嫌われる勇気 (29) 【最終回】

2015年04月16日 00時05分00秒 | 沖縄の生活


アドラーの「嫌われる勇気」 岸見一郎+古賀史健著より 276~294P

第5章 「いま、ここ」を真剣に生きる

m.無意味な人生に「意味」を与えよ

人生の意味とは何か?人は何のために生きるのか?アドラーの答えは「一般的な人生の意味はない」です。

例えば、戦禍や天災のように、我々の住む世界には、理不尽な出来事が隣り合わせで存在しています。つまり、人生には一般論として語れるような意味は存在しないのです。しかし、そうした不条理なる悲劇を前にしながら、何も行動を起こさないのは、起きてしまった悲劇を肯定しているのと同じです。

どんな状況であれ、我々は何らかの行動を起こさねばなりません。大きな天災に見舞われた時、原因論的に「どうしてこんな事になったのか?」と過去を振りかえる事に、どれだけの意味があるのか?我々は、困難に見舞われた時こそ、前を見て「これから何が出来るのか?」を考えるべきなのです。

アドラーは、「一般的な人生の意味はない」と語った後、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。

あなたは、その人生に意味を与える事が出来る。あなたの人生に意味を与えられるのは、他ならぬあなただけなのだ、と。

自分の人生に迷っている人は、なぜ迷っているのか?それは「自由」を選ぼうとしているからです。

他者から嫌われる事を怖れず、他者が望む人生を生きず、自分だけの人生を生切る。

人が自由を選ぼうとした時、道に迷う事もあるでしょう。アドラー心理学では、自由なる人生の大きな指針として、「導きの星」というものを掲げています。

旅人が北極星を頼りに旅するように、我々の人生にも「導きの星」が必要になる。それがアドラー心理学の考え方です。この指針さえ見失わず、その方向に向かって進んで行けば幸福があります。それは「他者貢献」です。

あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷う事はありません。

嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。そして、刹那としての「今、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きる。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。

誰かと競争する必要は無く、目的地もいりません。踊っていれば、どこかに辿り着くでしょう。人は誰も、これまでの人生をどう振り返っても、なぜ自分が「今、ここ」にいるのか、上手く説明が付かない事が多い。しかし、解っている事がある。

それは「私達の力は計り知れないほどに大きい」という事です。

つまり、世界は、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「私」によってしか変わらない

もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう 「他の人が協力的でないとしても、あなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考える事は必要ない」



※「あとがき」から、アドラーの思想を実践して行く事は簡単ではない。反発したくなるところ、受け入れがたい言説、理解に苦しむ提言もある。しかし、アドラーの思想は、人の一生を変えさせてしまう力を持っている。あとは一歩を踏み出す「勇気」を持ちえるかどうかです(古賀史健)。
真摯に生きたいと願う事は大切な事ですが、それだけで十分ではない。アドラーが「人間の悩みは、すべて人間関係の悩みである」と言っています。どうすれば良い人間関係が築けるか、他人の期待を満たせるか、他人を傷つけまい、主張したい事もしないで伝える事が出来ない・・・。そのような人は、確かに周りの人からの受けは良く、嫌う人も少ない。その代わり、自分の人生を生きる事が出来ない事になるのです(岸見一郎)。
この本は、私の人生にとって、たくさんの学びを頂きました。私の勉強に、お付き合い頂き感謝します。今後も、「アドラーの心理学」を実践しで行きたいと思っています。岸見一郎氏&古賀史健氏へ感謝申し上げます。