあげてありますが、大事なことでございます。とにかく、世に生きる人々が協力しあって日々に挑むことが要諦でありましょう。
先日は、荘内酒田の本間邸がテレビでご紹介されました。そして飛島のことも詳しく報道されました。その昔、荘内南洲会小野寺理事長から詳しく説明を頂いたのを思い出しながら、拝見しました。
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征韓論に反対した大西郷---第17回
「朝鮮の儀は数百年来交際の国で、御一新以来、葛藤を生じていたからといって、戦端を開いたことは誠に遺憾千萬である。測量することを予めことわり、朝鮮国で承諾した上で、先方が発砲したのであれば敵とみなしてもいいが、その手続きをふまず、唯、朝鮮を蔑視して、先方が発砲したから応砲したというのであれば、実に、天理に於て恥ずべき行為である。自分は、この為の武力行使には、大きな疑惑を感じている。外交の正道を尽さず、弱国を慢り、強国を恐れる心から術策を弄して起ったものと考える」このような経過で修交条約を結んでも真の修交盟約にはならないというのが西郷の心底であったろうと思います。
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『善の研究』第39回
他面より見れば真の純粋経験とは単に所動的ではなく、かえって構成的で一般的方面を有っている、即ち思惟を含んでいるといってよい。
純粋経験と思惟とは元来同一事実の見方を異にした者である。かつてヘ-ゲルが力を極めて主張したように、思惟の本質は抽象的なるにあるのでなく、かえってその具体的なるにあるとすれば、余が上にいった意味の純粋経験と殆ど同一となってくる、純粋経験は直に思惟であるといってもよい。
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哀公曰く、敢て問ふ、人道は誰(いづれ)をか大と為すと。孔子愀然(しょうぜん)として色を作(な)して對(こた)えて曰く、君の此の言に及べるや、百姓の徳なり。固(まこと)に臣敢て辭すること無くして對へん。人道は政を大と為すと。公曰く、敢て問ふ、何をか政を為すと謂ふと。孔子對えて曰く、政とは正なり、君正しきを為せば、則ち百姓政に従ふ。君の為す所は、百姓の従ふ所なり、君の為さざる所は、百姓何ぞ従はんと。公曰く、敢て問ふ、政を為すこと之を如何と。孔子對えて曰く、夫婦別あり、父子親あり、君臣嚴なるべし。三の者正しければ、則ち庶物之に従ふと。『礼記』765
孔子の質問に哀公が言った、「尋ねるが、人の道として何が最もだいじであろうか」と。孔子
は答えた。「わが君がそのように仰せられますのは、民ぐさの幸いでございます。わたくしも喜んで憚りなくお答えいたします。人の道として大事なものは政治でございます」。公「尋ねるが、政治とは何をなすことであろうか」。孔子「政とは正であり、君主が正道を行えば人民はその政治に従います。君主の行うところに人民は従うのであり、君主の行わないことを、人民がどうして行いましょう」。公「では政治はまず何から行ってゆこうか」。孔子「夫婦の別を失わないこと、父子の親しみを損なわないこと、君臣の道を厳しく守ること、この三つが正しく行われさえすれば、すべてがこれに従って参ります」。
【コメント】政治の守るべき3つのことをあげてありますが、大事なことでございます。とにかく、世に生きる人々が協力しあって日々に挑むことが要諦でありましょう。
先日は、荘内酒田の本間邸がテレビでご紹介されました。そして飛島のことも詳しく報道されました。その昔、荘内南洲会小野寺理事長から詳しく説明を頂いたのを思い出しながら、拝見しました。
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征韓論に反対した大西郷---第17回
「朝鮮の儀は数百年来交際の国で、御一新以来、葛藤を生じていたからといって、戦端を開いたことは誠に遺憾千萬である。測量することを予めことわり、朝鮮国で承諾した上で、先方が発砲したのであれば敵とみなしてもいいが、その手続きをふまず、唯、朝鮮を蔑視して、先方が発砲したから応砲したというのであれば、実に、天理に於て恥ずべき行為である。自分は、この為の武力行使には、大きな疑惑を感じている。外交の正道を尽さず、弱国を慢り、強国を恐れる心から術策を弄して起ったものと考える」このような経過で修交条約を結んでも真の修交盟約にはならないというのが西郷の心底であったろうと思います。
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『善の研究』第39回
他面より見れば真の純粋経験とは単に所動的ではなく、かえって構成的で一般的方面を有っている、即ち思惟を含んでいるといってよい。
純粋経験と思惟とは元来同一事実の見方を異にした者である。かつてヘ-ゲルが力を極めて主張したように、思惟の本質は抽象的なるにあるのでなく、かえってその具体的なるにあるとすれば、余が上にいった意味の純粋経験と殆ど同一となってくる、純粋経験は直に思惟であるといってもよい。
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