味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

心を正す始めは、

2018-02-13 09:27:29 | ブログ
第3332号 30.02.13(火)

心を正す始めは、當に己の心を以て厳師と為すべし。凡そ動作する所は、則ち懼るる所を知らん。此の如きこと一二年にして、守り得て牢固ならば、則ち自然に心正しからん。『近思録』288

 心を正しくする最初は、自分の心を厳格な師とすべきである。そうすれば、自分のあらゆる動作について、慎重になろう。一、二年このようにし、身を堅く守っていけば、心は自然に正しくなる。

 定まりて然る後に始めて光明有り。若し常に移易して定まらずんば、何ぞ光明を求めん。易は大抵艮を以て止と為す。止まれば乃ち光明あり。故に大学は定るよりして能く慮るに至る。人心多くば則ち光明あるに由無し。『近思録』

 心が定まってこそ光明が出てくる。もしふらつくばかりで安定しなければ、どのように光明を求めるのだろう。易はおおむね艮を止と解く。止まってこそ光明が出る。故に大学では安定するところから、思慮しうるところに進む。心が多岐にわたれば、光明は現れにくい。

 【コメント】とにかく物事をやりだしたら、納得した答えが出るまで、慎重に追求し続けることが大事だということでしょう。心がふらふらしていれば、答えもふらふらしてくると思います。

 易の艮卦伝に「艮は止なり。時に止れば則ち止り、時に行けば則ち行く。動静その時を失はずんば、その道は光明す。」とあります。

 また大学には「止まるを知りて而る后に定る有り。定まりて而る后に能く静かなり。静かにして而る后に能く安し。安くして而る后に能く慮る。慮りて而る后に能く得。」とあります。

 とにかく諦めずに物事に対処したいものです。私が中途半端でしたら、どうぞご叱正賜りたく存じます。

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『不動心』(第191回)

 すべてはある仕事をなすためにつくられている

 馬でもブドウでも、あらゆるものは何かの義務を果たすためにつくられた。これはべつに驚くにはあたらない。太陽でさえ「私はある仕事をなすためにつくられた」というだろう。では、あなた自身はどんな仕事のためにつくられたのか。快楽のためか?そんな考えが許されると思うか。

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人格の涵養  山鹿素行 第9回

 素行がその配所残筆中に自ら語る所によれば、六才から親に書を讀ませられたが無器用で漸く八歳の頃迄に四書五経や諸種の詩文の書を讀み覚えたといっている。なかなか無器用どころの沙汰ではない。それで九歳の時、当時の大儒林羅山の門に入って、無點の論語序や三谷集を讀んだので、非情に羅山を感心させた。それからは天分の上に明師に就いたむお蔭で、彼は忽ち長足の進歩を為し、十四歳の折には詩文共に熟達し、十五や六の少年で逸早く堂々たる士人に論語や孟子を講釈する様になった。
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『言志録一』40

 愛と憎

 愛悪の念頭、最も藻鑑を累わす

 〔訳文〕好き嫌いの考えが頭にあると、これが一番、人物鑑定に間違いを起こすもとになる。

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