味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

国家将に興らんとするや、必ず禎祥あり。

2017-01-31 11:17:25 | ブログ
第2954号 29.01.31(火)
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国家将に興らんとするや、必ず禎祥あり。国家将に亡びんとするや、必ず妖糵あり。『中庸』
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 国家が興隆しようとするときには、必ずめでたい前兆がある。たとえば、青年の意気が揚るとか、人情が敦篤になるとか。これに反して国家が滅亡しようとするときには、必ず悪い怪しい不吉の前兆がある。たとえば官吏が堕落するとか、邪教が流行するとか、その他さまざま。161
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 【コメント】『中庸』の訓戒は素晴らしいと思います。ただ、官吏の堕落とか、邪教の流行は世界中、いろいろあるような気は致します。
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 それよりか、新大統領様が、発表する大統領令は関係する閣僚と意識あわせをしてからがいいのではないかと思うのですが。どんな事でも人それぞれ考えが異なるでしょうから、それでも、発表する時は、意識統一することは大切だと思います。

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先にブログで岡崎久彦著『教養のすすめ』に掲載されている西郷隆盛のことを紹介しました。それをご紹介致します。その著書を探してお読み戴きたいと思います。岡崎様の人格の素晴らしさを見る思いです。
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  「無我のなかで達する境地」-------至誠の人 西郷隆盛--------

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  達人の素顔
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 今までは、私は、西郷隆盛について語ろうなどという大それたことは考えたこともありませんでした。
 西郷南洲は、日本史上、あるいは世界史上最高クラスの達人です。その南洲を語れる人といえば、南洲と同格か、あるいは禅機という点においては南洲を越える達人でなければなりません。それができる人物は、勝海舟ぐらいかなと思っていました。

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『臥牛菅実秀』(第487回)
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 「----華をのみ弄んで、その根を問わぬのは、世俗の情である。南洲翁の功業は、このたびの贈位の栄転と、銅像(東京上野の銅像)の建立によって、再び世に明かになったことは、われらとしても喜びにたえないところである。しかし、世上、あるいは南洲翁の功業だけに眼を奪われて、その因ってむ来たる根本を見ないことを憂うるものである。これを草木に譬えれば、地中深く根が繁殖して、はじめて英華が外に発するように、人の根本である徳が盛んにして、英華である功業が、これに従って外に発するものである。しかるに、その本根を棄てて、いたずらに華をのみ賞しては、南洲翁の深奥を尽すことができないことを懼れる。---」
といって、西郷の偉大な功業の底にひそむ、その深い根を遺訓一巻によって世に明かにしたいというのが刊行の主旨であると述べている。 

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