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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

南洲翁遺訓の紹介。

2011-03-16 17:59:26 | 南洲翁遺訓

タイトル---『南洲翁遺訓』の紹介。第782号 23.03.16(水)

 『南洲翁遺訓』第四章は、次のように訓戒しています。

 「萬民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり----」と。

 意訳「人々の上に立って政治を行う者は、先づ以って己を常に省みて、自分の行いを正しくし贅沢や奢りに流されず、節約をして無駄を省き仕事を立派に果たさなければならない。そして人民の模範となって----」(荘内南洲会・小野寺時雄著『南洲翁遺訓』より)

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 私が主宰する空手道場では、幼児を含む子どもたちが『南洲翁遺訓』の原文を絶叫しながら暗記しています。そして大半の子どもたちが、この『南洲翁遺訓』をせっせとノートに書いてくるのです。

 原文は日常的に使用しない言葉ですから、大人にも難解です。だから私は、子どもたちの次元に置き換えて解説をすることにしているのです。このことは、二年前荘内南洲会人間学講座受講にお伺いした際、懇親会の席で、皆様にお詫びとお願いということで紹介方々お話致しました。

 子どもたちに対して、よい行いをしましょう。いばりたい気持ちが出てきても、それをおさえましょう。節約をしましょう。仕事には体当たりして行きましょう。そのことが元気と長生きにつながるのです。そして人々のお手本となりましょう、と何時もお話しています。

 有難いことに、日本空手道少林流円心会道場に集う子供たちは大変優秀です。幼児期からこういう素晴らしい金言に触れて育つと、人間が素晴らしく成長するのです。

 円心会師範に木場兄弟がいます。二人とも師範となりました。過ぐる13日は薩摩南洲会をしましたが、その席上で『南洲翁遺訓』を拝唱する木場兄師範の読み方は天下一品でした。この若さでと唸り頼もしくなりました。

 『南洲翁遺訓』は一通り読んだからもういいやということでなく、何回も繰り返し読むところに意義があるのです。

 そして我が出てくるような時は、それを抑え込む真摯な人間性がなければならないのです。そこに来てはじめて南洲翁遺訓の思想が、西郷南洲翁の訓戒が身についたと言えるのです。少しばかり、西郷隆盛研究をしたからて言って、『南洲翁遺訓』を改竄するような思い上がったことをしてはならないのです。なぜなら『南洲翁遺訓』は130年の長きにわたり、西郷隆盛の訓戒として日本人の肌に沁みついているのです。

 『南洲翁遺訓』は、節義・道義・至誠・仁愛・清廉・清貧等々を訓えているのです。こういう『南洲翁遺訓』を個人が勝手に改竄した場合、歴史的に指弾され、鉄槌を受ける事必定です。なぜなら、この訓戒は西郷隆盛の精神から吐露した言葉だからです。

 『尋問の筋これあり候』には、西郷南洲翁と菅臥牛翁が親しくお話をするところが描かれています。著者は荘内地方の雪まじりの寒風が吹きまくる中、実際に荘内地方を歩いたのだそうです。西郷南洲翁と菅臥牛翁の「徳の交わり」に迫るためです。

 西郷隆盛は菅臥牛翁が鹿児島を訪れ、胸襟を開いて親しく語り、そして送る心情を漢詩に吐露しているのです。こういう関係には、何人と雖も介入出来ない、人間の尊厳性があるのです。

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    菅先生を送る

 相逢ふ夢の如く 又雲の如く、

 飛び去り飛び来って 悲しみ且つ欣ぶ。

 一諾半銭季子に慚づれども、

 昼情夜思君を忘れず。

 


『西郷南洲語録』の紹介。

2011-01-06 15:22:39 | 南洲翁遺訓

タイトル----『西郷南洲語録』の紹介。第710号 23.01.06(木)

 鮫島志芽太著『西郷南洲語録』(1977.7.22、昭和52年、発行・講談社)より、まえがき-----自己改革の語録を紹介します。私がこの本を購入したのが昭和53年でした。今から33年前のことです。丁度、南洲神社で開催されていた「南洲会」に入会し、『南洲翁遺訓』の勉強をはじめた頃でした。

 .まえがき-----自己改革の語録

 西郷隆盛という人物は、変革の時代と酷烈な環境がつくりあげた、人間の芸術品のような人格美を持った男である。

 しかし、その人間形成の基調をなしている第一義のものは、彼自身の強烈な意志である。使命感----西郷の言葉によれば天命感---といってもよい。このような志があったからこそ、どんな困難に出あっても-----その苦しさがどんなに長くても----彼はくじけなかったのだ。

 西郷ほど異常な体験をした人間も珍しい。が、また彼ほどに、その異常な、ある意味ではマイナスの体験を、プラスに活かしきった人間も珍しい。まことに、自己改革の名人芸である。これだけでも、偉大な精神の持ち主であったといえる。

 新渡戸稲造は西郷のことを、「リンカーンに劣らない偉人である」と、外国人に紹介している。リンカーンも強烈な意志を持って逆境を乗り越え、見事な人格をつくりあげて信望を得た。両者とも困苦・欠乏の中で、自己の生きがい----存在哲学---をつかみ、同じような人道主義の思想をもって弱い立場を尊重し、最後は非業の死を遂げた。結局、彼らにとって、困難は人生開眼の機会だったのだ。

 西郷はグレートマン(偉人)というよりヒーロー(英雄)というほうがピッタリとくる。同じ英雄でも、ナポレオンや豊臣秀吉や毛沢東などに負けないうな功業をなしとげた上に、人間としての品格の偉大さをもって後世の人びとに影響を与えつづけていることが、彼の特徴である。

 中でも、彼が階層をこえてあらゆる人びとに好かれるのは、自分を捨てて大きな義侠を貫いたその生き方の美しさが、心を打つからである。このいさぎよい生涯が桜の花に似ているからだ。

 西郷は口舌の人ではなく、行動の人である。しかし、彼が残した詩・文・言は思いのほか多い。名文筆家といっていい。書くという行為は、考える、選ぶ、まとめるという表現能力を必要とするが、彼が維新革命活動の怱忙の間に、これほどのものを書いていたとは、一つの驚異である。不明のものを入れると、千通にのぼるだろうと推定されている。

 本書は、西郷の語録を選集し、解説することによって、このように高潔な人格を形成する諸要素、そのなしとげた仕事(行動)の意味、それと現代の私たちの生き方との関係などを説いた、一種の歴史的読み物でもあり、人生の参考書でもある。

 異常な体験によってみがかれた西郷の言葉は、時代と場所を超越して、生きがい(人間の生存価値)を探求する人びとの胸に響き続けるものと信ずる。

            昭和五十ニ年四月              鮫島志芽太

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 この本は33年前に出版されたものであっても、西郷南洲翁その人の思想は、生きていると思われるくらい人びとの日々に生き続けています。特に西郷南洲翁を一躍有名にしたのが、荘内藩の藩士たちに語った事柄を、荘内の藩士たちがあますところなく記録し、荘内に持ち帰り、文章化し、西郷隆盛の言葉として刊行した『南洲翁遺訓』であります。

 因みに私の空手道場では、門下生全員で『南洲翁遺訓』を拝唱しているのです。それはそれは壮観そのものです。4歳の子供が、小学1年生の子供が、「廟堂に立ちて大政をなすは天道を行うものなれば----」という文言を暗記しているのです。それがやがて長じて、仕事の世界で、大いに役立つのであります。人間にとっての教えそのものは、時代がいくら変わっても中身は変わらないのです。いやむしろ、飛躍的に発達した時代だからこそ、それを学ぶ必要があるのてす。

 折角、親から戴いた大事な命・身体を、最高度に燃焼させ、国家社会のために尽くすことこそ、人間の本懐だといえましょう。


『南洲翁遺訓』「こ」功に伐り驕謾の生ずるも

2010-02-22 19:43:27 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』 「こ」 功に伐(ほこ)り驕謾の生ずるも、 第380号 22.02.22(月)

 「脩業の出来ぬむも、事のならぬも、過ちを改むることの出来ぬも、功に伐り、驕謾の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己を愛せぬもの也。」

 この言葉は、『南洲翁遺訓』第二十六章に出て参ります。意訳は、「修行の出来ないのも、事が成功出来ないのも、過ちを知りながらそれを改めることが出来ないのも、自分の手柄を誇りたくなるのも、皆自分を許す心即ち自らを愛する心が其の原因である。それ故決して己れを愛してはならないものである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 愛とは、「敬天愛人」の「愛」と同じものである。すべての人は天から生まれながらに本性として与えられておる。その本性を一生涯健やかに生成化育するのが人間の道であると思われます。その愛は、人類にとっても、人生に於いても第一の道徳の根元である。その為に世の中に愛が亡ければ、人類も人生も滅びることになると思われる。ところが世間には愛と叫びながら世を混乱させることも多くある。又愛と信じながら人生を誇ることが無限に存在しておるのも現実の一面でもある。考えて見れば愛は一つでも二面があるように思われる。大事な愛と、愛とは言えない愛が共存しておると思わざるを得ない。(前掲書)。

 自愛心の愛とは、自分を甘やかす心、自分を主とする心、自分を許す心、自分に負ける心などたくさんある心がもとで発する愛は、明らかに人間の本性である愛とは異なるものである。このような愛は本来愛とは云えないものであり、この様な愛は大であればあるほど、自己を小さくすることになり、世の為にも障害を増すことになる。(前掲書)。

 西郷南洲翁は、政治を通して国家国民の安寧を図るために奔走した逸材であった。自らは清貧をものともせず、荒天時には雨漏りがする家に平気で住み、絶えず国に眼を向けていたのである。人間の真の幸せとは何か、真の愛とは何か、を人々が経験したことがない、過酷な体験を踏まえた実績からその精神を吐露したのだと言えよう。

 だからこそ、一世紀半過ぎた今でも、人々の心に生きて行く無限の力を与えてくれるのである。人間が生存するためには、食がなければならないことは自明の理である。ところが今日の日本では、贅沢極まりない食に関するものが溢れている、と同時に物万能主義に陥っていると言っても過言ではあるまい。

 人々を指導する立場の政治家にしてからが、一見不正ともとられかねない金を要求し、手に入れ、その力で国家を牛耳っている様が報道されている。これらは、先に紹介した〈自分を甘やかす心、自分を許す心〉が先行し、〈健やかに生成化育〉出来る本来の自助の精神を放逸していると言えなくもないのである。

 折も折、政治の世界では平成21年政権が交代した。半世紀の間、政権の座に胡坐をかいていた自民党が国民の鉄槌を受け、見るも無残な敗北を喫したのである。それは当然の報いであった一面もあるが、受け皿を担った民主党にしてみても、全く同様の金権体質は変わらず、国民を冒涜しているといってもいい状況である。このまま推移して行くと、前政権以上の国家的損失が国民に降りかかってくるような気がしてならないのである。ここで「驕る心」を戒めておかないと修復不能になる気さえするのである。

 政権交代後、鳩山氏は「愛とか命」という美辞麗句を並べているが、これらは哲学なき言辞であり、国の行く末を熟考していないお坊ちゃんの論理に聞こえてならない。母親からの子供手当てにしても、道義的頽廃とその病根に対する処方と治癒は人ごとみたいである。

〈愛とさけびながら、世を混乱させること〉にならなければよいが、と憂慮しているのは私だけではないと思うのです。

 


『南洲翁遺訓』「お」己れ其の人になるの心掛け肝要なり。

2010-01-31 19:57:21 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「お」己れ其の人になるの心掛け肝要なり。第364号 22.1.31(日)

「己れ其の人になるの心掛け肝要なり。」

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十章の後半に出て参ります。意訳は、「己自身がそういう人物になる心掛けが肝要なことである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 何をするにもすべて人物が第一である。人物こそが、制度方法を生かす宝である。すべては人間次第で立派に生きるか、無益の邪魔ものに終わるかがきまるのである。

 中庸の中で教えられておる如く、「文武の政(まつりごと)は布(し)きて方策にあり。その人存ずれば即ちその政(まつりご)と挙がり、其の人亡ずれば即ちその政(まつりご)と息(や)む」と全く同じ意味のことである。

 清朝の名宰相といわれた曽国藩が永い総理大臣の在任中に於いて最大の課題は人を得ることであり、その他のことは覚え止める程のことはなかったと反省して申された。(前掲書「人は第一の宝である。」)。

 ここで中庸をお読みになっておられない方もいると思われるので、意味を紹介します。通解「文王武王(ぶんのうぶおう)の行われた政治の方法は、今もなお明らかに方策典籍(書物)の中に敷き列なって存している。そこで文王武王のような政治が行われるか否かは、人材があるかないかによる。よく文王武王の遺法を運用すべき賢臣があれば、その政治はよく行われるけれども、その人がなければその政治は滅びて行われなくなる。」

 これはひとり政治だけでなく、世の事象は、それを預かり運営する人材の能力等々によって、よくもなれば悪くもなるということです。

 先般来、横綱・朝青龍の暴行事件のことで世論は喧しいが、これは当然でしょう。相撲協会が国の保護を受け、国技として興行をしているのであれば、世論を無視出来る筈がないし、してはならないであろう。

 横綱には「品格」という言葉を遣うことがしばしばあるが、横綱に限らず親方衆にも「品格、名誉」あるべしと謳われている由である。ところが、あの親方衆で品格ある御仁は誰であろうか。

 以前、日本総研・寺島実郎会長はテレビ出演の際、協会を預かる彼らの体質を、食い扶持温存のためではないか、と厳しく非難したことがあった。朝青龍問題を協会理事長は「示談が成立」したとして幕引きにする気らしいが、そういうことがあってはなるまい。国民は怒らなければならないし、怒っていい筈である。

 今日のサンデ-モ-ニングで張本勲氏も大変な憤慨ぶりであったが、これは当然であると思うのである。これは朝青龍自身が横綱としての自覚がなく、「己れ其の人になるの心掛け」もないし、的確性もないと言わざるを得ないと思います。相撲はただ強ければいいというだけのことではないのです。そこに武士道に比肩する相撲道文化が内在しているのです。


『南洲翁遺訓』「お」己を尽くし人を咎めず。

2010-01-28 15:02:16 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「お」己を尽くし人を咎めず。 第362号 22..1.28(水)

 「己を尽くし人を咎めず、我が誠のたらざるを尋ぬべし」

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十五章の後半に出て参ります。意訳は、「自分の最善を尽くし、たとえ世に認められなくとも、人を咎めてはならない。すべて自分の誠意が足りなかった事を反省すべきである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 南洲翁遺訓の教えは大きく二つに分けて考えることが出来ると思われる。一つは修己の教えであり、もう一つは治人の教えである。しかし分けることの出来ないものも当然あります。此の章は明確に、どういう立場の人に訓えようとされたのか分かりませんが、治人の教えとして考えれば、納得される感じがする。

 即ち政治を行う人に対する教えということになれば、多くの民衆を治めるということで良く其の意に応える必要がある。それには百人百論は必ずある。その方途の判断をすることに苦しむ事も多い、その場に臨んで迷わずに進むには、人間の声にこだわらず、天の立場で自信をもって対処する必要がある。 

 その為に精一杯誠をもって判断して進むことになる。その結果が他からは理解出来なくとも、決して他人のせいにはしないで、あくまでも己れ自身の誠意が足りなかったと省みる必要がある、と解すればこの章は政治を行う人のための根本理念を示されたものであると言えるのである。(前掲書「修己の教えか、治人の教えか」)。

 もの事は誠心誠意やっても失敗に終わることもある。そんな時には、他人のせいにしたいもので、又天意に不信を持ちたくなるものだ。それは天意を体して精一杯にやったと言う自信がなく、心が不安定な為であります。その時にあたり大事なことは、自らを省みる余力をもつことであり、それが新しい出発となるからである。(前掲書「人を咎めず、我が誠の足らざるを知る」)。

 大事な問題が発生したとき、それに対処・解決するとき、生命をかけて死をも辞さないという覚悟感をもってことに臨むというやり方は、古来大人物と言われた人々が用いてきたところであります。死をも辞さない、というような人物は、人生の生き方に原則を持ち、哲学を持っているからだと思うのです。

 命もいらず名もいらずという生命の覚悟感を持っていた西郷南洲翁だからこそ、「最善を尽くし、たとえ世に認められなくても」と言い切れる峻厳な態度で事に対処し、人の道を説いたのであろうと思われる。

 これは「治人」の前段である「修己」の有り方が、より信頼感が増幅し、「治人」へという広がりを見せていくということでしょう。死をも辞さないということは、無私・無欲の境地に達した人で始めて言えることではないだろうか。天下万民の声を聞き、自己犠牲を厭わず、世に処して行く、そこに天を語る資格があると思うのです。

 平成の今日、条理と不条理の区別がないように思われる為政者が多く存在する中で、この章で訓えている「誠を尽くす」ということが処世の要諦であると信じたいのである。

 政党助成金を不当に運用しているやに見られる政治家もいるようだが、仕事がなくその日その日の天露を凌いでいる人々からは、天文学的数字としての億の金を手にし、国民は理解してくれる筈だ、と豪語しているが、どういう神経をしているのだろう。

 そういう御仁に敢えていいたい。南洲翁遺訓を熟読せよ、と。