味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

故に詩の失は愚、書の失は誣、

2018-10-02 17:22:38 | ブログ
第3557号 30.10.03(水)

故に詩の失は愚、書の失は誣、楽の失は奢、易の失は賊、禮の失は煩、春秋の失は亂なり。其の人と為りや、温柔敦厚にして愚ならざるは、則ち詩に深き者なり、疎通知遠にして誣ひざるは、則ち書に深き者なり、廣博易良にして奢らざるは、則ち楽に深き者なり、潔静精微にして賊とならざるは、則ち易に深き者なり、恭儉荘敬にして煩ならざるは、則ち禮に深き者なり、屬辭比事して乱れざるは、則ち春秋に深き者なり。『礼記』756

 従って六経に基づく教育はその失敗した場合、詩経は人を愚・単なるお人よしにし、書経は人を・ほら吹きにし、楽経は人を奢・驕慢にし、易経は人を賊・反社会的にし、礼儀は人を煩(礼儀に口うるさいこと)にし、そして春秋は人を乱(口才や文才にまかせて放縦)に流れしめるのである。
 こうしたわけだから、その人柄が温柔敦厚であってしかも愚でなく、疎通知遠であってしかも誣でなく、広博易良であってしかも奢でなく、潔静精微であってしかも賊とならず、恭儉荘敬であってしかも煩でなく、屬辭比事の才能があってしかも乱に流れないなら、それこそは詩、書、楽、易、礼、もしくは春秋の経学に深い人なのである。 


 【コメント】長い人生では、いろいろな出来事が起こります。折角人様(相手)の為にと思って親切にしてあげても、その対象が事象を的確に理解処理する能力がなければ、親切にしてあげた事柄を真逆に受け取ることだってあるものです。

 そのような時私は、天はどう見ているか、相手がどう受け取ろうが、いちいち穿鑿しないことにしています。真面に理解できない人に理解しなさいと言ってもそれは無理というものだからです。

 凡そ80年生きてきて言える事は、今の私の判断がいいということが立証されたと思っています。要は利害に先走らないことだと思います。そしてどういう人であれ、差別することなく誠心誠意対応することができれば、その方法が最適だと思います。

 台風24号が通過したかと思っていたら、より強い台風25号が同じコースを辿って来襲するとのことです。幼い頃から台風慣れはしているつもりでしたが、気を抜かず万全の戸締りをしなければならないと思っています。
 何事にしても、そういうことは知っていると思ってたかをくくっていると大変な目にあうものです。

 先日、ナイフを所持していた若い警察官が逮捕されました。やや軽い処分を言い渡されたということですが、当該本人は依願退職をされたとの由、これから後悔の日々が続くことでしょう。

 貧乏家庭に育ち、学歴能力ない私ですが、30年以上にわたり猛勉強をしてきました。そしてあるべき人格像は荘内の先生方のお姿でした。

 長年いろいろ手を染めてきましたが、漢籍との日々の交流は最高だと思っています。

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征韓論に反対した大西郷---第15回

 西郷は常に生命懸けであった。死を賭して事に当った。そしてまた、信を相手の腹中において、事を平穏におさめる広量もあった。
  四、江華島事件に対する西郷の見解
 朝鮮国に対する西郷の考えを明白にするものに、明治八年十月八日付、篠原冬一郎(国幹、西郷と共に下野、陸軍少将、私学校監督、西南役一番大隊長として出陣し三月四日吉次峠で戦死)に宛た手紙がある。
 江華島事件に関するもので、この事件は、明治八年九月二十日、軍艦雲揚艦長井上良馨が、朝鮮国西海岸の測量を実施し、飲料水を求めるため、舟艇をおろし江華湾を航行中、草芝砲台より発砲あり、我軍、二十一日、二十二日艦砲で砲撃、陸戦隊を上陸させ、これを沈黙させた。109頁

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『善の研究』第37回

 たとえば行為におていてもまた知識においても、我々の経験が複雑となり種々の聯想が現われ、その自然の行路を妨げた時我々は反省的となる。この矛盾衝突の裏面には暗に統一の可能を意味しているのであって、決意或は解決の時已に大なる統一の端緒が成立するのである。しかし我々は決して単に決意または解決という如き内面的統一の状態にのみ止まるのではない、決意はこれに実行の伴うは言をまたず、思想でも必ず何らかの実践的意味をもっている、思想は必ず実行に現われねばならぬ、即ち純粋経験の統一に達せねばならぬ。

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孔子曰く、其の國に入りて其の教知る可きなり。

2018-10-02 09:34:27 | ブログ
第3556号 30.10.02(火)

孔子曰く、其の國に入りて其の教え知る可きなり。其の人と為りや温柔敦厚(とんこう)なるは詩の教なり、疎通知遠(そつうちえん)なるは書の教なり、廣博易良(こうはくいりょう)なるはと楽の教なり、潔静精微(けっせいせいび)易の教なり、恭儉荘敬きょうけんそうけいなるは禮の教なり、屬辭比事(しょくじひじ)なるは春秋の教なり。『礼記』755

 孔子が次のように言った。一つの国に入ると、そこの人民の気風を見て国の教育の基本がわかるものだ。個人にしてもそうであって、その人の性格を見れば、その受けた教育の基本がわかる。すなわち、人を温柔敦厚・温和親切に導くのは、詩経の教である。疎通知遠(知識が広く見識が高いこと)に導くのは、書経の教である。広博易良・寛大で鷹揚は楽経の教である。潔静精微(清雅で思慮ぶかいこと)は易経の教である。恭儉荘敬(礼儀正しく軽率でないこと)は礼経の教である。そして屬辭比事(事を順序立てて巧く書き連ねる)の才能は、春秋経の教である。

 【コメント】『南洲翁遺訓』との出会いがきっかけで、長年漢籍を繙いてきました。拝読して素晴らしいの一語に尽きると思っています。

 上に解説を書きましたが、解説の次に失敗した場合のことを論じています。ですから失敗することは考えず、只管学び続けることが大事だと思います。

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征韓論に反対した大西郷

 征服者が、その国人に征服の道を開かんがため、先づその生命を差出さんと欲す!嘗て「歴史」に、征服が斯くの如くに行はれたことはなかった。あの鋭い無口の西郷が、遣韓使節の問題が閣議にて議せられた時は、満身これ熱火と活力であった。彼は同僚に彼を主席使節に任命してくれるよう懇請したと書いてある。
 板垣への手紙を理由に、征韓の口実づくりの使節で、二段階征韓論となす説もあるが、西郷の深い心を解せぬ浅薄な見解だと思う。

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『善の研究』第36回

 しからば何故に此の如き作用が生ずるのであるかというに、前にいったように意識は元来一の体系である、自ら己を発展完成するのがその自然の状態である、しかもその発展の行路において種々なる体系の矛盾衝突が起ってくる、反省的思惟はこの場合に現れるのである。しかし一面より見て斯くの如き矛盾衝突するのも、他面より見れば直ちに一層大なる体系的発展の端緒である。換言すれば大なる統一の未完の状態ともいうべきである。
 
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 相撲協会の件---元貴乃花が退職するということが決定された由です。いろいろありますが、歴史の勲章を楯にするのはよくないでしょう。諸々をぐっと飲み込み、総てを受け入れれば、歴史的英雄となることでしょう。
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