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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

安岡正篤「天風」を語る。

2011-09-15 12:41:28 | インポート

タイトル---安岡正篤「天風」を語る。第979号 23.09.15(木)

 昨日、円心会・木場啓介師範から(『こころの潜在力』宮本武蔵と中村天風)をご贈呈して戴きました。その中に、標題の項目がありましたのでご紹介します。

 ◇安岡正篤「天風」を語る

  三十数年前、当時の佐藤総理の秘書官として著名な楠田実から、幸運にも安岡正篤(1897~1983)が主宰する「而学会」のメンバーに誘われた。その席で、わたしは中村天風の哲学について安岡先生にうかがった。残念ながら、天風にお目にかかったかどうかはお訊ねしなかった。しかし、その静かな口調から、天風哲学の一端に触れていることが察せられた。

 安岡正篤は、いまさら紹介するまでもないが、古今東西の学問に通じ、その知識をベースにリーダーたるものの「人間学」を説いた。

 天風を語るとき、その口癖である「物知りより物わかりが肝心」という言葉を聞いた。安岡正篤は、佐藤総理はじめ歴代総理の指南役的な存在でもあった。彼に接すれば接するほどに、わたしは天風哲学を論理的に究め、天風がわたしに何度も語ったように、「人生哲学」の論理を構築せねばならぬとの想いを強くしたものであった。

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 天風さんは、武芸にも秀でていたため、軍事探偵の任務を全うし、その過程で自らの人物を作ったのでしょう。その後に欧米を巡り、ヨガをベースに精神美の実践哲学を築かれたのでしょう。あの方は、人物ができていて立派でしたから、知識と思想が身についたことで、そこに彼の実践哲学としての本領があるのです。

 人物が根幹で、思想はそれから生まれ出ずる葉や花のようなものです。天風さんの思想は、あの人が持つからこそ傾聴に値する哲学となったのです。

あなたが専門とするシステム工学は、哲学的には「時間」「トータル」「スペース」のそれぞれの原点をいかに把握し、総合的なバランスを、どう保つかという理論であり、『易経』の基本でもあります。天風さんの説く、人間の活力を遺憾なく発揮し、持続させるかにも通じるものがあります。あなたは、この機会に人物をよく勉強して、天風哲学のよき理解者となることです。(安岡正篤)


「徳」とは何か。

2011-08-19 16:25:08 | インポート

タイトル----「徳」とは何か。第946号 2308.19(金)

 「徳」とは、品性として先天的または後天的に身に得ているもの、ということです。「倹以て徳を養う」という言葉もあります。「倹」というのは物を無駄遣いしないこと、つつましやか、つつましいという意味もあります。一義的にひらたくいうと、人間が天から、自然から、親から与えられているもの、と解していいでしょう。

 そして「徳」を二義的に根幹と枝葉とに分けることが出来る。さらにその枝葉をまた二つに分ける。根とか幹とかがあることによって樹木は生成する。だから生命の拠るところのことを本幹といいます。

 それでは人間の本幹は何かというと、精神的存在として見る時に、これが人間の本質であり、根本であり、根幹であるというとき、これを「徳」というのです。

 人間には知能というものがあり、動的には知能、知の働きといって使用します。これを静的にいうと知性ということができます。知性の性は能であり、働きである。そういう意味で知性を知能といいます。

 人間には、人間らしい内容であり要素であるところの「知能」とか「技能」というのがあります。学校教育等で学んでいくお蔭で知能や技能も磨かれ、国語や算数などもできるようになります。しかしこれらは、あくまでも第二義的なものであります。

 人間には他の動物に見られない愛情があり、清潔感があり、感激心があり、義侠心があります。つまり、こういった「徳」が本幹であって、「知」や「技」は枝葉であります。つまり付属的なものであるということです。

 だから人間の根幹・本幹である「徳」という美を活かすことを、そして養うことを「倹以て徳を養う」というのです。金の無駄遣いをしない、徳の無駄遣いをしない、言葉の無駄遣いをしないことが大切であるというわけす。

 徳を損ずるような言葉も慎むべきなのです。立派な人間になるためにはどうしたらいいかと弟子が問うたとき、「妄語せざるより始まる」と訓戒した司馬温公の指導は、人生全般を見渡した天の声でもあると思います。

 これは「徳」というものが如何に大切であるかということの教えでもあるのです。政治家諸氏へ徳を涵養すべしということは、土台むりなことなのでしょうか。


『荀子』の紹介。

2011-07-09 11:56:11 | インポート

タイトル----『荀子』の紹介。第902号 23.07.09(土)

 昨日は健康ランドを20分間だけ歩きました。負荷は15キロ装着しました。漢籍を読むのに没頭していたものですから、遅くなったのです。それと時間が早いと、子どもたちが遊びの場になっているものですから、ゆっくりと行くようになりました。

 昨日は『荀子』を4時間読みました。今日も時間があれば継続して読むつもりです。精読すると知らないことばかりであり、そして修養上参考になることばかりで、唸っている状態です。読み進めて行く内に、ある政治家の人物を思い出しました。さて、何方に似ているでしょう。

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 〈今の世に假(いた)りて、邪説を飾り、姦言(かんげん)を文(かざ)り、以て天下を撹乱し、愚衆を欺惑し、矞宇嵬瑣(けつうくわいさ)、天下をして混然として、是非・治亂の存する所を知らざしむる者、人有る〉(『荀子』非十二子篇第六)

 通訳「今の世に至って、邪説姦言を文飾して表面をごまかし、それによって天下を撹乱し、愚昧な大衆をだましあざむき、又、茫然として聞かされるような奇怪な言説もあれば、あるいは一般にはわけのわからぬごたごたした細説もあって、天下中の人に、頭が混乱して、是非の分別や治乱の判断もすることができぬようにさせてしまう人間が、世の中にいるのである。」p143

 とにかく為政者は、国民のために仕事をするのが建前の筈であります。現今は功利的に走る政治家が多いということは国民は先刻承知しているのです。

 先般、敬武館総本山45周年記念祝賀会で、保岡興治元法務大臣とお話する機会に恵まれました。その後、拙著をご送付したら、先様から『政治主導の時代』をご恵送賜りました。拝読して真摯さ、謙虚さ、あふれる情熱、為政者としての正義感に心打たれた次第でした。この本は多くの有権者に、是非、読んで貰わなければいけないと痛感した次第でした。

 早速、アマゾンで検索したら同著がありましたので、数人の円心会会員に贈呈した次第です。そのうちの一人からメールが寄せられました。ご紹介致します。

『政治主導の時代』を今半分程度読みました。会社法等の議員立法に携わってこられたこと等、知りませんでした。自民党→新進党→自民党と変わられた事について、私は、日和見主義的なものと捉えていました。政策に非常に真剣に取り組んでいるという印象を受けています。」

 私自身も過去、苛烈な選挙戦を聞き、嫌気がさしたことがありました。でも今回、いろいろお話してこういう方こそ国政を議する場へ送るため、挙って応援しなければならないと思った次第です。

 人間にはいろいろあります。市民運動家が正義感ぶって国政へ出ても、することなすこと、全くナンセンスという現実があるやに報道されています。世の中をよくしたいと思うなら、国民が目覚め、勉強をしなければならないと思います。スポーツ選手の応援も経済に寄与するという意味ではいいでしょう。

 でも、自らが学ぶことこそが最優先だと思います。老人の私は連日、終日、学問と格闘しています。自分では頑張っている方だろうと思っていますが、昨日歩きながら『自助論』を聞きました。世界の偉人たちの凄さは、私の百倍あると思った次第です。このテープは20年前に自分で録音したものです。健康で長生きしたい人は、漢籍を繙いてください。安岡教学を学んでください。今日は、荘内南洲会では人間学講座があるとのことです。


『陰騭録』の紹介--2.

2011-06-09 12:51:33 | インポート

タイトル---『陰騭録』の紹介---2. 第870号 23.06.09(木)

 第869号に続きます。

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 もちろん立命の学問は『陰騭録』に限らない。易学もそうでありますし、またあらゆる学問がそうなければならぬ筈であります。ご承知のように易学とは変る学問、すなわち造化・変化の学問である。自然と人生を通ずる世界は変化の世界であるが、その変化の中に厳粛な法則がある。

 その法則を究明して、活用してゆくのが易の教えである。アインシュタインの言葉を借りて申しますと、「自然というものは法則の支配する世界である。その法則を究明して、変る世界を易えてゆくのが人間の使命であり、権威である」ということになる。科学はそれを最も忠実に真剣に実践してきた。その意味において易学は、変る、と同時に易える学問であると言うことができます。

 『陰騭録』もまた同じ。これは書経の「惟れ天下、民を陰騭す」というところから出ておる熟語でありますが、陰は冥々の作用、騭はさだめるという文字である。

 すなわち冥々の間にさだめられておるものを明らかにさだめることである。自然の支配する法則を、人間の探求によって得た法則に従って変化させてゆく、これが陰騭であります。今日誰しも疑わぬ科学とは何ぞやというと、要するに一切万物を包含する宇宙・自然の法則を探求しておるのであるが、その宇宙自然の世界が陰騭の世界であるということができます。

 確かにこの宇宙・自然の世界は、物の世界も、人間の世界も、すべて複雑微妙な法則から成り立っておる。その法則に従って、初めて創造することができるのである。これを解明しなければ、物を生産することはできない。人間の生活・進歩もあり得ない。もしわれわれが法則を無視して、生活し行動をすれば、忽ち破滅する。この人間の法則が道徳というものであります。これは人間に課せられた一時的、方便的な制約ていうようなものでは決してない。

 人間存在、人間という生命の中に内面的に存在する原理・原則なのである。陰騭録はこの原理・原則を解明しておるわけであります。今、日本に一番大事なものは陰騭の努力である。われわれの古典を学ぶ意義もそこにあるわけであります。なにも先哲・先人の遺した学問を骨董品を珍重するように研究するのではなくて、それに基づいて、今日・明日のわれわれの人生、われわれの社会・国家・民族を創造してゆく根本信念・根本識見を修めんがためであります。---P16 7行目

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 この紹介を読んで、これは良いとお思いになりませんか。そうすれば、政治経済全般、その法則に従わないと、国民が不幸になると思うのですが、如何でしょう。


政治家は「天に法るに若くは莫し」。

2011-04-16 14:50:51 | インポート

タイトル---政治家は「天に法るに若くは莫し」。第815号 2304.16(土)

 天に法(のっと)るに若(し)くは莫(な)し。『墨子』 

 政治を行う道は、天にのっとるのがいちばんである。天は公平であり、万物を愛育する。この天の行いのように政治を治めれば、間違いはなく、人々からも幾久しく敬慕の念をほしいままにするでありましょう。

 これは一人政治だけでなく、人生道もそのように歩けば、大きな間違いはないと思います。