味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

財に臨みては苟も得んとすること毋かれ、

2017-03-07 10:19:51 | ブログ
第2989号 29.03.07(火)
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財に臨みては苟も得んとすること毋かれ、難に臨みては苟も免れんとすること毋かれ。『礼記』 
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 財貨の問題については、いやしくも理由なくして取るという事をしてはならない。困難なことにぶつかった場合、かりそめにもその困難を免れようとしてはならない。堂々と困難を引き受け、積極的に立ち向かう人であるべきだ。266 
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 【コメント】この『礼記』の言葉を書いたら西郷南洲翁もそのとおりだ、と肯いていることでしょう。それに比べたら大東京で知事を務めた人間の何と小さいことでしょう。
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 7月の都議選では、現有勢力が大敗北を喫すると出ています。これは、ときの勢いに乗り、世の人々の意向を無視し続けた結果というこになるのでしょうか。一人の人間が裏で、我田引水的なことをしてはならないと思います。
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 昨日もご紹介しました、「功を同じうしたら之を人に売れ」という澄み切った思考を持ちたいものです。それをそのまま踏襲しているのが荘内南洲会の先生方なのです。

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『教養のすすめ』「無我の中で達する境地-----至誠の人 西郷隆盛」(第27回)
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 ただ、大山も驚くほどの刻苦勉励をしていたことは事実のようです。その結果どういう境地に達したかというとそれは今までに述べてきた西郷の実際の言動を見ていただくほかはありません。
 あえて蛇足を付け加えれば、すべての我執を超越した無心無我の境地に達していたといえるのでしょう。
 無我となれば何が残るのでしょうか。
 天下国家は当然残りましょう。熊本の豪傑節は唱っています。
「西郷隆盛ゃ、話せる男、国のためには死ねと言うた」
 これは西南戦争のとき、西郷を討伐する側の歌です。西郷がいかに敵からも味方からも、敬愛されていたかがわかります。

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 岡崎様の人格も、上に紹介した『礼記』が唱えるご人格とだぶって私には映るのです。
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『臥牛菅実秀』(第521回)
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 実秀は加藤景重にいったことがある。
「家を建てるときに、基礎を粗末にすると、数年ならずで家は傾いてしまうものだ。造作などは、その人の好みで、どのようでもよいが、基礎だけは念に念を入れなくてはならない。」
 これは人生目標を確立することが、その人の一生にかかわる基礎であるということの譬としていったものであるが、実秀は精神面も現実面も、教学も事業も、つねに一枚になっている人であった。したがって、この徹底した基礎づくりも、実秀の精神の反映というべきであろう。
 この基礎の上に建てられた倉庫は、初年度に七棟、翌二十七年に四棟、二十八年に二棟、三十年に一棟の計十四棟となった。

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